第5話 失われたゴールド免許
レキが息を切らしながら大慌てで叫んだ。
「な、何だ落ち着けよ。一体どうしたんだ?」
「いいから早くトラックを走らせてください!」
レキはそう言って左側に回り込み、勝手に助手席に乗り込んだ。何が何だか分からないが、ただ事ではなさそうだ。俺は一気にアクセルを踏み込んだ。
「ん? 何だ、急に天気が……」
さっきまで快晴だった空が、突然薄黒い雲に覆われ始めた。雷雲のようだ。今日の天気予報で雷注意報なんて出てたっけか? 気のせいか、何だか不安を煽られる空模様だな。
「呂助さん! そこ右に曲がって!」
「い、いきなり言うなよ!」
若干急ブレーキ気味に右折する。ちょうどそこまで迫っていた対向車からクラクションを鳴らされてしまった。
レキは何をそんなに慌てているのか。いい加減そろそろ説明を求めたいところだが、レキは自分の女神モバイルを真剣な顔で凝視していて、とてもそんな雰囲気ではない。
「そこ左です!」
レキが突然顔を上げて指差した。
「あ、ああ」
「スピードを落とさないで!」
「無茶言うな!」
レキは一体俺をどこへ連れて行こうとしているんだ。もしかして、物凄い逸材が見つかったとか? この辺には湯見野しか導かれし者はいなかったはずだが。
レキは再び青ざめたような顔で女神モバイルに視線を落とした。なんか、どこかへ向かっているというより、何かから逃げているような雰囲気を感じる……。俺の胸中に、何かとてつもない嫌な予感が渦巻いた。
「……!! 止まってえぇぇ!!」
「!?」
レキの絶叫に呼応するように、俺の右足はブレーキペダルを思い切り踏み込んでいた。
けたたましいタイヤの摩擦音。前のめりになった腹に食い込むシートベルト。
トラックは何かにぶつかる事もなく、その前進を止めた。当然だ、別に何も無いのだから。
「おい、レキ。本当に何なんだよ。走れって言ったり止まれって言ったり、ワケ分かんねえよ。ちゃんと説明を…………うおあああっ!?」
突然の大爆音。数十メートル前方の地面が噴火した……! 無数のアスファルトの破片が高々と舞い散り、その内のいくつかがこちらに向かって真っ直ぐ飛んでくる。
「危ねえ!」
「きゃあ!」
ボウリング玉ほどの大きさの破片が、フロントガラスを突き破ってきた。俺とレキは咄嗟に身を屈めて難を逃れた。
「だ、大丈夫かレキ? くっそ……本当に何だってんだよ! ……ん? あれは……」
俺は妙な事に気付いた。噴火によって大きく空いた穴から、人影のような何かが浮かび上がってきている。あれは一体なんだ? レキの方に目をやると、滝のように冷や汗を垂れ流している。
人影が着地した。ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「……チョコマカと逃げ回りおって。とうとう追い詰めたぞ」
やはり人だ。黒マントを羽織った厳つい老人だ。あいつ、もしかしてレキを狙っているのか?
「呂助さん逃げて! 魔王の狙いは呂助さんです!」
「……は?」
ま……魔王!? あのジジイが!? しかも俺を狙ってるって……。
俺が驚いている間に、魔王が右手を広げ、こちらに照準を定めるように向けてきていた。何かとてつもなくヤバい予感がする。
バックギア。アクセル全開。俺のトラックが猛スピードで後退していく。遙か後方からクラクションの音が鳴り響く。まずい、追突される!
更に追い打ちをかけるように、前方の魔王の手から光の弾が発射された。どうなるのかは分からないが、当たったら絶対にヤバいやつだ。
「うおおおおおお!!」
悲鳴にも似た咆吼を上げながら、ハンドルを左に全開。車体を横転寸前まで傾けながら、左側の広い空き地にトラックを突っ込ませた。
間一髪で、俺の目の前を光の弾が横切る。助かった……と思った瞬間、とんでもない事が起きた。
後ろから来ていた1台の車に、光の弾が着弾。その瞬間に大爆発が起きた。割れてしまったフロントガラスを突き抜け、爆発による熱風が俺の全身を突き刺す。
爆破させられた車はものの見事にバラバラになり、部品の数々が高く舞い上がった。もはや原形を留めていない。ましてや運転手の安否など、確認するまでもなかった。
俺は口をポカンと開けて、完全に固まっていた。今目の前で起こった事について、脳の処理が追いつかない。
視線を左にずらした。魔王が鬼の形相で、俺を睨みつけていた。そのあまりの威圧感に、俺の自慢のムスコが塩をかけられたナメクジのように縮み上がり、全身を鳥肌が覆い尽くした。
「ひ、ひいいいい!!」
来た道を引き返すべく、ギアを入れ直し、ハンドルを右にフルスピードで回し、アクセルを踏み込んだ。
「逃がさんぞ小僧!!」
魔王が走り出した。トラックはぐんぐん加速していくが、魔王もそれを受けて速度を上げる。チラチラとサイドミラーで後方を窺うが、ちっとも距離が離せない。ジジイのくせに、何て速さだ……! 絶対に追いつかれてたまるか!
