第25話 雲霞

 星明かりもない曇天の夜明け前、暁暗の刻。

 ユリウスとリーンハルトは、空き家の屋敷の裏口前に到着した。乗ってきた馬は街道一つ挟んだ厩に繋いである。

「あくまで目的はルーペルトの暗殺だ」

 暗殺、と言われて、騎士隊の華やかなイメージはもうユリウスの中にはなかった。

 フェスタでの捕物も既に新聞記事にされて、尾ひれもつけて国内中に知れ渡っているのだろうが、それを見て騎士隊を目指す人間は少ない。殉死率が一般兵より遥かに高い。ロルフも殉死として発表されている。自分の命よりも王の命を優先する近衛騎士の宿命なのかもしれないが、憧憬の的にはなれど目標とはされない。


 リーンハルトは錠を斬り落とし裏口の戸を開いた。木箱が積まれた倉庫に続いていたが、人の気配はなかった。倉庫から売り場跡に入ると、情報とは違い棚はなく、代わりにフロア中央に薪が積まれていた。

 それを見て、ユリウスは二階へ上がるのを躊躇った。屋敷に火がつけられれば、上階に逃げ場はない。

「リーンハルトさん」

 階段は倉庫出口のすぐ横にあった。リーンハルトは階段に足をかけていたが、ユリウスが小声で名前を呼びながら裾を掴んで止めた。

「上階は、危険です」

 薪を指し示すと、リーンハルトは理解した。

「仕方ない、二手に分かれよう。私が一人で屋根裏まで上がる。貴方はここで、薪を見張っていてくれ。誰かが火を放ちに来たら、すぐに私の名を呼んでほしい」

 階段は二階、そして屋根裏へまで続いている。もしこの屋敷をひと通り見まわって誰もいない様なら、そのまま帰還する予定だが、その可能性は低かった。

(最低でも、足止め目的の敵がいる筈……)

 ケルラウ川やフェスタでの一件を考えるに、反国王派は、騎士たちを罠に嵌める為に仲間の命を捨てる事さえある。

「いや、私が行きます」

 リーンハルトの返事を聞かずユリウスは前に進み出て、階段を先に進んだ。

 可能な限り音を立てぬようゆっくりと進み、まず二階まで上がった。宿としても使われていたのか、二階は部屋数が多い。ユリウスはそれらの部屋を検める事はせず、そのまま屋根裏にまであがった。

 扉がある。見取り図にはなかった扉が、階段の上、屋根裏部屋の前に据え付けられていた。

 ユリウスは、暫時迷った。罠だとすれば、このまま引き返した方がいい。しかし。

(……ルーペルトという騎士が、お兄ちゃんを殺した可能性があるのなら……)

 その想いが、判断を鈍らせた。


 ユリウスは扉を開き、恐る恐る中を覗き見る。成人男性の頭が辛うじてつかない程度の、低い天井の屋根裏部屋。埃は払われているが、生活用具は置かれていない。

 そんな中、部屋の奥で窓を背にして木箱に座る一人の男。

「貴方が、ルーペルトでよろしいか」

 ユリウスが問うと、ゆっくりと立ち上がった。

「騎士隊、か……。ヴィルフリートが来ると思ったけど……新入りかい? フェスタで見たな……」

 軽装だが、胸当ての甲冑と鋼鉄製の脛当てをつけていた。アッシュブラックの髪は短く切りそろえられているが、前髪が一束目元に垂れている。細い目、眼光鋭く落ち着いているが、喋り方は気怠そうである。

 男は右手で剣を抜いた。月桂樹レリーフの護拳をつけた、刃渡り90センチのレイピア。

(右利き……)

