第3話「母さんと、お買い物 前編」
夏のとある昼下がり。
の、はずだったのだが。
「うーん、と……」
本来、聖也のわきに立ってしかるべきはずのかなえはそこにいなく、冷房の利いたスーパーの店内の野菜売り場付近を彼がうろうろさまよっているのだった。
きょろきょろ、と周囲を見回すも彼の視界には母の自慢の長髪や丸みを帯びた
と、そこへ。
「お、マサ! マサやないか――!」
聖也の親友であり同期の桜、もとい、幼なじみでもある
「あ……!」
聖也のそれまで困惑と焦燥の広がっていた顔つきは、嘘みたく掻き消え、親友との邂逅によって彼は心の底から歓喜した。
一方、航平は遠方十メートルのところから、駆けだしながら「めっちゃ奇遇や~ん!」と大手を聖也に振り急接近してきた。
「オッス、マサ!」
「オッス、コウ!」
二人の距離がようやく目と鼻の先まで狭まると、航平はつかず離れすのところで急ぎ足を止める。
すると、お互い二人して名前を呼び合い、まるで店内にいる客らに見せつけるみたくして彼らはゲンキンにハイ・タッチをかましてみせた。
パチン、と。
最初に口を開いたのは、航平からだった。
「もしかして、お使いか?」
「いや、実は母さんといっしょに来たんだけどさー。……なんか、どっか行った」
航平はそれを聞いて、「どっか行ったって!」と言いながらたまらず苦笑した。
「まるでマサのお母はんが、公園で見かけた犬みたいやわー。ほー、なるほどなあ。ふたりでここへかあ」
「そういうコウこそ、どうしたのさ」
すると、目の前の親友にうながされた航平は「見てのとおりや」と、直角に曲げたひじに引っ掛けられたビリジアン色のかごを突き出す。
「俺も、おかんにお使い頼まれてん!」
聖也が突きつけられたかごを、ふと見遣る。
豆腐が木綿と絹がそれぞれ五丁ずつと、薄いプラパックに包装された卵が二ダース。それからほうれん草が五束と長ネギが二本ほどかごの中に放りこまれてあった。 ほうれん草の束がふさふさと、航平の息遣いに従って揺れ動くので彼の目にはいやでもその青々と生い茂った菜っ葉の森の挙動が付いたのだった。
「うわあ、てんこ盛りだなあ。おい」
「まぁな、ちょっくらサイドメニュー作りに必要な食材買いに。なんせ昼間ぁ、外カーッと熱うなったさかいに、今夜はいまにカッターをくたくたンなるまで穿きたおしたおっちゃんどもが、汗滲みのネクタイ首ぃ引っ提げてウチへとぎょーさん来るておかんが言うとったわ」
「ウチ……。ああ、そういえばコウのおうちって、居酒屋かなんかだったっけね」
「ああ、うん。まあ……居酒屋かなんかっちゅーか、んふっ、居酒屋なんやけど、ね。んふふっ」
そう言いながら航平は顔を若干したに向けつつ、半笑いさせた。
それを見て、聖也もつられて笑いそうになるも再び口を開く。
「な、なんで。ここでっ、笑いが入るのさ? ……ぶふぅ」
「お、お前が変なふうに言いまわししてきたからやろっ……んふっ。居酒屋かなんか、て。何? 逆にコッチが聞きたいわ、この状況で、居酒屋と同じ土俵にあげることのできる種類の……お店をんふふふっ」
「え。えーと……うーん……ぶふふっ。そーさねー」
聖也は微笑でほころんだ顔のまま、思考を開始した。直角に折り曲げたひじに未だがら空き状態であるかごをひっかけたまま、咄嗟に腕を組んだ。
「そんな真面目に考えんでもええよってからに」
急に声だけ冷静になって呼びかけてきた航平に対して、聖也はまたしても笑いそうになる。
(あんたが聞いてきたんやないか!)
