第2話 『成り初め』
その日、私はいつになく不機嫌だった。理由は覚えていないけど、自分でも不思議なくらい腹の居心地が悪く、妙にセンチメンタルになっていた。
だからだと思う。あんなことをしたのは。
空を見ていた。群青の乾海が真っ白い絵の具で塗りたくられている――と、思ったのは一瞬のことで。
直後、腰に衝撃が走った。硬いアスファルトが白い肌を焦がし、重い一撃が少女の華奢な体を軋ませる。
つまりなにが起こったかというと、私は
スカートが太股の限界まで
「っ――!?」
何が起ったのかわからなかった。痺れる痛みに苦悶を浮べ、涙を滲ませる。直後、人影が私を覆った。
「――なにやってんですか……っ!」
荒い声が唸る。うだるような暑さが、身体中の汗を誘った。霞み掛かった雲が蒼穹の空に夕日を照らし出す。陽に熱せられた空気を肺に吸い込み、私は前に立つ少年を見上げた。
まるでさきほど変声期を迎えたような声はか細げで、とても私を投げ飛ばしたように見えない。幾千万の蝉の合唱が、まるで私と彼だけを静寂に包んでいるようだった。
それが私、御手洗小豆が茶柱という少年に出会った最初の出来事である。
あんな細い腕に、私は持ち上げられたのだろうか。
若干の敗北感を抱くとともに、どうしようもない感情に駆られる。焦り、不安、絶望。あのままいけば、私は永遠の眠りとともにこの世界から飛び立てたのに。そう自身から湧き出る意味の分からない感情に流されながら、私は少年に対する怒りをおぼえた。
交差点の真ん中で、白い腕を晒しながら私を見据える彼の瞳はどこか遠くを見るように暗く、深い。さきほど打った衝撃で尻元に激痛が走る。
「あんな危ないことをして、自分が何をしたのかわかってるんですかっ!」
少年は我が子を叱るように見も知らぬ私を叱咤した。だが、いまの私にそれは毒だった。
うるさい。お前になにがわかる。どう考えても八つ当たりだ。
たとえそれが望まれないことだとしても。彼になんら罪はない。
「……あっ、あっ」
だから私は怒りにまかせ、彼を罵倒しようとした。だが、声が出ない。微かに零れる掠れ声が、不規則なリズムを刻むだけだった。
「アナタが死ぬのは勝手です。でも、だからこそ――っ」
―――周りを巻き込むなよ。
後でわかったことだが、彼は私と二つしか変わらない。その脆弱な四肢で、彼は懸命に何かを訴えた。それはまるで何処とも判らない誰かに縋り求めるようだった。
あの言葉は誰に言ったものなのだろうか。その表情はどこか悲しみに満ちあふれていて、なぜか胸の奥が痛んだ。感覚神経が麻痺しているのかもしれない。胸に渦が巻いたように熱く、切ない。この感情に名前をつけるとしたら、なんと呼べばいいだろう。口の中に広がる甘酸っぱいものはなんだろうか。
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