6ー4

「……ぱい、起きてください先輩っ!」


 悲鳴にも似た少年の叫びに、私は閉じていた瞼を持ち上げた。湾曲した音声が脳内に響いて、頭を軋ませる。少年に肩を支えられながら上体を起こす。


「……ここは?」


 頭がぎんぎんと痛む。目眩を堪えながら辺りを見回すと、そこは普段誰も近寄ることのない旧校舎の教室だった。見慣れた栗色の髪が、心配そうな声音で囁きかける。

 大丈夫ですか、後輩の肩を支えられてなんとか立ち上がった私は、まだ眩む視界を瞬いた。


「あれ、茶柱くん。なんでここに……?」


 頭がぼうっとする。思考が廻らない。状況が掴めないまま、唯一わかる想い人の手を握った。


「僕は――鳥の絵を描いてたんです、先輩は?」


「えっと、あたしは――」


 考えながら、疑問に思った。自分はいったいなぜここにいるのだろう。

 目的があってここに来たはずだ。でも、それがなんだったのか。想い出せない。頭に靄がかかる、とでもいうのだろうか。

 確か人を捜していて、それで――。

 胸に引っかかったような違和感に眉を潜める。その答えを求めるように恋人を見やった。

 朧気な記憶を必死に呼び覚ます。


「さっき――誰かと話してたよね」


 掠れ出た記憶の片隅には、確かに女の声があった。妙な汗が頬を伝い、床に垂れ落ちる。

 だが、次いで放たれた言葉が、少女の思考回路を完全に遮断させた。


「――なにいってるんですか?」


 訝しげに眉を歪める彼の声音は恐ろしいほどに冷淡で、まるで意図的に阻害するように少女を見詰める。


「ここには誰もいませんでしたよ」


 そんな顔を見たのは初めてだった。全身から恐怖という感情が底無し沼のように少女を襲う。眉唾を飲む音が鮮明に聞こえる。

 いいようのない強制感を醸すその表情に、私は無意識に気圧された。


「……あ、ああ、そうだよね」


 嘘だ。直感的にそう思った。だが、小豆はそれを覆せない。茶柱が優しげな笑顔を浮かべて、微笑んだ。肉欲に溺れた少女に抗う術はない。


「あなたは僕だけを見てればいい」


 そうして少女は、その瞳に微笑み返すのだ。口が自然と動く。和やかに笑う瞳の奥に『私』はいない。


「――うん、わかった」

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