6ー2

 午後から授業は朝とは別の要因で私の集中力をいた。といっても、大学の推薦は夏の終わりに決まっていたので、少々サボってもさほど影響はない。

 放課後になって、梨花の部活が終るまで暇になった私は、茶柱のいる保健室を訪れた。大股に仕切りをまたいで、入室する。


「お~い、茶柱くん――って、あれ?」


 しかし、中へ入ってみると、出迎えてくれるはずの想い人の姿がない。いつも座っている簡易ベッドの上には、彼のスケッチノートの切れ端が鎮座していた。


『買い出しに行きたいので、先に帰ります。 茶柱』


 メールでも良いのにわざわざ書き置きを残してくれる少年に少しばかり頬を膨らませつつ、さて、どうしたものかと思考を巡らせる。

 廊下を渡って左階段を下り、暇を持て余した小豆は仕方なく行き着いた図書室で、時間をつぶすことにした。

 放課後の室内は、人数もまばらで当然だがとても静かである。受付の文芸部員を一瞥したあと、手頃な席に腰掛けて、鞄から本を取り出す。

 古びた表紙が顔を出し、埃っぽい匂いが年月を醸し出している。

 久しぶりに読むその本は、やはり前よりも分厚くなっていて、非常に興味深い。栞の挟んだページを開いて完結間際の段落に目を通す。


「――」

 


 イタイと感じたのは、まずその情景だった。

 膨大な情報が圧縮され、読み手に内蔵される。



 気が付くと息が上がっていた。

 著しく集中していた所為か、すっかり本の世界に入ってしまったようだ。数ページしか読んでいないはずなのに、随分と長く読みふけったらしい。

 深く息を吸い込んで、気持ちを落ち着かせる。

 吸い込まれた。いや、違う。思考が投影トレースされたのだ。まるでその情景を体験したかのうように、この本の主人公と意識を同調するのだ。

 原因は分からない。そもそも私の単なる妄想かもしれない。

 できればそちらの面は否定したところだが、やはりこの本にはどこか不思議なもので満ちているらしい。

 時計を眺めると、もう部活は終っているようだ。今日のところはここで終いにして、本を鞄に入れ直したあと梨花のいる部室に向かう。


 夕暮れに染まるグラウンドでは、まだ野球部が泥だらけになって練習を続けていた。体育館の隣に位置する部室は、指導が行き届いているのか、隅々まで掃除が行き届いている。

 最近こそ脚を運ぶ機会は少なかったが、茶柱と出会う以前は、梨花を迎えによくきていた。

 ドアノブを回して、なかを覗きみる。


「すみませーんっ、梨花いる?」


 更衣室で着替える桜色に塗れ、緋色の友人を捜す。


「あっ、御手洗先輩っ! お久しぶりです」


 くいっと活発的なセミロングが顔を出す。梨花のかわいがっている二年の後輩だ。梨花を介して、たまにお茶をしている。


「ごめんチカちゃん、梨花と帰る約束してたんだけど」


「梨花先輩ですか? 先輩なら、さっき教室に行くって言ってましたけど…」


「了解、ありがとう」


「あ、御手洗先輩、今度お時間あればお茶しませんかー?」


「うん、日時が決まった連絡するね」


 そういって後輩の誘いをなんとなく流しながら、教室へと走り出す。梨花のやつ、メールするっていったくせに。携帯を見るとその限りではない。早くしないと、行きたいお店閉まっちゃうじゃないっ。

 ぷんすこ歩きながら教室に向かっていると、階段の角から、見慣れた栗色の髪がちらついた。


「あれ、茶柱く――」


 先帰ったんじゃないの、と口を開き掛けた一刹那の後、次いで見えた人影に、小豆は咄嗟に口を閉ざした。

 短めにカットされた髪に緋色の瞳。鍛えられたしなやかな筋肉は、三年間のたまものである。

 捜していた人物がそこにいた。だが、なぜ彼と。接点のない異質なコンビに、少女は困惑した。

 エメラルドの瞳の想い人。その隣に並び歩く緋色の乙女。

 その姿は紛れもなく親友の松風梨花であった。

 反射的に壁に隠れて二人の様子を窺う。こちらに気付いた様子はない。なにか喋っているように見えるが、この距離だと定かではない。

 先に帰ったはずの茶柱と、一緒に帰るはずの梨花。

 疑問が頭を循環するが、応えてくれるものはいない。

 そうこうしている内に二人は廊下を渡り、小豆の視界から遠ざかってしまう。


「……あの二人って知り合いだったっけ?」


 なんとなく嫌な予感を抱えて、そっと後を追う。紅蓮に染まる二人の横顔に、切なさを覚えた。

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