第二話「父親の」




 なんで私はこんな名前なの。こういうの、世間ではキラキラネームと言って白い目で見られているのよ。自己紹介の度に他人が仲良くなるための話のネタにされるのは、もう御免だわ。

 小学六年生の夏休みだった。

 茹だるような暑さの所為か、名残は実の母親に対して、そんな台詞を口にした。初めは些細な口喧嘩だったそれが、なぜ名前の話に行き着いたのか名残は覚えていない。けれど、だからこそ、きっとそれは積年の言葉だったのだろう。募る苛立ちに広くなった心の扉が、普段よりも少しだけ開いてしまっていたのだ。

 名残には、親から貰ったその名前がどれだけ大切なものか理解できていたけれど、それでも愚痴のひとつやふたつは大目に見られるくらいの苦労はしているとそう思って譲らなかったし、それを口にすることで頭ごなしに叱られる覚悟もきちんとあった。だから、母親を傷付けるかもしれないその台詞を放った自身に対して、後悔などは微塵も抱かなかった。

 しかし結果として、彼女が母親に叱られるような事態には至らなかった。彼女の母親はゆるりと苦笑を浮かべ、曖昧な態度で言葉を濁したのだ。

 そんな母親の対応にほっとした反面、まるで些細な問題だと言わんばかりのその態度が気に食わなくて、名残が怒りを増幅させたことは想像に難くない。むしろ叱ってくれた方がよかったとさえ思った。怒りのやり場がなかったのだ。まだ思春期も迎えていなかった名残には、己の内でくすぶるその感情をどう消化していいかわからなかった。

 けれど、どれだけ言葉が口を衝いて出たって、それでも言わないでいたことがある。どんなに酷い言葉を口にしようと、それを声に出すことは理性が許さなかった。

 自分は父親の残滓ざんしなのではないか。

 初めにそう思ったのはいつだったろう。ふと気付いた時には、名残は意識の底で自身の名前と父親のことを結び付けていた。しかし、それも仕方のないことだった。名残の父親は、名残が産まれるその一週間前に交通事故で死んでしまっていた。

 だから名残は思うのだ。父親が生きていれば、自分は今とは違う名前を授かっていたのではないかと。考えれば考えるほどに、名残にはそう思えてならなかった。

 父親の面影とか、遺物とか、忘形見とか、そういった諸々の意味を込めて、だから名残。亡き父が遺していったもの。残していったもの。それが自分。

 母に訊いて確かめたわけではない。けれど、一度疑い始めると、もう名残にはそうとした思えなかった。

 この世界にはもういない、亡き父親の淡い残像。

 その端っこの、一欠片の、残滓。



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