と、咄嗟に心の中にて関西弁で突っ込む聖也。
もはや破れかぶれだと言わんばかりに、彼は頭の中にふと降り立った単語を口走った。
「だ、駄菓子屋……かな?」
「なんっでやねんっ!? だ、駄菓子屋と居酒屋なんてアナタ……そんな近ないし。第一、共通点が喰いモン売ってるとこと『屋』がついてるとこだけやないか! ……んふふふふっ」
「いや、ほらだから、さ。食べ物をあつかってる点でいえば似通ってるといえなくもないもんだし。居酒屋ってなんかこう、『大人の駄菓子屋』みたいじゃん。雰囲気とか、飲み食いしたりワイワイしたり、さ」
「ほほー、なるほどなあ。めっちゃどうでもええねんけど……言葉の頭に『大人の』ってもってくると、なんかエロく聞こえん?」
「大人のリトマス試験紙……ぶふっ」
「自分で言って笑うなや! てか、それ以前にリトマス試験紙、って……んふふっ。もっと他にあったやろ! 大人の保健体育とか、大人の理科実験とか、さあ! ……んふふふっ」
「そっちだって……あ、あはは」
「ああ、アカン。は、腹いたい腹いたい! ん、んふふっ」
「あはははははは!」
「んふふふふふふ!」
スーパーの店内にて、小学生二人分の笑声がともに重なり合って響き渡った。
何気ない日常における、毒にも薬にもならぬ親友との馬鹿話し。
それから、話してくうちに意味もなく笑いがこみあげ、次第に腹部が突っ張ってきて痛みを覚える。
誰にでもよくある光景なのだが、聖也はそんな状況を誰よりもこよなく愛するそういう小学六年生であった。
その後、互いに打ち解け合いながら彼ら親友同士は、徐に店内奥へ奥へと突き進んでいった。
途中、聖也が料理に使う野菜を選び取るため何度かその歩みを止めたものの、
「まあ、とりあえず旨い玉ねぎとジャガイモはこんなもんや。それとな、マサ、やあらかいニンジンさん喰いたいならな。てっぺんつまり、茎の切り口がなるべく先細っとるもん選ぶんで……え、ニンジンが苦手? アホ、好き嫌いぬかすなボケぇ! 道徳の授業で教わらんかったかぁ、今俺らのいる日本の真裏の国では、その日その日のおまんまにありつくこともできひん方々が大勢おるんやど! ちったあ申し訳が、あン? 『いくら真裏の国の人たちでも、腹がいっぱいになったら残すだろ』? じゃかあしいわ、ともかく俺の前でおのこしはゆるさへんで! だいたい、マサかていままでそんな風に好き嫌いしよってからに、おかげですっかり身長も伸び悩んで。……お、オイぃ! 待てや、マサ、まだ話ぁ終わっとらん、どこいくねん? な、なあ、急に早歩きして俺をまこうとすんなって。…………わかったわかった。俺が悪かったって、いくらなんでも背のことに関しては口が滑ってもうてん! なあ、頼むて、おい、この通りや……なんか喋ってくれや! 怖いわぁ」
航平が実家である居酒屋の両親が仕込んだ食材の目利きの仕方を聖也の目の前で発揮させたり、その途中で聖也の低身長ぎみな体質的コンプレックスが発覚したことも相まって、二人は比較的早くスーパーの深部へと到達することとなった。
☆☆☆☆☆☆
夕飯の献立の材料を一通りかごにいれた聖也と、実家にて両親が経営してる居酒屋『じゅうしぃ』のメニューにて扱われる予定の食材をひとしきりかご内にて取り揃えた航平。
彼らはふたりして、同じスーパー内のお菓子売り場に身を置いていた。
先ほど来些細なやっかみがあったあとだったので、彼らふたりの間には売り場にふさわしくない、苦々しい空気がたちこめていた。
「いや、ほんっとゴメン。俺もどうかしてたわ、スマン」
そんな空気に耐え兼ねた航平は、我先にと、幼なじみを前にして拝むように謝った。
「……もう、いいよ。コウに限って間違ったことをいうはずがないもん。だって、事実だし。実際身長なんてコウがもうとっくに僕のを追い抜いてるし、さ」
売り場にて陳列されてあった棒付きチョコの棒のところをひとつつまみ上げながら、聖也は弁解した。
気まずさが自身の中でも込み上がり、彼は無意識に指先でつままれたチョコを小刻みにくるくる動かすことしかロクにできないでいる。
「夏だけに熱くなってもうてん……アカン、ホンマ洒落にならんわ、まじゴメンな」
そう言って、航平は再び両手の平を付け合わせ、またもや聖也に許しを乞うた。
一方で申し訳なさそうな表情を浮かべる親友を尻目にして、こちらこそ本当に申し訳ないと、それこそこの取り巻く現状について胸がはりさけそうなほどに聖也は感情を駆り立てていた。
「だから……」
躊躇いつつもそこまで言って、聖也は口をつぐんだ。
どうしても、先で発した一の言葉の後に二の言葉を紡ぐことができない。
大丈夫。こっちこそごめん。もう気にしてないよ。
意地という水門が邪魔をしているせいで、かわりに心の奥底ではいくらでもでてくるさっきのような二の言葉が堪りに溜まってくる。そんな様子を見届けている航平は、当の本人を前にひとり沈痛な想いをとことん募らせていくのだった。
「…………。」
「…………。」
暫しのほど、沈黙が訪れてきた。
そして、緩やかに停滞が始まっていく。
今、二人の間には物理的に、精神的に、暗黙の雰囲気がたちこめていた。
分け入っても分け入っても、黒い森。完全にブラックゾーンへと二人は陥っていた。もちろん、聖也も航平も仮にそうなることを望んでいたことは毛頭ない。
沈黙が襲来してから一、二分が経過したのち。