 そう思いながら、ユリウスは自らの剣を肩に引き寄せた。いつも通りの、鍵の構え。しかし、レイピアを相手にするのは初めてである。

 ルーペルトは、構えを取らず無造作に歩み寄ってきた。

「罠だと気づいていたかい……?」

 ルーペルトがそう言った瞬間。ユリウスの背後の、扉が閉まった。


「ユリウス!!」

 階下でリーンハルトは叫んだ。

 リーンハルトは階上に駆け上がろうとしたが、扉が閉まる事が合図だったのか、二階の部屋から廊下に、武装した男たちが出てきた。

 八人。恐らくは、足止めのために命を捨てている。そしてさらに、

(……油の臭い)

 一階の薪に火を付けたのだろう。しかし、消しには行けない。ここで男たちを止めなければ、屋根裏部屋のユリウスが挟撃される事になる。リーンハルトは二階で止まり、敵を迎え撃つ。

 男たちはリーンハルトに向かって走り寄ってきた。リーンハルトは迷いなく、最初の一人を斬り伏せる。そのまま間髪入れず二人目の腹部を刺し貫く。が、手応えがおかしい。男は刺し貫かれながら、リーンハルトの剣を掴んでいた。と同時に、男が首から提げていた筒が光を放った。

(死組か!)

 咄嗟に蹴り飛ばしたが、間に合わない。筒の爆発はリーンハルトを吹き飛ばした。壁に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。

「ここまでするか、ルーペルト!」

 一人が爆発に巻き込まれたようだが、それを見てもなお他の男たちはリーンハルトに向かってくる。筒を提げている男もあと三人いる。完全に、命を捨てている。

「芥子に酔っているな……ならなおさら、ここは通さぬ!」

 階下からは黒煙が上がり始めていた。


 ユリウスは、二階から響く爆発音に気づいてはいたが、それでも目の前の男から目を離せなかった。

 “突き”は剣撃の中で最も速い。その突きに特化したレイピアである。ユリウスはルーペルトの初撃を辛うじて躱していたが、右頬にかすり傷を付けられた。

 その後は下がりつつ防御に徹していたが、すぐに背が扉についた。

「開かないよ、内からじゃ……」

 ルーペルトに言われるまでもなく、わかっている。逃げるつもりもない。

「あんたの味方は一人かい? 誰が来たかは知らないけど……この調子だと、二階のそいつも死ぬかな……」

 言いながらルーペルトが繰り出す突きを、ユリウスは間一髪受け流した。弾かれたレイピアはユリウスの背後の扉に刺さる。その隙に相手の右側に逃れようとしたが、

「……つっ!」

 髪の毛を掴まれた。ルーペルトはレイピアを引き抜きユリウスに向けた。

(無抵抗では……!)

 ユリウスはルーペルトの襟首を掴んで足を払い、床面に転ばせた。幾本かの赤髪が床に散らばる。

 リーンハルトからは体術も教わっている。至近距離なら、その技は剣よりも速い。故にもし剣の勝負で劣勢でも状況を巻き返せる、そう言われてきた。

 だからといって現状、ユリウスは剣の勝負で負けを認めたわけではない。まだ一太刀も繰り出していない。

 ルーペルトも素早く立ち上がる。ユリウスは三歩間の距離をとった。構え直す。

(初太刀が躱される事を……考えてはいけない……水平突きは……必中の心構えで……)

 煙が屋根裏部屋をも侵してきた。

「泥臭い戦い方……似てるな、ハインリヒに……」

「! ハインリヒを知っているのか!?」

「そりゃ、“仲間”だったからね」

「ハインリヒを斬ったのは貴方か!」

 幾許かの願望も込めて、ユリウスは叫ぶように言った。

 ルーペルトは微笑した。

「……さぁ、ね……それを知って、君はどうするつもりなのかな……?」

「斬る!」

 一気に踏み込むユリウス。間合いは一息に詰まり、ルーペルトは反射的に半歩下がった。予想以上の剣速に、レイピアでの応戦が間に合わぬ事を悟った。


 ――故に。

「“隊長”だよ」

 剣筋を少しでも鈍らせるために、“真実”を口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る