第37話 羽声

 それからまた、一月が経過した。

 ユリウスにとっては何事もなく過ぎたようにも見えたが、実際はセヴェーロとヴィルフリートが調査や討伐準備に走り回っている。

 仕事を任されないユリウスは多少不満であった。セヴェーロは、

「リーンを診ていてくれ」

 と言う。しかし、まだ安静を命じられているリーンハルトがそれほど動き回るとは思えない。よってやる事といえば、食事を運ぶくらい。

「リーンハルトさん、昼食ですよ」

「ありがとう、ユーリィ」

 ベッドテーブルに食事を置いて、自身もベッドの横に座った。

「その呼び方、やっぱり慣れません」

 不服そうに頬を膨らませるが、

「そうか? 呼びやすくて私は気に入ってるが。子供の貴方にはらしい愛称だ」

 リーンハルトはそうからかう。


 何故だか、悪い気はしなかった。

 最近は騎士隊に打ち解けている気がしている。ユリウスにとっては悔しいが、愛称で呼ばれている事も親近感を感じさせる要因になっている。

 居心地が良い。食事にしたって小間使いやエルンストに頼めるのだが、あえて自分が運んでいるのも仲間意識の強さ故の事である。


 ――時々、ルーペルトの言葉が頭をよぎる。


 その度に、必死に忘れようとした。

「今日のは美味しいな」

「そういえば、傷口も塞がってきたから歯ごたえのあるものも入れている、とか料理長が言ってましたよ」

「ずっとスープばかりだったからな」

 リーンハルトは、ライ麦パンを一切れ取った。チーズに生ハムが乗っている。

「ユーリィ」

 差し出した。

「いや、私は……」

「塩漬けの高価なハムを使っている。料理長が気を使ってくれたのだろう。食べておいたほうがいい」

 断ろうと思ったが、目前に出されるとライ麦パンとチーズの香りに誘惑される。結局、一切れもらった。

「どうだ?」

「美味しいです」

 時間は、緩やかに進んだ。

 国境線の緊張や反国王派の活動など、まるで無かった事のよう。

 ずっと、こうしていられるのならいいと。ユリウスはその時、そう思った。

 穏やかに、ずっと、時が進んでいくのなら。




「ルーペルトが見つかった」

 会議で、セヴェーロが報告した。リーンハルトを除いた三人の騎士の前。

 水面下で動いていた反国王派も集結し、大規模な破壊行動の兆候が見られるという。そうなれば、近衛騎士隊として放ってはおけなかった。

「ヴィル、それからユーリィ、傷はもういいな? 事は一刻を争う。明日には討伐に向かう。今日はゆっくり休んで、備えてくれ」

 エルンストだけが、一切動ぜずにいる。

「……場所は?」

 ユリウスが訊いた。

 セヴェーロは焦っているように見えた。ヴィルフリートとの間で作戦概要は作られているのだろうが、もう少し時間をかけてもいいと思った。

「大教会」

 セヴェーロがそう答えたとき、ユリウスの胸はざわついた。

 ザンクトゼレネ大教会。その礼拝堂は、兄の亡骸が見つかった場所。

「あいつらがいつ行動を始めるかわからない。教会には既に武器弾薬は運び込まれているのが分かっている、神父が金に眩んで黙っていやがったのさ。お抱えの棺屋が漏らしてくれなきゃ本気でやばかった」

「兵は使わないのですか?」

 ユリウスは不安だった。

 国軍兵を動かせば国境警備や国内での不慮の事件に対処できなくなる恐れはあるし、国内の不安定さの露呈にもなる。それでも、少しくらい――それこそフェスタで先導した人数くらいの兵なら動かせる筈であった。

「間に合わない」

 セヴェーロがそう言うのも、もっともだとも思っている。もう手遅れなのである。

 緩やかだと思われた時の中で、月日は確かに過ぎていた。

 短い雨季が終わり、乾いた日々は始まっている。

「もう反国王派は、準備が整っている段階だ。あとは事を起こす日取りを考えているだけさ。兵を集めれば討伐が感付かれて、予定を早めるだけだろう」

 そういう意味では、今日この瞬間にも反国王派の破壊行動が起きる可能性はある。結局は、騎士隊だけで対応するしかなかった。

「しかし……」

「それに、もう、状況は好転しないだろう。バーデとの開戦は……」

「……」

「……避けられない。芥子のルートを潰し反国王派も追い詰め、バーデはこれ以上我慢出来ないだろう。もう挑発も済ました、近いうちに国境線を越えてくるさ。騎士隊は、内憂を取り除き国内の混乱を抑えるのが急務になる」

 不安そうな顔をするユリウスを安心させるように、セヴェーロは言葉を続ける。

「勘違いしないでよ、決死の作戦じゃない。俺たちが出発と同時に一般兵にもその事を伝える。なんとかなるよ、なんとかさ……」

「隊長、リーンハルトさんは……」

「ユーリィ、リーンは」

 セヴェーロは、僅かに。ただ僅かに、声が震えていた。

「リーンは、置いていく」

「……怪我が、治らないのですね」

「……ああ」

「……」

 毎日、食事を運び入れているのだから分かる。右腹部の傷が膿んでいる。ただの斬り傷ではなかった。

 教会へ向かうのは、怪我のリーンハルトと国王警護のエルンストを除いた三人になる。

(たった三人……)

 セヴェーロもヴィルフリートも強い。真っ向勝負なら負ける事はないだろう。だが、相手がどんな罠を仕掛けているか分からない。リーンハルトもその罠に嵌り重傷を負った。

(……怖いな)

 誰かと、もう二度と会えなくなるかもしれない。

 兄のように。


 そんな予感がした。

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