第6話 『堕ち逝く日常』

 学校は監獄である。

 同じ服装で、同じ教室に、全く違う人間が集まる。まさしく異様だ。表向きは平等だなんだと謳っているが、性別、容姿、親、境遇……。

 それら全てが違う個体に対して、果たして、それは成り立つのだろうか。

 能力が全く違う人間が、同じカリキュラムを延々と作業的にこなすのは効率が悪すぎる。優秀な人材には自由を、そうでないものにこそ教育をすべきではないのか。

 とにかく、私は一刻も早くこの退屈な授業が終らないか思案しているのである。

 日々の授業がこれほど憂鬱になることは滅多にない。ノートさえ取る気にならず、呆然と教師の説明を聞き流して意味もなく窓を眺める。

 すっかり冬の浸透した外は、木々の落とす葉もなくなり、なんとなくわびしさを感じた。

 いや、あるとすれば、あの可愛らしいメジロだろうか。裸樹の枝に隠れた小さな冬は彼が好きそうだ。

 まったく、授業中だというのに、気を抜くとすぐに茶柱のことで頭がいっぱいになる。

 想い人がここにいないことが、なにより退屈なのだ。授業は大切だが、それよりも彼と過ごす時間の方が、いまでは小豆にとって欠かせないものになっている。

 いつの日から、彼なしでは生きていけなくなった自分に少々ばかり頬を赤らめて、照れ隠しのため息をつく。

 そろそろこたつの時期だな、どうでもいいことを考えながら、頬杖を突く腕を替える。

 まだ大人になりきれない学生という身分は、いささか心苦しくやりきれない。

 億劫な日常が早く過ぎないものかと、思いを馳せる恋する乙女。

 人付き合いが嫌いなわけではない。ただ気兼ねなく話せる人間が数えるほどしかいない少女には、ほぼ全ての人間に等しく愛想笑いをしなくてはならないのだ。


「……ずき、……あずきさ~ん?」


「……はあ」


 再度、大きめのため息を無気力に吐いた直後、天罰が下った。


「……って、聞いてんのかコラァッ!!」


「――オフッ!?」


 重い一撃が小豆の頭を直撃する。なにが起ったのか判らなかった小豆は頭を抑えて視線を上げる。

 口元の筋肉をへの字に曲げて視線を仰ぐと、見慣れた少女が腕を組んで嫌な微苦笑を浮かべていた。なぜか眉をびくつかせている。


「……な、なにするのよぉ」


「なにするのよ、じゃないわよ。アンタ朝からずっとぼーっとして……もう昼休みだよ」


 たじろぐ私に、声の主はため息混じりに応える。周囲を見渡せば、授業はすっかり終っていて、クラスの女子たちが固まって和気藹々と昼食をとっている。腹の虫をくすぐる、良い匂いだ。


「――あ、え? もうそんな時間?」


 きょどる小豆に向かって、少女はため息を吐いた。

 ほれ、と柔らかい感触が突き出される。頬のそれをありがたく受け取ると、親友の梨花ははにかんだ笑みを浮かべた。あらかじめ購買で買っておいてくれた焼きそばパンは、炭水化物のオンパレードだったが、美味しかったので大目に見よう。

 梨花はというと、前の席に腰掛けて豪快にコロッケパンにかぶりついている。お、男らしい。ばくばくと平らげていく姿は、昭和の不良みたいだ。

 心配と訝かし半分の目つきを向けてくる。


「まったく、最近多いわよ。寝不足なんじゃない?」


「そんなことは……ある」


「あるんかい、まあ、どうせ愛しの後輩くんに寝かせてもらえないとかそんなんでしょ」


 梨花は皮肉紛れに言ったつもりだろうが、生憎大当たりだったので、ぎくりっと視線を逸らす。固まった小豆の表情を、少女はどう受け取ったのか知らないが、目を見開いて、あんぐりと口をあけた。


「……はぁ、はいはいご馳走さま」


「ち、ちがうってば〜っ!」


 必死に弁解を試みたが、親友はお幸せに、とかいって聞く耳を持たない。待ってやめて、変な噂広げないで。


「はぁ、お姉さん悲しいよ」


 そういった割ににやついた表情の梨花は、両手を挙げてわざとらしく息を吐く。あんさん同い年やん。


「小豆がこんな不良になってしまうなんて……」


「べ、べつにそんなわけじゃ――」


「で、どこまでヤッたの?」


「うん、語弊があるよ」


 なんとなく先ほどから妙に視線が痛いが、あえて見ない振りをする。同級生たちの耳が近いことは、この際ムシだ無視。


「まあまあ、いいじゃないか。私たちの仲なんだし――全部はき出せ、コノヤロウ」


「はぅぅ~っ」


 私の数少ない……というか唯一の親友は、こうやっていつも私の日常を彩ってくれる。本当に良き友だ。

 短めの髪を吐息のかかるほど近くまで寄せてきて、あることないこと謂わせようとすること以外はだけど。


「あ、そうだ」


「ん?」


 あと少しで醜態を曝す羽目になりかねた直前に、思いつきを口から漏らす。


「こんど久々に出かけようよ、二人で」


「なんだい、私にサプライズでも送るの?」


「それじゃ、梨花を誘う意味ないでしょうが。じゃなくて、単純にふたりだけで遊ぼうよ」


 そういえば最近、彼女と出かけることもめっきり減ってしまっていたのだ。恋人ができると、こういうところに弊害が出来るのが難だ。


「う~ん」


 眉を捻る親友に少なからず、不安を覚える。


「あ、ごめん。急に変だった?」


「いや、私は別にいいけど……」


 一度こちらに目を移して、言いづらそうに噤む。


「後輩くんはいいの、ってこと」


「……え」


「あ、あたしだって、遠慮くらいする……んだけど、いわせんなバカ」


 ぴくっと甘美な電流が奔った。眼前の少女を頭のてっぺんから脚の爪先まで凝視する。

 もじもじといつになく女の子染みた彼女の姿。脚元を擦らせるその表情が、この上なくかわいいと思ってしまったのは、私だけの秘密である。


「じゃあじゃあ、今度といわずに今日、遊びにいこうよっ!」


「ええっ、今日!?」


「だめ?」


「駄目ってわけじゃないけど……部活がね」


「あれ、梨花ってもう引退したんじゃなかったの?」


 夏休みも開け、大会も落ち着いたこの時期、多くの三年生は、受験に向けて部活を引退するのが通例だ。梨花の所属するバドミントン部もまた、そのはずなのだが。


「いやぁ、引退はしたんだけど、まだまだ一年の面倒見なきゃいけないんだよ。ほら、用具の手入れとか、使い方とかさ」


「ああ、なるほど」


 照れくさそうに頭を掻く梨花に柔らかい笑みを浮かべて、納得する。面倒見のいい彼女のことだ。自主的に練習に参加しているのだろう。

 普段ならここで食い下がる小豆なのだが、今日の彼女はひと味違った。


「……よし、じゃあ梨花が部活終るまで待ってるよ」


「おっけい――って、ちょっと待って。なんでそうなるのよ?」


「ん~? 今日がいい……から?」


「なんで疑問形?……はあ、わかったわよ。なるべく早く切り上げるから、終ったらメールする」


 いつにない親友の積極的なアプローチに、どことなく戸惑う梨花。それを尻目に小豆はなんとなく廊下を眺めるのだった。

 栗色の繊維がわずかに発光する。

 それは一瞬だけ見えた、恋人の残像をだった。


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