0ー8

 菫はオレの家で寝泊まりするようになった。

 両親にはアイツの家庭のことも考慮し、離婚が成立するまでの間だけという条件で了承してくれた。

 オレたちのことはあくまで秘密だった。よくわからんが、そのほうが萌えるらしい。


「えへへ……ありがとう、美鶴」


 シャワー上がりの少女が嬉しそうに頭を垂れて、もじもじと肩を寄せてくる。久々に笑顔を見た気がする。

 風呂上がりの髪から匂うシャンプー香りが、とくんっと胸を撃つ。

 それにいいようのない庇護感に駆られた。

 この少女を守りたいと、素直にそう想う。

 滲み出る涙の欠端が頬を伝い、そっとそれを拭ってやる。握られた指先はまだ震えていて、異なる肉体の重なる温度は、特に恥ずかしい気はしなかった。でもそれは、一時の酔いでしかない。

 だってそれはオレにとっての麻薬だったからだ。

 アイツの首元から薫る甘い匂いが、オレの神経を摩耗させていった。

 状況は変わらなかった。アイツを取り巻く環境は以前に増して土砂降りだった。

 いつだったろうか。部屋の扉は開いていて、なかに眠る少女の屍が、雑然とした雰囲気のなかで粘着質なヘドロを撒く。部屋は荒らされていた。入り浸った残骸の真ん中で、糸を切られた操り人形が、ぎこちなく首を回す。


「……あ、」


 ピエロのような戯け顔をこちらに向け、少女は微笑んだ。

 口角がつり上がった表情は、筋肉を無視して痙攣気味に歪む。

 あからさまな狂気を孕んで、まるで獲物を見つけたかのように彼女は嗤う。

 滲り汗が耳裏を滴る。無意識に退いた血の気が、警報を鳴らす。

 ―――ヤバい。

 身体の平衡がズレる。途端、体重が前のめりにかかり、オレはアイツの胸に倒れ伏せた。柔らかみのある熟れた果実が、悩殺な芳ばしさを発し、純白の貞操が歪む。すみれはきゃっきゃっと腕を絡め、オレを抱き締めた。

 尋常じゃない力が、肩を軋ませる。


「――おい、なにして――」


 衣服にこびり付いた愛しい匂いに鼻が麻痺する。道化の笑いが頭に響いた。

 赤子に謳う、子守唄のように。舌が這う。


「――お母さん、しんぢゃった……」


 その言葉の意味を理解する余裕はなかった。

 軽やかな重みが身体に掛かり、眉唾が喉をすり抜ける。頭を強く打ちつけて、視界が揺らいだ。暗闇が首筋をさすり、蜜が滴る。


「――美鶴は……美鶴は遠くへ行かないよね……?」


 ゆっくりと吐息がかかる。囁きレクイエムが鼓膜を犯す。全身の感覚がスイッチを押したようにびくっと跳ね返る。

 ぎちりと腕をつかまれた。機械染みたその動きに、本能的な恐怖が波打つ。


「嫌だよ、美鶴までいなくなったら、私は――」


 少女の瞳は白銀の繊維で隠されている。剥き出しの鎖骨から、僅かな汗の馨りがあふれ、黒く鈍化した感情が浮上する。

 唾液が垂れる。まるで餓えた獣が躾けられるように、か細い意気が胸に触れる。


「――ねえ、美鶴」


 少女は不適な笑みを浮かべ、オレの眼球に接吻した。脳内麻薬が分泌して、何千倍もの感度が襲う。

 オレは、オレの脳は。その姿を見て思ってしまった。


 美しい、と。


 腰元の濡れた感覚は、まるで合図のように。肉薄した感触は艶やかで、しっとりと厭らしい。

 見開かれた目の先に、は抗うことができなかった。

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