第3話 季節外れの櫻の花

じきに春が終わる。学校の庭に咲いていた桜のほとんどが花を落とし、新緑へ変わりつつあった。

「結局、先輩の願いって何だったのかな」

散ってしまう桜を眺めながら独り言を洩らしていた。


*   *    *


肌を刺すような寒さに身を震わせていた。

まだ雪は降りだしてはいないがいつ降りだしても可笑しくない空模様だった。こんな寒空の下、枯れた桜の木の下で3年生の紀国春香きのくにはるかは必死に祈っていた。一体何をそんなに真剣に祈っているのだろうか?

僕は自動販売機で買ってきたお汁粉を片手にそんな姿を眺めていた。

願いを叶えてくれる桜の木、それが目の前にある枯れている大木の愛称だった。願いを木の幹に刻み付け、その願いが叶うときはいかなる季節であっても桜の花を咲かせるというものだった。

けれど、紀国春香は木の幹に傷をつけることなどなく、祈りを捧げていた。

それも一日だけではなく、知る限りここひと月ほど祈り続けている。それをずっと眺めている僕も一体何をしているんだろうと言う感じがする。

あんなにも必死に願う願いの内容が気になっていたのに、それを聞くことは憚れる空気だった。聞いてしまったら、なんだか願いが叶わなくなってしまう様な気がしたのだ。

今日も桜の花は咲かない。

悲しそうな紀国春香を見るのも慣れたが気分のいいものではない。

「今日も来てるの?」

「うん、相変わらず変化はないよ」

いつからなのか僕以外にも紀国春香を眺めている人間が居た。彼女は吉野、名前は教えてくれなかった。

ショートヘアーの小柄な女子でよく怪我をするのか包帯などを常に捲いていて、顔にも傷があった。元々は綺麗な顔立ちだったんだろうなと想像しながら吉野の横顔を盗み見る。

「彼女はここの願懸けの仕方知らないのかな」

「知っているはずだよ。一度だけど僕も教えたことがあるから。でもその方法を試している所は見た事ないよ」

吉野は不思議そうに紀国春香を見つめていた。

「君は願懸けしないの?」

不意に視線を向けられて目が合う。前髪の所為でまじまじと吉野の瞳を見たことが無かったが、鮮やかな桜色をしていた。

「カラコン?」

パーンといい音を立てて僕の左頬がジンジンと痛む。

「私の目はどうでもいいの!」

どうやら目について触れてはいけなかったようだ。とても不機嫌になってしまったけれどそちらの方が気になってしまったのだから仕方がない。

「で?願い事がないの?」

「別に僕は無いよ、先輩のように必死に願うようなものは全くない。けど、そうだな―――」

願いなど関係なく、あの櫻が綺麗にに咲くところを見てみたかった。

「どうしたの?」

「やっぱり、何でもない」

僕は願いを口にすることを止めた。やはり言葉にしてはいけないような気がしたのだ。

「これ、君にあげるよ」

ポケットからぬるくなった缶に入った紅茶を吉野に手渡した。

「なんで?」

「あげたくなったから。これで僕は十分温まったからそっちはあげる」

空になったお汁粉の缶を見せて僕はその場を去った。チラチラと雪も舞い始め、本格的に冬の訪れを僕に伝えているようだった。

翌日、同じように紀国春香を待っていたが彼女は来なかった。いつの間にか部活にも顔を出さなくなっていた。受験生だから仕方がないのだと思い、教室に会いに行くことはしなかったのでその後どうなったのか分らない。

吉野もその日以降姿を見せる事は無かった。


*   *   *


「そう言えばあの枯れ木も今年で最後だったな」

枯れた木をいつまでもそのままにしておくのは危険だとして今年切り倒されることが決まっていた。だから、あの時の事を思い出したのかもしれない。

「乙名氏」

誰かに呼ばれたような気がしたのだけれど、渡り廊下には自分しかいない。

桜の木の側にも誰も居ない。

だけど、懐かしい声だった気がする。懐かしさを感じながら部室へ向かおうとすると、何故かポケットにはあの時の様な温い缶紅茶と桜の花弁が押し込まれていた。

何故か今なら吉野に会えるような気がして僕は枯れた桜の木の元へ走った。

まだ切り倒されていなかったあの大木は他の木々と違い眩し過ぎるほど鮮やかな桜の花を咲かせていた。

「……綺麗」

思わずケータイのカメラでその桜を写真に収めた。

一瞬、吉野が笑っていたような気がした。写真を確かめたがやはり彼女は映ってなどいない。

幻覚だったのかもしれないけれど、最後に彼女が会いに来てくれた様な気がした。

「さよなら、吉野……」





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