1-3
「おまたせしましたー」
五分ほど経ってようやく現れた店員は、両手に甘く香り立つお皿を手にして悠々と運んでくる。テーブルに鮮やかな果物で盛り付けられたクレープとアップルティーが置かれ、「ごっゆくりどうぞ」と軽く会釈して下がる。
それを見計らってテーブルに向き直ると、眼前の少年が既に甘々しいそれを頬張り始めていた。薄い生地の上に並べられた無数のバナナが、チョコレートソースを纏って魅惑的な美味しさを醸し出している。それをナイフとフォークで慣れた手つきで切り分け、口へと豪快に運んでいく。
「ゆっくり食べなよ」
苦笑交じりの一言は、頬をとろけさせる少年の耳には聞こえそうにない。幸せそうなその表情についつい口元を綻べて、小豆もクレープを切り分ける。
ホイップとバニラアイスの主張の強い甘みが苺とブルーベリーの酸味で程よく緩和され、少し焼き加減を変えて重ねてある生地が、ぱりっと歯切れの良い音とともに、食べ進めるに連れてクレープ特有のしっとりとした味に仕上がっていく。
「「お、おいひぃ」」
思わずそんな声が出てしまうことに、二人して顔を見合わせる。どちらともなく笑いが漏れ、和やかな雰囲気のもと時計の短針が午後二時を告げた。
しばらくクレープを堪能した私たちは、またあの本の話題になった。『死人は夢を見ない』その一節が茶柱の興味を引き立たせたらしい。
「でも死んだ人が夢を見てたら、それって死んでないってことになるのかな?」
「どういうことです?」
手許のコーヒーを一仰ぎした茶柱が小首を傾げる。さらさらの髪が左右に揺れ、陽を反射して白く輝く。
「ほらだって、人は1日の三分の一睡眠をとるでしょ? でもって睡眠とは『一時的な死」だってどこかの本で書いてたよ」
「ええと、聖ヨハネの『感覚の暗夜』と『魂の暗夜』だっけ……。『象徴的な死』でしたっけ?」
「聖ヨハネはうつ状態から内面を見つめるとかのやつでしょ。それに象徴的な死は確か、人生の分岐点で人は死に新たな生と化す、とかいうやつだよ」
「僕、哲学に興味はないんですけど」
「だったらテキトーなこと言わない」
渋い顔をして頭を捻る後輩の額に一差し指を軽く当てる。きょとんとした顔もまた愛らしい。
追加注文したモンブランを物欲しそうな後輩に分けてやりながら、椅子を後ろに傾けてわざとらしくため息を吐いた。
「一時的な死、ですか……」
難しそうな顔をする彼の瞳に、なんとなくそわそわしながら手許のアップルティーを啜った。ガラス越しに見える風景にどことなく寂しさを感じる。茶柱は数分間じっとしていたが、諦めていまはモンブランにかぶりついている。芸術的なまでの均一に整えられたクリームの頂きに、白い生クリームとともにちょこんと一つ添えられた甘栗がかわいらしい。
「もうっ、ついてるよ」
「
可愛い後輩が甘えてくるので仕方なく頬のクリームとってやると、幼げな花が咲く。それに優しく微笑んで鞄に視線を向ける。古ぼけた表紙が覗くのを一瞥し、そっと視線を前に戻した。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないっ」
首を傾げる少年に苦笑いを返す。秋の風が外気をいっそう冷やすなか、約束された日常が過ぎていった。
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