0ー7
高校に入ってしばらく経つ頃だったか。梅雨の季節。
雨の日だった。
そう、あの時はオレも、強すぎる雨に遮られた彼女の本心を、傘で支えてやれることに気付けなかった。
忘れ症のくせに珍しく傘を持ってきていたオレは、帰り道に軒下で雨宿りするアイツの存在に気付いた。
雨空に瞼を見上げるその横顔は、信仰厚い修道院のように助けを請うている。背後に朽ちた教会でもあれば、さぞ絵になるだろう。前髪に滴る雫が哀しげに満たす。走っていたのか、湿気を含んだ長い髪が表情を隠している。
虚ろな視点は今日の空模様を眺めていた。雨粒が滝のように流れる。
「――、……」
イヤフォンから流れる愛唄は雨に濡れたアイツに掛けるはずの想い。
けれど、それを臆病なオレがそれを遮ってしまう。
――ああ、今日も駄目か。
「なにしてんだ?」
乾いた声は、いつもと変わらない日常の一コマ。その表情も、声のトーンも。繰り重ねるフィルムを切り取り、繋げているだけ。
「……」
アイツの失望が目に浮かぶ。そんなことおくびにも出さないくせに、オレの心は抉られた。
「うん、ただなんとなくね……濡れたかったの」
ポーカーフェイスのシンデレラ。ガラスが一つ、堕ちていく。
「……ほれ」
制服から透ける胸元を見ないように心がけながら、半分傘をあける少年に、少女は応えない。まるでオレを試してるかのように。
「……っ」
上目遣いの僅かな棘。仕方なく傘を閉じて、濡れたタイルに座る。
アイツの横顔は依然として変わらない。
けれども、瞳が請うた。ねえ助けて、と。
沈黙が雨音を跳ねる。我慢比べは苦手だった。滲んだ汗が首筋にかかる。
オレが、俺ごときが。彼女に与えてやれる言葉などない。当時のおれはそんなくだらない価値観を敷いて押し黙った。
それでも、逆に肩の力を抜いたように、やがて彼女の吐息が掛かった。
脱力しきったその表情に、俺は目を伏せる。
「……親がね、離婚するって」
知っていた。オレが敢えて口にしなかったことをアイツは語り出す。疲れたようにため息を吐いて、自嘲気味に呟いた。
心臓が早鐘を鳴らす。言え。お前の想いをいま、ここで――。
中学を卒業する前から、両親は激しく口論するようになっていたらしい。ぎくしゃくした家庭に少女の居場所はなく、家に帰ることも億劫になり、最近はネットカフェで寝泊まりする始末だ。
「どうしてこうなっちゃったんだろう。二人とも仲良しだったはずなのに」
疼くめる顔は変わらない泣き虫のままで。妖精のような霞んだ瞼は雲がかかる。初めて語った本音はいとも容易く欠けそうで。力の入った拳に血が滴る。
オレには何もできない。家庭の事情は、子ども一人の手では解決など不可能である。
無理だ出来るはずがない無力なオレになにができることがあるかお前を救い――それでも。
オレは心の底から彼女を想っていた。少なくともあの時は、そのはずだった。
そうして、オレは罪を犯す。
「結局、他人は他人なんじゃないか」
顔を上げるアイツの瞳は何色だろう。失望か、それとも――
身体は勝手に動いていて。恥ずかしい台詞がほいほい流れ出す。上辺だけの感情を、その時は本物だと信じていた。
「親なんてどうでもいいだろ。お前はおまえだ」
互いに濃度は精密で、分け合うように口を翳す。
付き合おう、そういって涙する少女の身体を抱き締める。
触れたアイツの唇はとても柔らかかった。
だけどそれは、一時の鎮静剤でしかない。それを俺は追々痛感することになった。
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