第38話 水沫
山にかかる雲は厚く、風は北西。
陽が沈み、空が橙から紫に沈む夕闇の刻。
ファルイシア王国城下街を出て西へ約ニ十キロ。
ザンクトゼレネ大聖堂。
小高い丘の上、木々に囲まれたロマネスク様式の石造りの建物。
教会には宿泊室もあるが、棺屋の話ではそこは倉庫代わりにされ、反国王派の人間は身廊や翼廊で過ごしているという。
人数は七十人余り。罠の情報はないが決死攻撃はあり得る。
馬の足を止めた。まだ林の中、大聖堂まで百数十メートル。
「動きは見えないね。ギリギリまで兵の到着を待つ」
だがそんなセヴェーロの狙いも虚しく、大聖堂からは反国王派と見られる男たちがゾロゾロと出てきた。武装している者と、恐らくは炸薬であろう箱や筒を持っている者が大凡半々。
「仕方ない、行くか」
セヴェーロは馬の腹を蹴った。ヴィルフリートも続く。ユリウスも追いかけた。
「! 騎士隊だ!」
誰かが叫んだ。
それを皮切りに、反国王派たちは一斉にユリウスたちに目を向け、そしてセヴェーロとヴィルフリートは敵の中に突入していった。
セヴェーロは右手にはいつも通りのショートソードだが、左手にはダガーではなく騎兵用の長いブロードソードを用いている。ヴィルフリートはサーベル。もともとサーベルとは、騎兵用の剣である。
ここまではセヴェーロの策からそれほど外れていない。反国王派に行動を急がせ、大聖堂から出してしまえば有利が取れる。建物の外であれば罠が張られている可能性は低い。そこを、馬上から切り伏せる。広けた戦場では騎兵は歩兵の数十倍強いと言われる。まして、近衛騎士隊であればなおの事。
ユリウスは後方から見ているだけだった。むしろ余計な事をすれば邪魔になるとすら思った。馬から降り、二人が討ち漏らした敵を数人叩き伏せ、縛り上げただけであった。
半刻としないうちにあらかた片付いた。
不自然な程に、上手くいっている。
(可怪しい……)
ユリウスは思った。
(聞いた話よりも、敵が少ない……明らかに少なすぎる……)
「ルーペルトがいない」
セヴェーロが言った。討つべき敵はまだ、大聖堂内にいる。
「セヴィ、行くんですか?」
「行くさ。ケリをつける」
馬を降りた。
セヴェーロはブロードソードを置き、代わりにダガーを持つ。ヴィルフリートはサーベルを鞘に戻した。
ユリウスは、二人の後ろをついていくだけ……ではない。
(それだけじゃ、二人を護れない)
横に並んだ。
「一緒に行きましょう」
仲間である。序列はない。
大聖堂の扉を開き、最初に一歩目を踏み入れたのはユリウスだった。
罠は見えない。だが油断はできない。前室を過ぎ、三人は身廊をゆっくり進む。内部は薄暗いが、祭室にはステンドグラスからの光が差している。
王国最大の大聖堂は、全長が百五十メートル近くある。翼廊との交差部に差し掛かり、ようやく祭壇前に佇む男の姿を認識できた。
「ルーペルト……」
ヴィルフリートが呟いた。ユリウスもその男の顔は見知っている。
だが一人ではなかった。ルーペルトを中央にして、周りに六人の男たちが立っている。当然武装している。
「まるで騎士隊だな、ルーペルト」
セヴェーロが言うと、ルーペルトは一歩前に進み出た。
「セヴェーロ、か……久しぶりだな……」
「君に逃げ場はない。大人しく捕まるといい」
「嫌だね……やっと、ここまで来れたんだ……」
「ここまで? 反国王派はもう壊滅状態じゃないか。終いさ、全部」
「壊滅で、終わり……? 違うさもう国境線じゃ戦闘が始まっている……騎士隊を誘き寄せる事に成功したからな……」
「馬鹿を言うな、国内の撹乱と間を合わせる計画だった筈だ。お前らが動かないうちに……」
「あんたらが今日来る事なら、棺屋が教えてくれたさ……」
ケルラウ川中流。
国境警備の国軍兵六万の内、半数が川底の特に浅いこの場所で警戒にあたっていた。
対岸で集結したバーデ軍と対峙していたが、
「浅いといってもこれだけ広い川、大軍が渡るのは無理だろう」
兵達の認識はそうだった。だが、その楽観的な思考は急速に薄れていく。
刻が過ぎるとともに対岸の兵数は増え、そして目前の川の水は減っていく。
「軍団長殿、伝令が……」
上流側から来た瀕死の伝令から聞くところによると、堰が占拠され閉じられたという。
「……」
報告を受けて、軍団長は対岸を見た。報告では、敵は八万にまで膨れ上がっている。
バーデ軍は、渡河を始めていた。
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