3-2
食器を洗面台の流しに浸して、テーブルに書き置きを残す。
身支度を整えて、最後にもう一度眠り姫の寝顔を確認する。変わらず吐息を立てているのに微笑みながら、そっと扉を閉めた。冬の到来で寒さが一層増していくこの時期、缶珈琲が恋しくなってくる。近所のコンビニでも行こうかと思ったけど、なんとなく遠出したくなったので、街まで出ることにした。
まだ人の往来が少ない交差点を渡り、向こう側の
いつも通りに香る表情。どこをどう見ても、あの時と変わらない私がそこにはいた。外見の変化の乏しさに内心落胆する。
私の在り方は、もう以前のものとは明確に別のものと化していた。
踏切から聞こえる電子音が、変調めいて耳に届く。どこかの映画に出て来た海上列車を想わせる、吐息めいた拍車音がどこまでも遠く響いてくる。
ここはまだ陽が灯っていない。
錆び付いたベンチに腰掛け、鞄から本を取り出す。あの古びた本だ。
「……あ、れ――?」
持ち上げた瞬間、違和感を覚えた。
いつも通り手にする感触。だが、その重みは以前に増してどっしりとしている。よくよく見てみると、ページも分厚くなっていた。
ぱらぱら捲ってみる。やはり枚数が変化していた。
おそるおそる中身を確認し、目を通す。不思議なこともあるものだ、と内心驚嘆しながら、時間を忘れて読み進める。
それは救われない少年の物語だった。親に死なれ、親に騙され、そうして結局、だれの目に留まることもなく儚くその命を散らしていった。
吸い込まれた。どこか親近感があった。昔、似たような話を聞いたことがある。それが何なのか思い出すことは出来なかったが、取り憑かれたようにページを漁った。
残り読めるのは数枚。いよいよ章の完結といったところで、その夢は強引に終わりを告げた。最後の残り一枚、足りないらしい。
ぱっと目を見開き、同時に顔を上げる。そこでようやく解き放たれたかのように、本から手を離した。僅かな哀愁が、胸の奥に居座る。嫌な感覚だ。
ふいに線路の端に双眼の光が灯る。古くさい明かりが大きくなり、車輪が線路を打ちたたく。
このまま身を投じようか。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。ぼんやりと景色を眺め、正面を見る。
人がいた。女の子だ。うちの学校だろうか。藍色のブレザーに同色のミニスカートを羽織った少女は、まっすぐにこちらを見つめている。
「……」
綺麗な人だった。まるで――お人形みたい。
少女の口が開いた気がした。線路越しにゆっくりと言葉が紡がれる。
唇が獣じみた弧を描く。
―――早くしないと、死んじゃうよ。
「――え」
電車が2人の間を断つ。轟音ともとれる速度で、鉄の長蛇が世闇を過ぎゆく。窓を通した反射鏡の断片的に繋がれた景色に大きく目を開いた。
一瞬の出来事だった。少女の鞄がこぼれ落ち、見えなかった顔が鮮明になる。こちら側に一歩ずつ脚を近づけていき、優雅に歩み寄る。かつかつと丈の長い靴が鳴り、乱反射するガラス戸が視界を掠めた。
最後の車両が通り過ぎ、夜の余韻を孕んだ疾風が髪を戒める。
そうして再び見えたホームには、もう誰もいなかった。
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