名残

歩隅カナエ

第一話「コンプレックス」




 水瀬みなせ名残なごりは自分の名前が嫌いだった。小学校を卒業し、徒歩で十五分ほどの距離にある地元の中学校に通うようになってからも、自己紹介の時には決まって腰が引けた。

 彼女が小学生だった頃も、年度初めなんかは特に億劫だった。退屈な式を終え、教室で何の変哲もない至って普通の自己紹介を終えると、しかしクラスメイト達はこぞって自分の机までやってきて、「珍しい名前だね」だの、「どういう意味があるの?」だのやかましく話し掛けてくるのだ。クラスメイト達が自分に対して興味を傾けてくれるというだけで手放しで喜ぶべきだと思う名残だったが、クラス替えやら進級やらで周囲の人間が入れ替わる度にそんな扱いを受ければ、流石に嫌気も差してくる。名残は昔から自分の名前により生じるそうした弊害が煩わしくて仕方がなかった。

 小学五年生の頃の話だ。

 クラスでたった一人だけ、夏休みが終わってもまだ名前について執拗に揶揄からかってくる男子がいた。とても活発で、一年を通して半袖短パンを着用しているような小学生然とした健康な子だった。その男子が懲りずに名残を揶揄うものだから、周囲の人間も遊びに混ざるように同調して、気付けば、名残は学校へ行くことさえ億劫に思うようになっていた。

 あまりの仕打ちに泣いてしまったこともあったが、彼らはそれをただの遊びの延長だと思って楽しんでいたから、たとえ名残が涙ながらに制止を呼び掛けようと、帰りの会で担任教師が注意を試みようと、その心ない攻撃が静まることはついぞなかった。

 名前が稀有なだけでこれだけの仕打ちを受けなければならないのかと、小学生ながらに絶望したことを名残は今も昨日のことのように覚えている。自分の名前が原因でそんな扱いを受けたというその記憶は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

 アイツがいなければ、みんなもあれだけしつこく揶揄ってくることはなかったかもしれない。

 アイツが、いなければ。

 そんなことを考える自分が名残は嫌で、だからその男子よりも自分の名前にこそ原因があるのだと、心優しい彼女はいつしかそんなことを思うようになった。その記憶は未だ名残の意識化に根深く残っていて、中学二年生になった今でさえ、彼女は自身の名前を述べること、そして呼ばれることに良い反応を示さない。

 名前ほど身近な言葉もないから、裂傷が消えてなくなるように、その傷が海馬の中で風化してしまうこともなかった。いつだって、そのコンプレックスは彼女の後を付いて回り、どうしようもない苛立ちをその胸の中に生じさせていた。多感な中学生にとって、それは途方もないストレスだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る