眠りの森の愛しい君。

第1話『Lompire』



「死人は夢を見ない」


 そよ風の澄んだ匂いとともに運ばれたそんな前触れのない言葉が少年ちゃばしらの肩を止める。それを目にしたか否か、背後の少女あずきは自然に目元を綻ばせていた。



 蒼穹の空に掛かった白い絨毯じゅうたんが秋風に揺られ、地面の濃淡を演出している。


「急にどうしたんですか」


 目線はそのままにした状態でぶっきらぼう茶柱が応える。彼女はそれを特に気にした様子もなく、大きめに息を吸って小さく身震いした。


「読んでる本に書いてあったんだけど、気になったから口にしてみただけ」


 肌寒くなってきたこの頃、着用したばかりのセーターはごわごわしていて、ちょっぴりむず痒い。テスト終わりの今日はいつもより早い放課後が訪れ、私はいつものように後輩の茶柱と校内に残って、こうして秋の空を眺めていた。



 四方に囲まれたフェンス越しに見えるグランドでは、運動部の練習姿が目に移る。


「……本、ですか?」


「そう、小説なんだけど肝心な所が抜けちゃってるんだよね」


 動いていた手が止まり、重い首が小豆の頭を小突く。背中越しの体温が間近で感じられてお互いの鼓動が鮮明に響く。


「どんな話なんですか」


「掻い摘まんでしかわからないなぁ……」


 う〜んと肩を縮こませて伸びをする小豆は眠気から覚めた雛鳥のように目を開くと、どっかり少年の背にのし掛かった。


「重いです、先輩」


「女の子にそんなこと言わないっ」


 抱きつくように首に腕を回し、離れないように固定すると彼は諦めたようにため息をつく。



 そんな彼の優しさに甘えて首元に自身の頬をすりすりと寄せていると、茶柱の手許からスケッチノートがこぼれ落ちた。冷たいタイルに着地したそれが風に吊られてぺらぺらとページが捲られる。


「相変わらず絵上手だね」


「こんなもの、反復ですよ」


 そう言って揺れ動く紙束を手で静止させる。そのなかで、先ほど書いていたものが目に留まった。白紙しらがみの下地に卓越な黒の繊維が幾層にも重なって、1羽の鳥として描かれている。


「これって……セキレイ?」


「はい、ハクセキレイです。セキレイといっても標準名がそれである種は無くて、セキレイ属とイワミセキレイ属というのがあって……」


 細かく説明を行う茶柱を微笑ましく眺めながら、少女は頬杖を突く。


「主に水辺に住んでいて長い尾を上下に振る習性があるんですよ。雌雄が仲むつまじいことから中国では相思鳥ともいうそうです」


 目をきらきらさせながら話をする茶柱の表情は普段の何倍も明るく、つい頬が緩んでしまう。


「……綺麗だね」


 思わずそんなことを口にすれば、後輩も嬉しそうに笑った。こんな会話をもう幾度となく繰り返してきて、もうすぐ二ヶ月が経つ。




 あの日以来、私たちはこうして恋人としての日々を過している。




 きゅるる、力ない音が聞こえたかと思えば猛烈な空腹感に襲われた。


「おなか空いたね。お昼食べにいこっか」


 ぱっと立ち上がって衣服の埃を払う。丈の短いスカートが風に揺れ、白い太股が陽に晒される。茶柱も同意見だったのか、スケッチブックを鞄に収めて立ち上がった。


「そうですね、今日はどこにします?」


 階段を一段飛ばしで跳び降り、廊下を渡る。硝子扉に反射する陽の光を手で遮りながら、上靴を靴箱へと投げる。陸上部の練習するトラックを通り抜ければ、ウェットに染み込んだ汗が未成年限定の爽やかさを醸しだして、特に嫌な気はしなかった。


「う~ん、最近寒いからカフェでいいかな」


 門を潜り抜けて私が言うと、途端に足音が止まった。振り返って顔を覗くと茶柱が微妙な顔持ちで私を見つめていた。じっとりと恨むように多少の荒立ちを混じらせながら。


「……っ」


「わ、私はカフェがいいなぁ……なんて」


 その反応に心当たりがほんのコンマ1程度もない、ともいえない私は、再度弱々しげに提案して、ちらりと横目で反応を伺った。


「なに寝言いってるんですか。カフェなら昨日行ったでしょ」


 茶柱は眉根をぴくぴくとつり上げて、妙な微笑みを浮かべながら吐き捨てた。


「で、ですよね〜」


 不愉快極まりないと言わんばかりに茶柱は鼻を鳴らしてぷいっと顔を背ける。ぷんすかっと子どものように両腕を組んで大股に早足で歩いていってしまった。


「ごめんごめんっ、昨日のことは謝るから!」


 急いでそれに追いつき両の手を叩き合わせる。申し訳なさげに頭を下げ、微苦笑を浮かべる。なにを隠そう私は昨日、茶柱をスイーツブュッフェに連れて行ったのだ。



もちろん彼を喜ばせるためだが、下心がないというと嘘であった。茶柱がスイーツに夢中になっている間に席を離れて2時間弱もその場に彼を放置したのだ。



 どちらかの性別に偏った店内は異性の茶柱には流石にキツかったらしく、返って来たころには顔が耳まで真っ赤になって、泣きそうになりながら右手で顔を隠してもじもじとしていた。



 その幼子のような潤んだ瞳があまりにも可愛かったので、あと五分くらい見ておきたかったことを私は思い出す。


「あ、あんな人の多いところに連れ込むなんてどうかしてますよっ!」


 思い切り泣きべそを掻いていた茶柱は恥ずかしさと屈辱で口を濁しながら、頬をその白い肌で朱く染めていた。


「でもでも、美味しかったでしょ?」


「それはまぁ、そうです……けど」


「それに君はほとんど女の子みたいなものなんだし、ちょっとくらい女子の多い所だって平気だよ」


 これはお世辞ではないが、茶柱その容姿から相まって一見してみれば女の子との判断がつかない。いまはこうして男物の制服だけど、服装次第では女性にさえ見えるほどの逸材だ。


「なんか釈然としないんですけど、それ」


「まあまあ、今日は美味しいクレープをご馳走するから、昨日のことはこれで終しまい、ね?」


「……ふむ、まあ、クレープに免じて良しとします」


 甘いものの事になると途端に怒り口調を途切れさせる後輩に、内心にやつきながら顔をぱっと明るくさせて、ウィンクした。


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