0ー6

 中学に入ると互いに触れ合う時間は減ったが、幼なじみとしての関係は変わらなかった。

 同年代のまえで二人仲良く帰ろうものなら、公開処刑ものだったが、あいつはそういった距離のとり方が上手くて周囲を見計らっては、微妙な距離感を保っていた。

 にこやかに笑うあいつの目はきらきらしていて、眩しかった。

 早めの成長期のおかげで少し大人びたあいつは胸元も大きくなって、オレはそんな彼女をなんとなく異性として認識し始めていた。

 そうしてあの時期、あいつに変化が訪れた。

 まっさらに純粋だった心はほこりを帯びて、水晶が風化とともにひび割れる。

 それは一見、女子特有の世間体への愛想だと思った。年齢に従い本心に仮面をつけることは誰にでもある。

 でも、オレはそんな彼女に違和感を見いだした。

 極微かな、しかし確かな感覚が、ちりっとうなじのあたりに走った。

 最初はそれがなんなのかわからなかったが、日を増すごとに、それは確かなものへと変わっていった。



「いいよなぁ、穂波さん」


 午後の体育の授業、グラウンドで1.5キロのマラソンを終えたオレは、水分補給を兼ねて体育館脇にある水道へ脚を運んだところ、絶賛サボり中の通称、三バカが、なにやら熱い議論を繰り広げている。


「おまえら、こんなところでなにやってんだ?」


「おお、御手洗ィ! お前もこっちこいっ!」


「……?」


 首を傾げ、疑問符を浮べながら水を飲み終えると、三バカの群がる場所へ顔を入り込ませる。彼らの視線の先は体育館のなか、女子が行っているバスケットの試合……ではなく。


「うはぁーっ! 赤坂の胸ヤバっ!?」


「バカ野郎、綾ピーの子鹿のような脚だろぉぉぉ!!」


「いやいや、拙者はゆいゆいの太股……」


 ふんかふんかっ、と鼻を鳴らす頭お花畑のバカ達は、女子のボディラインが目当てらしい。白熱というか熱中する男三人組に、あきれ声すらでない。

 まったく思春期という年頃はやけに異性に対しての関心が強い。このなかから犯罪者が出ないことを切に願わずにはいられない。


「くうぅ~、あの育ち盛りの胸……!」


「しなやかな身体と色白の肌!」


「「「いいよなぁ」」」


「……はあ、アホらし」


 さすがにこれ以上こいつらと一緒にいたら、あらぬとばっちりを喰らいそうなので、はっきりいって興味のなかったオレは、そそくさとその場を立ち去ろうとする。

 アホを尻目にばかばかしいとかぶりを振って、大股に地面を蹴る。

 性格や容姿、ヤリたいかそうでないか、くだらないことを駄弁る気は毛頭ない。


「待ていっ、御手洗。まだ話は終ってねえ! おめえも同志だろ!」


「話してねーだろ。つか、いつからオレも加わってんだっ!」


「まあまあそういわず、御手洗殿も高みの見物をしようではないか、デュフフ」


「御手洗は誰がいいと思う? 俺は断然綾ピーかな」


 綾ピーって誰だよ、危うく突っ込みそうになるのを堪えて、無表情を保つ。


「くだらねえ。ていうか、お前らいい加減にしないとチクるぞ」


 すいませんでしたぁ! と一斉に土下座を繰り広げる3人を素通りして、今度こそグラウンドへ戻る。

 干上がった花崗岩質の砂がじゃりりっと音立てる。踏み固まったそれを蹴り上げ、表への横扉を盗み視る。なんとなく視線が行っただけだが、ちょうど向かい側の内で、センターサークルから速攻スリーポイントを放つアイツの姿が目に入った。

 ボールは綺麗な放物線を描き、乾いた音ともに点を決めた。無邪気な笑顔が揚がり、チームメイトの黄色い眼差しに抱擁している。途端、オレの顔が曇る。偶然そのとき、あいつと目が合ったのだ。一瞬、表情の違う微笑みがオレを視た。すぐに、戻したけれど。


「あ、御手洗じゃん」


 仲間と一通りハグが済んだ後、今さっき気付いたみたいに声をかけてくる。苗字で呼ぶのは、2人で決めたことだった。お互いに学校ではそのほうが楽だと、すみれから提案してきた。がら空きの横戸をまたいで、てくてくにじり寄る。


「……なんだよ」


 渾身のこないでアピールも虚しく空振り、あいつに笑いが漏れた。可愛い、とか思ってない。うん、絶対。

 後ろに手を組み、上目遣いに見詰めてくる仕草は反則だろ。あざとく胸を強調してくる少女の視線を危うく躱し、紅潮気味の頬を筋肉で誤魔化す。


「なぁに? その他人行儀な態度、そんなに他の子に視られるのが嫌?」


「べ、別にそんなじゃねぇし……つか、学校で世間話ってどうなんだよ」


「ふふ、そうだね」


 くすくす腹を抱える少女の顔はいつも通り明るい。他愛もない話をして、甲高い声をまき散らせて、肩を叩いてくる。痛てぇ。

 いつもと変わらない、そんな姿がなんとなく苛立たしい。「いつも」なんてどこにもない筈なのに。

 確かにそれは年齢に伴って備わる表情の隠し方だった。内面に本心を仕舞い、フタをする。

 そうすることで「自分」というものを隠そうとしていた。

 いつも明るくクラスの人気者。男女問わず好気の目線がかかる毎日。

 完璧な性格、完璧な容姿。みんなの憧れるヒロインA。

 ――反吐が出る。

 目尻に笑涙を垂らす、その表情にすこぶる嫌悪を抱いた。

 ほんの微かなSOSに、俺は気付かないふりをする。見え透いた嘘ほど単純なものはない。けれどそれを暴いたところで、俺がしてやれることはない。


「なあ、なんか最近変だろ、おまえ」


「……そんなことないよ」


 けろっと舌を出す白雪姫は、はにかんだ笑みを浮べる。おどけた態度に虫唾が趨る。

 だがオレはそれ以上を聞かなかった。たとえそれを聴いたとしても、オレがアイツにしてやれることなどないからだ。

 その考えの誤りにオレは気付けない。これが最善だと自信を制する。


「……そうか」


 そうして翳りを帯びるアイツの心を拭えないまま、時だけが流れた。


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