その時、頭上で何かが強い光を放った。一瞬、またさっきの弾を撃たれたのかと思ったが、そうではなかった。
「くっそおおー!! 俺のゴールド免許を返せええ!!」
「そ、そんな事気にしている場合じゃないですよ呂助さん! 魔王がまた撃ってきます!」
「!」
左にハンドルを切ると、右側のアスファルトが爆発で抉れた。続けて右に切ると、今度は左側が爆ぜる。
まるで地雷原を爆走しているかのように、俺は度重なる爆発を蛇行運転で避けながら、何とか走行を続けていた。直撃は避けられているが、全く生きた心地がしない。
「くっ……な、何で俺がこんな目に……!」
「さっき女神様から女神モバイルで連絡が入ったんです。こちらの世界からデコトーラに何人もの救世主を送っている者の存在に、魔王が勘付いてしまったのだと。しかもそれが呂助さんの仕業である事も、こちらの世界に偵察に寄越していた手下からの報告で、バレてしまったようなのです」
さ、最悪だ……。確かに魔王にとって俺の存在は、目の上のたんこぶ以上に邪魔な存在だ。
しかしだからと言って、まさか魔王が直接俺を殺しに来るなどと、一体誰が想像出来るというのだ。
「な、何とかならねえのか!?」
「……ど、どうにもなりません。とにかく逃げ切ってください!」
「ぐぬぬぬ……!」
スピード違反、信号無視、追い越し禁止違反、一方通行逆走、ありとあらゆる交通違反を犯しながら、俺はトラックを走らせ続けた。それでも魔王は振り切れない。
そうこうしている内に、大きな街に入ってしまった。さっきまでの田舎の国道と違って、人や交通量も多く、追い付かれるのも時間の問題だ。
暴走トラックと老人の追いかけっこに、大勢の通行人の視線が釘付けになっている。そして俺の無謀運転に巻き込まれる形で、他の車が次々とクラッシュしている。
恐らくとっくに通報されているだろう。魔王から逃げ切ったところで、警察からは逃げられない。これでもう確実にお縄だ。
いっそのこと、警察でも軍隊でも何でも来てほしいところだが、その前に確実に俺が殺される。しかも、俺は更にまずい事に気付いてしまった。
「やべえ……ガソリンが残り少ねえ」
「ええ!? ど、どうするんですか?」
「このまま走っても逃げ切るのは不可能だ。それなら……イチかバチかだ」
俺は1度深呼吸して、覚悟を決めた。そして、ゆっくりとアクセルを緩めていく。
「呂助さん! スピードが落ちてますよ!」
「落としてんだよ……」
「な、何ですって!?」
トラックのスピードを落とし始めれば、当然魔王も距離を詰めてくる。落ち着けよ俺……まだだぞ……あの弾にだけ気をつけて、もっと引きつけるんだ。
隣で絶叫するレキを無視して、俺は前方にも注意を払いつつ、サイドミラーに映る魔王との距離感に神経を注いだ。
「よし、今だ!!」
俺はアクセルから足を離し、ブレーキペダルを踏み潰す勢いで蹴り付けた。タイヤが摩擦熱で煙を吐き出しながら、トラックを一気に減速させる。
「ぶはっ!!」
魔王の悲鳴と同時にこだまする、凄まじい激突音。トラックの急ブレーキに、勢い余って追突したのだ。
馬鹿め、車間距離を取らないからだ! それに追突事故ってのは、追突した側が100%悪いんだぜ? 俺は心の中で得意気に決め台詞を吐いた。
そして、俺のターンはまだ終わっちゃいない! 俺はギアをバックに入れ、再びアクセルを踏み込んだ。
逆回転するタイヤ。そして、今まで何度も感じた事のある、人に乗り上げた時の振動。それも後輪と前輪で2連打だ。確実に奴に2トントラックのボディープレスをお見舞いしてやった。
前方の視界に、再び魔王の姿が現れた。俺は一旦トラックを止めて、その様子を窺う。
魔王の黒マントには、無惨にもタイヤの跡がくっきりと付いている。轢いたのは間違いないようだ。
「ろ、呂助さん。やったんですかね……?」
「はは……あ、当たり前だろ。このトラックで、一体何人の人間をあの世に……じゃなくて異世界に送ってきたと思っ……な、なにい!?」
魔王が立ち上がった! だが、フラフラとよろめいている。致命傷ではなくとも、ダメージは与えているぞ。
「……小僧ぉぉぉぉ……! 貴様、絶対に許さんぞ!! ぶち殺してやる!!」
「……!」
ヤバい。滅茶苦茶怒ってる。どうする。また逃げるか? いや、ガソリンはもうほとんど空だ。ならば下りて戦うか? 勝てるわけねえだろ! 考えろ。俺に今出来る事は何だ。俺の武器は何だ。答えは……1つしかねえだろうが!
「うおおおおおお!!」
その答えにたどり着くよりも先に、俺はトラックを魔王目掛けて真っ直ぐに突っ込ませていた。
「がはっ!!」
やった命中! 奴を撥ね飛ば……せてない!
魔王はフロントに張り付き、吹っ飛ばされずに持ち堪えていた。俺のすぐ目の前に、血も凍るような魔王の恐ろしい顔がある。こんな異常なシチュエーション、海外のパニック映画でしか見たことがない。
「くそ、落ちろ! 落ちろてめえ!」
俺は魔王を振り落とそうと激しく蛇行運転するが、一向に落ちる気配がない。
魔王が腕を伸ばし、俺の首を掴んだ。凄まじい握力だ。完全に俺の呼吸が遮断された。
「あぐ……か……は……」
「さあ、死ね! この魔王に牙を剥いた愚かな人間め!」
痛い。止めてくれ。苦しい。死ぬ。死んでしまう。意識が遠のいてきた。今までの人生が走馬灯のように脳を過ぎる。もう……駄目だ……。
「呂助さん! 前! 前ぇーーー!!」
再びレキの絶叫。前……? 前がどうしたって……。
次の瞬間、体がバラバラになったかのような一瞬の激痛と共に、俺の意識はブレーカーが落ちたように飛んだ。
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