第三話「栗原くん」




 とある月曜日のことだった。

 週の替わりに伴って掃除当番が回ってきたので、名残は班の子の何人かと一緒に放課後の教室に残り、せっせと清掃活動に勤しんでいた。

 部活動に入っている子もいたので、彼女たちのことを考えて気持ち急ぎ目に床を掃いていく。いちいち机を退かすのは面倒臭いので、あみだくじのように机の合間を箒でなぞった。休み明けということもあって、綿飴のような埃がわんさか出てきた。

 名残がチリトリでゴミを掬い終えると、やっと終わったとばかりに班の子たちはふうと一息吐き出した。そうして、全員で小さな達成感に浸る。学生にとって放課後の教室掃除とは、かくも面倒なことなのだった。

 チリトリに集めたゴミをゴミ箱へと捨てようとした名残だったが、目の前のその惨状を見とめて「あっ」と声を上げた。

 普段ならば、それをそのままゴミ箱へと放り込んで終わりなのだが、どうやら先週の金曜日、掃除当番はゴミ捨て場への廃棄を怠ったらしい。さながら表面張力のように、溢れたゴミがこんもりと山を作っていた。

 どうしたものかしら。

 名残はちりとりを片手に、みんなの方を振り返る。彼女たちも互いに目を見合わせた。

 結局、ゴミ捨て場へ廃棄しに行く人間をじゃんけんで決めようという流れになったが、名残はひょいと片手を上げると「私が行くわ」と率先してその役を買って出た。この中で帰宅部なのは自分だけだからと割り切り、取り急ぎ、崩れ落ちそうなゴミ山をぐっと奥へ押し込み、空いた隙間に今日の分をを流し込む。それから袋の口をきつく縛った。

 班の子たちは疎らにお礼の台詞を述べると、机の上に置いてあった鞄を引っ掴んで足早に教室を後にした。薄情者め、と思わなくもない名残だったが、しかし、別に見返りを求めてやったわけではない。献身的な自己犠牲に満足した名残は、さっさと捨ててきてしまおうと意気込み、ブラウスの袖を捲り上げた。

 青く縦長のゴミ箱から半透明のゴミ袋を持ち上げて取り出し、両手でよいしょと抱える。それなりの大きさと重量だったが、負けず嫌いな名残は誰に対して強がっているのか、なんともないといった表情を作って歩き出した。

 教室を出て、向かって左の廊下を進む。ゴミ袋が邪魔で前が見えないので、名残はふらふらと左右に揺れながら廊下の先を目指した。

「水瀬さん」

 唐突に名前を呼ばれて、名残は危うくゴミ袋を落としそうになった。

 声のした方を振り向いてみれば、クラスメイトの栗原くりはら睦月むつきが部活用のジャージ姿で立っていた。

「あら、栗原くん。どうしたの?」

「ゴミ袋、一人で運んでいるのが見えたから手伝おうと思って。僕が運ぶよ。貸して?」

「いいわ。別に、重くないもの」

「僕が持つってば」

「一人で持てるわよ」

「そうと言わずに」

 栗原があまりにもしつこく食い下がるので、名残はとうとう根負けして、抱えていたゴミ袋を栗原へと譲渡した。すると思っていたよりも重たかったらしく、彼は「おっと」と声を上擦らせると、風に煽られたようにふらりと蹌踉よろめいた。名残は慌てて彼の正面に回り、ゴミ袋を支える。

「情けないわねえ」

「水瀬さんは力持ちだなあ。僕ってやつは男だっていうのに、まったく、これっぽっちも筋肉がないんだから」

「栗原くんはバドミントン部だったかしら? 成長期はこれからだと思うし、そう悲観する必要はないんじゃないかしら」

「そうだといいんだけれど」

 栗原はそう言って苦笑すると、ゴミ袋を軽く跳ねさせて持ちやすい箇所を探し、よろよろと歩き出した。一歩遅れて、名残も隣に並ぶ。

 ふと、思い立ったように栗原が言った。

「にしても、なんでまた、これを一人で運ぶことになったんだい?」

「先週の当番がサボったのよ。まったく、いい迷惑だと思わない?」

「それは災難だったね。班の人だって、誰か手伝ってくれてもいいのに」

「帰宅部なのは私だけだし、自主的に申し出たのよ。たとえ少しの遠慮もなかったとしても、彼女たちのことを薄情だとは思わないわ」

 名残がそう言うと、栗原は一拍置いてから、喉を鳴らして笑った。

「なによ」

「いいや。なんというか、君は将来、いい女になりそうだなあ」

「あら、栗原くんみたいな紳士にそう思われるなんて光栄だわ」

「またまた。君もうまいんだから」

 栗原がそう言うと、名残はけらけらと笑った。

 名残が栗原と会話をするのは、実のところ、今日がまだ三度目である。女子としてはそれなりに気の強い名残はクラスの男子と話すことも少なくないが、逆に彼のような温厚なタイプの男子とはあまり親交がなかった。そうした立ち位置から、友達と呼べるほど近しい仲でもないのだろうと、名残の仲ではそういった認識だ。

 一旦会話が止まってしまうと、気不味くはないが、なんとも言えない空気が二人の間に生まれる。見慣れた校内の景色なのに、まるでここだけが異空間のようだと名残は思った。

 くすんだ緑色をしたリノリウムの廊下を突き当たりまで進み、右折して渡り廊下へと進む。手入れの行き届いている中庭は上履きのまま出ることが許可されているので、二人は目と鼻の先に迫ったゴミ捨て場へと向かい、再び歩き出した。

 焼却炉こそないものの、この学校のゴミ捨て場はよく漫画で見る類いのものだと名残は常々思っていた。

 中庭の端にある体育倉庫の裏手側、その一角がコンクリートで囲われており、そこに緑色のネットが掛かっているのだ。毎週金曜日の放課後、掃除当番は一週間分のゴミをそこへ投棄しにいかなくてはならないという決まりだった。

 そうこうしているうちに、二人は目的地へと到着した。名残は「ちょっと待ってね」と言って、両手でネットを持ち上げた。栗原は謝辞を述べると、少し腰を屈め、開いた隙間からゴミ袋を滑り込ませる。そうしてから、ぱんぱんと手を払った。

 栗原は「さて」と声をあげると、名残の方を振り向いた。

「じゃあ戻ろうか」

「そうね。あの、助かったわ。手伝ってくれて有難う。栗原くんは紳士なのね。きっと、もう少し背が伸びれば、異性から引っ張りだこになると思う」

 名残が心からそう言うと、しかし栗原は怪訝そうに顔を顰め、「冗談はよしてくれよ」と拗ねたように言った。どうやら揶揄われたと思っているらしい。心外だとばかりに名残は声を荒げた。

「冗談ではないのに!」

「いいかい、水瀬さん。君みたいな見目麗しい女の子が、あまり無闇に男を褒め立てるようなことは言わない方がいい。変に勘違いされてもしらないぞ」

「あら、勘違いって何かしら。栗原くんは一体どんな勘違いをしそうになったの? ねえ、後学までに教えてくれない?」

「……前言撤回するよ」

 にやにやと嫌な笑みを浮かべる名残に、栗原は言った。

「悪女にはなるなよ」



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