第36話 夜風

 そんな経緯で、また断る機を逃している間に大衆浴場入り口前。

 今回もなんとか言って逃げようかとも思ったが、ヴィルフリートは自らを晒してくれた。その気持ちに応える事など彼は望んだりはしないのだろうが、ユリウスはそれが棘となり胸の内に残る事を嫌った。

 覚悟は半端なまま、とかく前には進もうと自らの手で青銅製の扉を開いた。

(前回は……あれよあれよと脱衣所まで連れて行かれちゃったけど……)

 ユリウスは建物内に入り辺りを見回した。受付の奥、共用廊下の先に脱衣室があるが、女性用もちゃんとある。浴室もその先で男性用とは分けられている。自分が行くべきはそっちである。

「ヴィル」

 共用廊下で既に上着を緩めているヴィルを呼び止めた。

「私は……こっちですから」

 いつにない勇気を出して、ユリウスは女性用の脱衣室を指差した。

「? どういう事ですか?」

「今までずっと黙っていました。だけど貴方が自分を晒してくれたから、私も偽りを正します。私は、そちらには行けません」

 本当の事を知られて、嫌われる事も罵られる事も致し方ないと思っていた。

 ただそれでもヴィルフリートが他者を必要以上に責める性格でないと知っていて、それに甘えている自分にも気が付いている。

「ユーリィ。君を責めたくはないけれど……」

「……はい」

「だけど、覗きはよくないですよ」

「いや、違う!」

 ヴィルフリートはユリウスの腕を掴み、女性用脱衣室から引き離そうと引っ張る。

「気持ちは分かりますユーリィ、しかし僕たちは騎士なんです。多少サボりはすれど覗きなどという道義に反した行為は」

「だから違います! 私は! 女なんです!」

 腕を掴むヴィルフリートの手が緩んだ。

「ユーリィ、そこまでして女湯を……」

「そうじゃなくて!」

 なんとかして女性用脱衣室へ行こうとするユリウスを、ヴィルフリートは羽交い締めにしてまで止める。

 酔い覚ましに湯を求める客の増える時間、そんな騒ぎを起こしていれば当然目立ち、周囲には人も集まってきていた。

「諦めてください、ほら、あっち行きますよ」

 その中でヴィルフリートはユリウスの上着を脱がせにかかるものだから、焦りは大きくなる。

「ちょっ! やめ……」

「ほら、保温バンドも胸まで上がって……」

 と、その時。

「邪魔だよ兄ちゃん達」

 などと言いながら、恰幅の良い男性客が二人にぶつかった。

 ヴィルフリートはバランスを崩し、倒れる間に上着を掴まれているユリウスも巻き添えになる。

 治っている筈の右足を庇ってしまい、自分の体勢すらもよくわからぬ内に地面に転げた。

「あいたたた……」

 すぐに起き上がりその場にへたりついた。

 男性客は「悪ぃね」の一言で去っていったが、それに対し怒りが湧く訳でもない。通路で邪魔だったのは自覚している。

「すいません、大丈夫ですかユー……」

 ヴィルフリートは言いかけて、ユリウスを見て黙った。

 そんなヴィルフリートの視線を追いユリウスも下を見ると、

「……!」

 脱がされた上着、緩められたコルセット。それは今にも落ちそうになりながら、ギリギリのラインに留まっている。

 が、ヴィルフリートの反応を見るに、女性的な部位を認識させるに充分だったのだろう。両頬が、見る間に紅潮し――

「わぁあああああああああ!!」

 などと突然ヴィルフリートが叫ぶものだから、

「きゃぁああああああああ!!」

 と釣られてユリウスも叫び、

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」

「いやいいですかいいですから早くあっち行ってください!!!」

 言われてヴィルフリートは建物の奥へと走り去る。

 ユリウスは暫く呆けてそれから気を取り直し、周りの野次馬に気付いて慌てて女性用脱衣室へと転がり込んでいった。




 ――月が高くなる頃。

 二人は、帰路についた。

 夜風の中で、湯冷めとは無縁な程に火照った体で並んで歩くが、幾分かの距離感がある。

 顔を見合わせるのか何か気恥ずかしく、ヴィルフリートも同じなのだろう無言でいる。

「……あの」

 と、先に声をかけたのはユリウス。

「気にしなくてもいいですから……」

「……いや、僕は、気にしているという訳ではなくて……それより自分はなんて未熟なのだろうと思って……今まで君の上辺だけしか見てなくて」

「そんなに完璧でした? 男装……」

「はい。どこからどう見ても男でした。全くこれっぽっちも女性として感じた事はありませんでした」

(……えー……)

 それはそれで、何か釈然としないモノを感じるユリウス。

「でも、良かった。君が女性で」

「どうしてですか?」

 ヴィルフリートは、ユリウスに顔を向けた。

 火照った筈の体が嘘だと想えた程、夜風に吹かれ涼やかな笑顔だった。

「どうしてでしょうね」

 少し、歩む速度を上げたヴィルフリート。

「帰りましょうか、城に」

 そう言って、城に着くまでずっと前を歩いていた。

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