1ー6

 夜の私は日中では考えられないくらい甘えん坊になる。まるでこの時だけ無邪気な子どもに戻ってしまったかのようだ。こうして髪をすってもらうのも、その一環かもしれない。



 茶柱と私はこの部屋で二人暮らしをしている。未成年の男女が親の了承もなくするのは世間の批判を買うだろうが、生憎、私たちには『親』というものが存在しない。



 両親は半年前に死んだらしい。「らしい」というのは私が彼らに対する一切の記憶を持ち合わせていないからだ。二人がいつどんな風に死んだのかすら、思い出せない。無理に思い出そうとすると、胸の中がぽっかり空いたような虚無感に襲われる。



 PTSD――心的外傷後ストレス障害。強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらす症状。



 私はそう診断だされたそうだ。正直、それを聞いたとき時のことはあまり覚えていないし、殆どの日常生活に問題はないので詳しく考えないようにしている。



 まあ、といっても、私は死んだ親のことなどどうでもいい、、、、、、ので、それについてわからなくても別に気にならない。




 華奢なのに硬く広い胸板に体重を傾けてゆらりと揺れる。彼といられる幸福感が、まるで子宮のなかのような安心を与えてくれる。

 私はこうして茶柱と居られればそれでいい。


「先輩、どうしたんですか?」


 そう頭の中で自己完結していると、どうやらぼうっとしてしまったようだ。茶柱が心配そうな思持ちで顔を覗かせてくる。気づけば髪はすっかり乾わかされていて、湯の熱も冷めていた。


「ううん、なんでもない」


 それにいいようのない愛おしさを感じながら、口元をゆるめて、立ち上がり伸びをする。



 けれどすぐに腕を掴まれて態勢を崩した。色白の細い骨盤が少女の肩に絡まり、そっと手繰り寄せられる。


「え―――」


 先ほどの位置とは逆に少年の胸に抱かれながら、小さな耳にあでやかな吐息がかかった。


「大丈夫ですよ、先輩」


 あなたは僕が幸せにしてみせますから。

 時々、茶柱はこういって私を落ち着かせてくれる。過剰とも取れる扱いだけど、なんでだろう。彼の言葉はナイフのように凶器的で鋭く、私の腐った肉を取り除いてくれる、そんな気がするのだ。



 繊細な指が肌を捉える。ほんのりしたシャンプーの馨りが少年の鼻をくすぐる。男性特有のごつごつとしたものではない女性染みたそれに、優しく撫でられれば、うっとりとした心持ちになる。


「………ねぇ、茶柱くん」


 艶のある声音が茶柱の指先を撫で返す。涙色の瞳に写る物欲しそうなくちびるが示唆する。



 彼は露骨に暗い影を落としたけれど、やがて諦めたように唇を重ねた。


「……っン」


 ねっとりと舌が絡まるような接吻キスは、唾液の入り混じる音が生々しい。細い腕が腰に絡まり、互いを惹きつける。照れたように紅潮させた彼の耳朶に口づけた。甘く吸うようにしゃぶり終えると、そこから首筋、頬をなぞり、唇へと帰還した。しなやかな身体に腕を侍らせて、それに応えるように彼の手が脚下をさすり、刺激的にショーツをめくり上げる。



 明かりが消え、ベッドが軋む。



 夜はいつもこうだ。あの日以来、私は罪を犯し続けている。貪るように肌を求め、そしてこの腐った世界で停滞と安住を送る毎日。




 ―――人を好きになるとはなんだろう。




 嬌声が掻き回されて、部屋を濃く満たしていく。そんななかで、私はそう思わずにはいられない。




 ―――愛とはなんだろう、恋とはなんだろう。




 その疑問が尽きることはなく、私は今日も彼の優しさを利用している。彼の身体を求め、疼いては喰らう。まるで渇いた喉を水で潤すように、おもむろに肌を重ねる。



 だがいくら抱いても、抱かれても。その渇きが治まることはない。



 空を知らない籠の中の小鳥は、たとえ解き放たれても決して飛び立とうとはしません。



 なぜなら小鳥は、翼の広げかたを忘れてしまったのですから。




 レースの隙間から薄い月光が差し込む。白い肌が照らされ、肉厚な舌が耳の裏筋を舐めまわす。



 両親は私をどうやって産んだのだろう。彼らは私を愛してくれていたのだろうか。つい、そんなことまで考えてしまい、頬を涙が照り落ちる。



 その思考が頂点に達したところで、快楽の渦が全身から噴き出した。



 甘い匂いと湿った感触が広がる。考えかけていた思考が強制的に遮断された。荒い息づかいがうなじにかかり、もじもじと太股が揺れる。



 それに興奮するわけでもなく、彼はただ私が満足するまでひたすら私を愛してくれる。その行為を誰よりも恨み軽蔑し、そして欲している。




 いずれ追いつく過去に、私たちは目を背け続けている。


「先輩、こっち向いて」


 艶のある囁きが耳を撫でる。子供じみた笑顔が愛おしい。半開きになった口に指を入れ、彼の余韻を糸引いた。ゆったりと優しく撫でるような感覚が、身体を熱く鮮麗する。瞳がきゅんっと潤いを増し、肩の力が抜け落ちた。


好き、だいすきああ―――ッ」


 無意識に言葉こえが漏れた。舌を噛みそうになりながら、呂律の回らないあえぎを上げる。口にしないと心が欠けそうで、まじないのように吠え続けた。



 溢れ出る感情が心を満たすと同時に飛び散る。甘い吐息と密が互いをより強く結びつける。



 なぜ人は愛し合うのだろう。そんなことはわからない。それはきっと嬉しいことで、逆にとっても哀しいことで。



 カーテン越しに朝日が灯る。鳥は鳴き、赤子は泣き、私は嘆く。



 今日もつまらない1日が始まる。そうして腐敗する身体に目を落としながら、気絶するように眠りに堕ちる。逃げることに命を燃やし、やがて死んでいく。



 いずれ終わりを迎える日がくるとしたら、それはいつのことだろうか。



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