先に口を開いたのは、航平からだった。
「じゃ、じゃあ、俺。……ちょっくらおせんべいのほう、覗いてくるわ」
「あ……」
口にこそ出せなかったが、聖也は確かに『待って』と、リップシンクを刻んでいた。
一瞬、立ち止るそぶりをみせるも、結局航平はそんな彼を直視することなく陳列棚の角を曲がってその場を後にした。
それから間もなく、取り残されてしまった聖也はひとり大きく息をつき、とうとうその場でしゃがみこんでしまった。
「はあぁぁ~~っ。ぼくはいったい、なにをやっているんだろう?」
不甲斐なさのあまり、とっさに両手で頭を抱えてみせた。
そして、激しい後悔によって聖也の良心を少なからず咎めるのだった。
「こんなはずじゃ、なかったのにな」
フラストレーションの真っただ中にて、へたり込む聖也。
凍えた心を授かりし彼をまるであざ笑うかのよう、店内の天井に設けられた空調の風が強く彼の身に吹き付けてくる。
その場にて未だうずくまった体勢のままで、「寒いっ」と呟きながら両手で身体をさすってみせる。
ふと、脇に目をやる。
そこには大いなる愛とそびえ立つ体躯でもってして、文字通り自分を包み込んでくれる家族はやはりいない。そして、関西出身の両親ゆずりの関西弁をあたかも車のハザード・ランプのようにフラッシュさす、生涯の親友でもない。
そこには、自分から聖也のもとを離れていった航平の買い物かごが鎮座してる有り様だ。
それを見、聖也は「忘れてやんの」と、言いながらあざけ笑った。
「馬っ鹿でぇ。僕のそばに、アイツ、置いてきてやんの」
最初に見てからしばらく経つも、相も変らぬ様子で、ビリジアンの店内かごのなかには航平彼自身が放り込んだ食材が精巧な3Dパズルみたく積み上げられてて、その頂上にはやはり青々と生い茂った感じの緑黄色野菜が空調にあおられて葉を揺り動かしていた。
床上に放置された買い物かご。
それが彼自身に対してあまりに堂々としてるみたく映ったので、聖也は自らの嘲笑もこめて、せせら笑う。
ぴらぴら、と。
冷風に吹き付けるほうれん草の葉。まるで吹けばはるか彼方に飛んで行ってしまいそうでなかなか離れない。
その葉はまるで自分のようだ、と聖也は子供ながらに考えた。プレッシャーのような大いなる流れに負けそうになるも、それでもかたくなな一心で、そこから離れようとあるいは譲ろうとはしない。
そう思いを巡らしながら、しばらくそれを見つめていた。
その時だった。
空調の風に揺り動かされたほうれん草の葉。
その向こう側、つまり古城の石垣のごとく積み上げられた食材の上に生い茂った森のなかにあるものを見つけた。
「うん? ……なんだ、これ」
ほうれん草を三束抜き上げると、確かでなかったその全貌が明らかになっていった。
聖也はそれを見て、ハッとした。
と、同時に。
やはり自分が悪かったのだという気になり、ここにいない親友に心の中で向き合いあらためて申し訳なく思うのであった。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいコウ……!」
堪らず彼は、手に持ったそれを再びかごの中に戻した。
摘み取った緑黄色野菜の森の群れ、その先にあったもの。
香港の
窪みがかった配置のその奥には、半額シールが透明の蓋上にべったりと張られた唐揚げの惣菜のお弁当と野菜ジュースのパックだった。
そんななか、聖也はふと航平自らが言っていたことを思い起こす。
『まぁな、ちょっくらサイドメニュー作りに必要な食材買いに。なんせ昼間ぁ、外カーッと熱うなったさかいに、今夜はいまにカッターをくたくたンなるまで穿きたおしたおっちゃんどもが、汗滲みのネクタイ首ぃ引っ提げてウチへとぎょーさん来るておかんが言うとったわ』
「……そうか、そうだったんだ。コウの家も”共働き”だったんだよね」
お互いが各・核家族の一員であり、親は共働きでなおかつ食事は基本的にそれぞれで摂る。
それをなによりも明確にあらわにした、コウの買い物かご。
言葉の通りに踏めば、このかごの中にてひしめき合い堆く積み込まれた品々のほとんどは航平の居酒屋にて、商品として出されるものだ。
……とどのつまり、この中で今夜彼の食事として提供されるものはといえば、
「お弁当と、野菜ジュース……」
である。
口にして出したとたん、急速に彼の脳にてとあるビジョンが流れ込んだ。
『……ごちそうさん、でした』
誰もいない家のリビングの真ん中。
カウチに腰かけながら、ひとりで食事を済ます金森航平の姿がそこにはあった。
いつの間にか、彼は自らの境遇を、それに近いと思しき相手に重ねてしまってた。
だからだろう。
それらが聖也の心を必要以上に切迫させ、とうとう彼の良心の淵に溜まりにたまった本音が水門を決壊させた。
「そんなのって……!」
憤ったあまり、打ち震えた心臓を手で押し抱きながら、その場で立ち上がってみせた。
そして、一旦クール・ダウンを図り深く深呼吸を数回ほど繰り返した。
「……よし、決めた」
困惑と焦燥に揺らいだ表情は、うってかわって決意と信念をあらたにした顔つきに変貌した。
「ちゃんと、向き合って謝らなくちゃ」
そう言って、彼はおもむろに、陳列棚の角に歩みを進めた。
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