9ー2

 意識的に上体を跳ね上げる。シーツから洩れた微量の粒子が、垂れ布の隙間から差し込む陽日に照らされる。


「……ゆ、め?」


 肩がせり上がって、上手く空気を吸い込めない。全身の穴から汗が噴き出し、だらだらと皮膚を覆う。

 荒い呼吸をゆっくりと落ち着かせて、ようやく現実に帰還した。まるで現実に起った出来事のようなリアルさが、脳裏に焼き付く。

 頭が混乱し、まるで自分が傷を負ったのかのように、脇腹がずきずきと痛む錯覚が厭な汗をただれ落とす。

 むせかえった喉を水道水で留め、おぼつかない足取りで浴室へ向かう。


 ザーッ。


 如雨露から水音が跳ねて、ぽたぽたと少女の思考を落ち着かせる。曖昧になった夢など、気にしなくなり、力ない身体を起き上げる。


 あれから何日経っただろうか。雨はいまだ止まず、私の心はずぶ濡れだった。結局、彼と会えないまま、小豆はかつての家で途切れ途切れの日々を過ごしている。

 鏡張りの自分はいつからか腐っている。長かった髪もいつのまにか切り落とされ、目元には隈が溜まっている。茶柱という保冷剤を失った身体は、いまにも事切れそうだ。力なく寝室へ渡る。

 もう一度ベッドに蹲り、思いを馳せる。瞼を閉じた瞳の奥で、華奢な面影を見いだし、そっと触れる。


「……っ」


 頭のなかの君は、私に微笑んで囁くの。

 ――どこがいい?

 恥じらいながら、私は彼の手を導く。脚の間に指が消えて、優しく撫でる。

 ――ここ。

 優しい君は、きっといたわるように触れて。悪魔しょうじょ嬌声こえが儚く鳴く。綺麗な指が淫らに濡れる。

 ――あ、そこ――っ! 

 涙目のヘイゼルが吠える。下の谷間が開き、甘い蜜が零れ、溢れる。

 ――ふふっ、気持ちいい?

 意地悪に君が聞く。そのパールにあえぎを上げてキスするの。唾液を吸って、髪を乱して、そうやって何度もなんども。執拗に。

 ――ねえ、もっとして。もっと。

 甘えるように、偶像しょうねんを見詰める。とろんっとした口は、だらしなく蜜を垂らして、彼のものと混じり合う。

 ――逝きたいの?

 ああ、口から短い息が垂れる。感度が最頂点に達し、瞳を見開く。

 ――うん、シて。きて。

 指をかき乱し、犯して。犯されて。最後にアツいのを貰うの。

 これが私のなかのすべて。もうどうしようもなく続く生き地獄。瞳を開ければ、君はいない。生臭い液体がシーツを汚す。

 解ってる。こんなものは惨めなだけだ。別に意味なんてない。

 でも、寒いの。恋しいんだ。どうしようもなく君を想って、その想いに押し潰される。

 どうして。どうして彼は来ないのか。こんなにも私は彼を待っているのに。君を想ってるのに。そうして幾度となく自慰に励み、報われない衝動を抑えつける。


「……会いたい」


 頬に一筋の熱いものが伝い落ちる。このまま消えれたらどんなに楽だろうか。あなたの残像に縋るように、顔を伏せる。 




 ……私を助けてよ。




 ピンポーン。

 無機質なチャイムが鳴る。小豆はびくっと体を跳ね上げた。羞恥からくる焦りが、背筋をピンッと伸ばす。

 こんな時間に誰だろう。いや、そもそも私を訪ねる人間などいるのだろうか。なぜか着替えを済ませた後、無骨に眉を顰めながら、扉を開ける。


「……はい、どちらさま――」


 社交じみた言葉は、途端に聞こえなくなる。自動的に扉が開け放たれ、彼女、、が姿を現せる。

 銀色の絹が可愛らしく覗き、人形染みた漂白の手脚が幼く跳ねる。


「……始めまして、御手洗小豆さん」


 純粋な日本人とは似ても似つかない西洋染みた顔立ち、どこかでみたことのある彼女は、とても綺麗で。差しのばされた腕は、かつてみた恋人のように儚く、そして――。


「お茶しましょ?」


 その瞳は、魅惑的に琥珀していた。


「……え?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る