第24話 穏夜
(七人目の騎士に、何かしらの因縁があるのだろうか)
ユリウスはそう思っていた。騎士隊において、自分の前任が兄だとするなら、七人目の騎士もまた二年以上空席であったという事になる。
(お兄ちゃんの死の真相に、近づけるのかもしれない……もしかしたら、お兄ちゃんを殺したのはその騎士、って事だって……)
そう思った。そう信じたかった。相手が反国王派なら、斬る事に躊躇いもないだろう。
「ユリウス」
居住棟の廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。振り返るとセヴェーロがいた。
「一つ、渡し忘れていたものがあった」
そう言ってセヴェーロは、紙袋をユリウスに投げ渡した。
「これは?」
「珈琲の種子さ。それがなきゃサイフォンも意味が無い」
「そうですか……ありがとうございます。使ってみます」
中を見れば、確かに植物の種子のようなものが袋いっぱいに入っている。見慣れたものではないが香ばしい匂いは既知のもの、すぐにそうだと理解出来た。
「それから」
「?」
「……リーンハルトに、ついて行ってくれないか」
セヴェーロは眼を伏して言った。視線をユリウスから外している。
「言われなくても、そのつもりでした。止められはしないかと心配していたところです」
「そうか……ならいいさ。止めはしないよ、君の事は」
視線は外したまま、弱々しい語調だった。言葉とは逆に、断られる事を望んでいたかのような反応に感じた。
セヴェーロは踵を返し戻って行った。ユリウスはしばらく、その背を見つめていた。
日が沈み、ユリウスは自室でリーンハルトを待っていた。
脱ぎ散らかしていた服や読みかけの本をベッドの下に押し込み、部屋を“少し”は整理した。人に見られても恥ずかしくない程度にはなっている筈である。少なくともユリウスはそう思っている。
来るまでの時間、サイフォンを使ってみた。珈琲の種子を砕き、アルコールランプに火をつける。エルンストから貸りた火打ち石は質がよく、慣れないユリウスにも容易に扱えた。
ユリウスは、古い記憶を追っていた。そうする事で、不思議とこのガラス器具の使い方が分かってきた。
(私、これを知っている……)
何時、何処での事なのかまでは辿り着けない。遠い昔の記憶であった。
それからちょうど、形だけでも珈琲が完成したところで、
「ユリウス、私だ」
リーンハルトの声。ユリウスは扉を開けて招き入れる。
ユリウスは昼と変わらぬ騎士隊制服だが、リーンハルトは日常着だった。緩いブレーに、上着は麻のシャツを一枚羽織っているだけである。剣も帯びていない。
「いい香りがする」
入るなり、そう言った。
リーンハルトはテーブルをベッドの前に引き寄せた。
(あ、椅子を用意してなかった……)
そう思うユリウスには構わずリーンハルトはベッドに座り、テーブルに屋敷の見取り図を広げる。それから、ユリウスは珈琲をカップに注いだ。リーンハルトは驚いた様子でそれを見た。
「これは、貴方が?」
「はい。隊長がくれた器具と種を使って、作ってみました」
ユリウスが机に置かれたサイフォンを指差すと、リーンハルトは納得した。
「そうか、隊長が……」
テーブルに置かれたカップに手を伸ばすリーンハルト。
リーンハルトは見るほどに軽装で、寝間着なのか若干はだけている。ふと目を向けた際に、上着の襟口から覗く鎖骨がユリウスの視界に入った。
少し、緊張してしまう。ユリウスが見る限りは、リーンハルトは騎士隊の中で最も膂力がある。濃紺の騎士隊制服では着痩せをするのだろうが、薄着である程に騎士として鍛え上げられた体が浮かび上がる。
「ユリウス?」
「あ、ご、ごめんなさい!」
反射的にユリウスは謝ってしまった。何故だか後ろめたい。視線を見取り図に戻し、その後はなんとかリーンハルトの話に集中しようと務めた。
屋敷は、元は富を成した商貴族の邸宅である。綿花の先物取引に失敗して行方しれずとなった後、残された邸宅は立地が悪いため新たな入居者がなく、長年の間空き家のままになっている。
「木造の二階建てだが、屋根裏がある。一階は香辛料等の売り場だったようで広い空間になっているが、当時の商品棚が多く貴方の剣は不利かもしれない」
「階段は売り場奥に一つきりですから、挟撃を警戒する必要があります。伏兵の可能性を考えれば、二階までは一緒に行ったほうがいいと思います」
「そうだな……ルーペルトはおそらく屋根裏だろう、戦闘を避けつつそこまで上がりたい」
(……屋根裏?)
その言葉に、ユリウスは何か引っかかるものを感じた。
ユリウスはルーペルトの事を知らないが、二人は罠の可能性も知っている。リーンハルトは、彼の居場所を“屋根裏”と断定した。
「ユリウス?」
「あ、はい、聞いています……」
敵の位置が正確に把握出来るのなら、それは有利に働く。ユリウスは自身の不確実な感覚を口に出しはしなかった。
二階への階段が近い裏口から屋敷に侵入するという事で、方針は概ね決定された。相手の人数と張られているかもしれない罠の詳細は知りようもないが、二人の戦略的意思は統一された事になる。
一段落して、リーンハルトは、少し冷めた珈琲を口に含んだ。
「……」
それから珈琲に視線を落として、黙り込んだ。
あまりに長い間黙りこんでいたため、ユリウスは口に合わなかったのかと不安になったが、やがて、
「……ハインリヒも好きだったな、これ……」
呟いた。
「! それって……!」
ユリウスは立ち上がった。リーンハルトの口から兄の名前を聞くのは初めてだった。手掛かりとはなくとも、何か話を聞きたい。
「?」
が、リーンハルトの視線は立ち上がったユリウスではなく、その足元に落ちている。勢い良く立ち上がった拍子に、ベッドの下から溢れでたものがある。
「何だ? これは……」
言いながらリーンハルトが拾い上げたのは、
(……コルセット!)
ユリウスが胸を潰すために使っているもの。リーンハルトはそれを広げたり裏返したりして見ている。何に使うかは想像もついていない様子だったが、ユリウスは妙に小恥ずかしく感じた。
「ちょ、か、返して下さい……」
「あぁ、すまない。貴方のものを勝手に……しかし」
リーンハルトはコルセットをユリウスに返して、それから、少し優しく笑いかけた。
「ユリウス、ヴィルフリートから聞いているよ」
「え!?」
「お腹、冷やしやすい体質なのだな。こんなベリーバンドまでつけるほどに」
「ち、違う!」
否定するのもおかしいし、勘違いは好都合なのだが、しかし、それにしても何故そうなるのか。
(前も思ったけど、リーンハルトさんって少し……)
そこまで考えかけたが、失礼だと思い頭を振った。
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