5ー2

 数時間後、晴れ渡った空の照り光る海面に揺られ、鉄塊の浮遊船が海を渡る。広島駅から直通の市内電車に乗り、1時間弱。降り立った港から往復の乗船券を買って、紅濃の古島へと帆を上げる。


「うっはぁ、きれい」


 僅かに軋むブリッジに、落ちないようしっかりと手すりを握って、身体を押し上げる。

 ふわりっと短めのスカートが舞い、チュニックの危うさを孕ませた輪郭アウトラインが、華奢な太股の肌をほんのりと晒す。南北の山から送られてきた瀬戸の少し乾き気味の空気は、秋雨前線の便乗で程よい湿度を保っていた。


「晴れてよかったです」


 この旅の発端者である少年の声が背後からかかり、振り向く。塩気に当てられて、さっきより少しうつむきがちの茶柱が隣に位置した。


「寒くないの?」


 十一月も後半だというのに、薄い白シャツとジーンズといった軽装備の少年に、若干の苦笑をおぼえる。肩には少し大きめの鞄を提げていて、これが彼の戦闘スタイルだ。


「どうせこれから汗かく予定なので」


「なにそれ、聞いてない」


「あ、見えてきましたよ」


 そっけなく話を振りきった少年は、興奮した面持ちで腕を振る。おい、と目を細めるが、壮麗な一差し指の立つ方角に目を向けると、そんなものは一瞬で消えてしまった。

 右舷前方に聳え立つ緋の大鳥居が、その巨大な体躯を6本もの支柱で見事に仁王立ちを遂げていた。それをきらびやかな眼で眺める一同に、着港のアナウンスが告げる。


 ようやく地面に降り立った私たちは、いざ宮島! といわんばかりに胸を高鳴らせていた。正直、茶柱より私の方が楽しんでいるかも知れない。


「先輩、船酔いとか大丈夫なんですか?」


「うん、全然平気」


 お土産の取りそろえられたターミナルの改札口を潜り、外へでると、ひらけた視界に燦々とした日光が差し込む。歴史的造りとでも言うのだろうか、尾道までとはいかないが、どこも風情のある街並みの面影を思い出す。石造りの灯籠が断続的に海岸沿いに繋がっていて、夜になれば、幻想的な光景になるだろう。


「あ、見てください! 鹿ですよ!」


 っと、そんな感慨に触れていると、隣の少年が興奮ぎみに指をさす。木陰で休む牝鹿が柔和な四肢を横たわらせ、なんとも微笑ましい。

 だがしかし、茶柱は「待って」の『ま』の字も言わせないまま、勢い良くそばへ駆け寄っていき、カメラを連写している。まったく、迷子にならないかと心配になりそうだ。


「もうっ、子どもじゃないんだから」


「まあまあ、そう言わず先輩も」


 ぷんすか怒る私の手を引いて、鹿の真横まで近づいた。焦香こがれこうの毛並みに触れると、掌から伝わる呼吸の徒が、生命の暖かさを感じる。気持ちよさそうに目を細める牝鹿に、光沢の湿る瞳でだらしなく口を開ける。


「ほぉら、かわいいでしょ?」


「……む、なんか悔しい」


 勝ち誇ったように口端を曲げる茶柱に荷物を押しつけて、悠々と秋の景色を眺める。清盛像や狛犬、灯籠をシャッターに収めて、海岸沿いを歩いていくと、赤松が島全体を囲むように植えられていて、市内にいるときとは違った味わい深い街並みを感じさせた。

 平日という予想を裏切って、多数の観光客のひしめく石鳥居の付近では、祭りでもないのに露店が賑わっている。


「人多いね、ていうかここの露店って年中やってない?」


「そりゃぁ観光地ですから、商売上がったりなんでしょう」


 ツアーガイドを筆頭にした貴婦人たちがまったりと談話しながら、写真を撮っている。なんと驚いたことに自撮り棒持ちだ。時代だな。

 厳島神社まで来た私たちは、そのままなかの見学に回った。ありかたいことに高校生以下は無料である。

 神馬舎から上に続く豊国神社は、現在改修工事のため、見学こそできなかったものの、回廊から見える五重塔は圧巻だった。


 海上に浮かぶ平安時代の遺物。世界遺産ということもあってか、外国人が多く見受けられた。朱い柱の連なる回廊は、どこか別世界感の印象を与える。

 厳島神社の社殿群を繋ぐ東回廊や西回廊の床の板は、わざと隙間をあけるようにして敷かれている。これは、台風や大波の時にでも波を板の間に通すことで圧力を分散させ、倒壊を免れるための工夫だ。まさに先人が残した知恵の結晶である。

 その隙間から、ゆったりと漂っている鮮やかな好色の影がちらついた。


「あ、見て茶柱くんっ。フグだよ!」


「えっ、どこですか」


 しかし、茶柱が近づいてきたときには、もうその影はない。


「ああ~、いっちゃった」


「ええーっ」


 しょんぼりした茶柱の肩を軽く叩き、広間へ出る。閉塞感から解放された視界には、瀬戸内ののどかな流れが上石に半透明な散水を浴びせる。


「ああ、ここから鳥居が見えますよ! ほら!」


 となりでぴょんぴょん飛び跳ねる少年に続いて、ぽかぽか天気の清爽な風に顔を包ませる。

 海に浮かぶ真紅の大鳥居。宮島の象徴ともとれる建物を前に、歴史の長さとその壮大さに思わず息を漏らす。

 干潮時であれば、あそこまで潜りにいくことも可能なのだが、生憎と今日は満潮だった。そのため火焼前と呼ばれる神社と鳥居を一線に繋ぐ広場では、観光客が列をなして鳥居を背景に写真撮影に勤しんでいる。


「でもすごいよね、昔の人って。あんなところに鳥居なんて建てちゃうんだからさ」


「ですね、その昔っていうのが800年も前なんですから、驚きます」


「でもなんで、わざわざあんなもの建てたんだろ? やっぱり目立たせるためかな?」


「それもありますけど、ちゃんとした理由もあるらしいですよ」


 古来、宮島は神が宿る御神体であると云われており、神聖な島の上に建物は建てられないということで、やむなく海の上に造ることにしたのだそうだ。神社自体が海上に浮かんでいるのもそのためらしい。


「ああ、なんかあるあるの話だね」


「まだまだありますよ?」


 茶柱は眼鏡を掛けた博識学者のように、指を立てていたずらっぽく笑う。


「実は大鳥居の2本の主柱に使用された樹齢500年以上の楠木、なんです」


「樹齢500年!? それが800年前だから……1300年!?」


「すごいですよねっ」


 楠木は腐りにくく、虫がつきにくい。さらに木の下が強靭だということから起用されたらしい。それとは対照的に、主柱を支える4本の木は杉。こちらは耐久性よいも水に強いことに長けている。

 楠と杉。この2つの木材を使い分けることによって、海水に浸かってたり、雨風に晒されても簡単に倒壊しないよう設計がなされているのだ。


「へえ、茶柱くんって以外と物知りだね」


「いえ、昨日ネットで調べました」 


 意外な彼の補足に感心したのも束の間、茶柱が素っ気なく返す。


「……あえてそこは言わないでおこうよ」


 なんとなく殺意に似た感情を胸に抱きながら、後輩の肩に軽く右ストレートを決める小豆であった。

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