第33話 残響
「少し、柔らかくなりましたな」
「え?」
エルンストの言葉は、ユリウスには意外だった。
「表情が変わられたようで。何か、迷いでも消えましたかな?」
「……逆です、悩みが増える一方です」
西日差す回廊。一週間は静養と言われたユリウスだが、療養室で終日じっとしていると体が鈍りそうであり、三日目には杖を使って歩き回っていた。
ヴィルフリートに見つかれば何かと言われそうだが、退屈に過ぎた。
「悩みには良い悩みと悪い悩みがありましてな。もうニ十年も生きれば判別つきましょう」
「はあ……」
「それにユリウス様だけではありませぬ。皆少し変わられました」
そうだろうか? とユリウスは思ったが、考えてみればエルンストのほうがあの三人との付き合いは長い。自分の知らない機微も捉えているのだろう。
それに、エルンストは柔和な人物だった。戦いとは無縁に思える程に。
歩き去るそんなエルンストを見て、
「なんであの人騎士になったんだろう……」
呟いた。
「強いからさ」
「ひゃっ!?」
突然背後からの声。驚いて振り向けば、果たしてそこにはセヴェーロの姿。
「もう、五十年以上も昔の事。……って俺はそのときいなかったけどさ。エルンストが城で……」
「そ、そんな昔から騎士だったんですか!?」
「十二歳の頃からやってるらしい。国王が俺の爺ちゃんだった頃からさ」
――ある夜の事さ。
皆が寝静まり真っ暗闇だった城内に、多数の悲鳴が響いた。
驚いた使用人たちが駆けつけると、城の中庭には血の海と死体の山が築かれていた。
そしてその中心に立っていたのは、当時十二歳だったエルンスト。
何があった? と皆が訊くと……。
「鼠めが侵入しておりましたので、始末しておきました」
怪しい笑みとカミソリ、そしてジュストコール。エルンストの、騎士として最初の仕事がそれだった――
「その出来事はまたたく間に不逞の輩たちの間に広まり、“盗賊界のトラウマ”として現在に至るまで語り継がれているという……」
「そ、そんな凄い人だったんですか……」
「俺は決闘で負ける気はしないけど、多人数を相手にさせたら彼のほうが上だろうね。集団を縫うようにして敵の急所を掻き切るカミソリは、まるで妖術さ」
「だからいつも、エルンストさんは城に残るんですね」
「彼一人で防御も成りそうなくらいだからね。ところでユリウス、足は大丈夫かい?」
セヴェーロは屈みこんでユリウスの足を見た。ユリウスの制服は右足側だけまくり上げられ、白い包帯が巻かれている。
「はい、もうすぐ歩けるようになると……」
あまりにもセヴェーロが凝視をするから、ユリウスは何かむず痒い感覚を覚える。それからすぐに、セヴェーロには女である事が看破されている事を思い出し、足を引っ込めた。
「あの、隊長は今は何を?」
話を変える。先日聞きそびれた事を質したかった。
「ちょっと父さんのところにね」
立ち上がって、回廊の奥を見た。中庭を越えてまっすぐ進めば王の間に行き当たる。
「国王陛下に?」
「行ってくるよ」
そう言ってセヴェーロは歩き始めた。そのまま立ち去るであろう背中を、ユリウスもただ黙って見送っていた、が。
「隊長」
嫌な予感がして、呼び止めた。
「私も行きます」
「邪魔だよ」
「ただ、隣にいるだけでいいのです」
譲らなかった。
理由は自分でも分からないし、セヴェーロがそれを望んでいない事も分かる。案の定拒絶されたが、それでもユリウスは食い下がった。
「父さんと俺の個人的な話をする。そうなると君は部外者さ」
「貴方を、一人にはさせたくないんです」
「……」
セヴェーロは少し沈黙した。
何かを考えているような、思い出しているような、そんな表情だった。
「……一人、か……」
向き直り、歩き出した。
「いいよユリウス、来なよ」
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