第20話 冷雨
ユリウスは近頃、外回りも任せられるようになった。
とはいえ一人ではなく、ヴィルフリートと一緒の事が多い。
一般兵に顔が利き、町民からの信望も厚い。城下の情報を集めるにはヴィルフリートが適任なのだろう。だからこそ、隊内部調査も任されている。
(ヴィルフリートさんは、私の事を疑っている……)
誤解を解きたいが、誤解とも言い切れない。出自も経歴も嘘で固めた自分に、どんな言い訳が可能であろうか。
「密売のルートを調べます。僕が調べた情報だと、バーデとの国境付近。具体的にはケルラウ川下流の船着場だとか」
ヴィルフリートが言った。
芥子の密輸密売は重罪。場合によっては死罪ともなる。そのリスクを承知で行っているのなら、裏があると考えるのも妥当な事。ユリウスにも、王国の闇の部分を直視できるようになってきた。
「ではやはり、輸出元は……」
「密造の線もあります。しかしいずれにしても、芥子の汚染が広がれば大きな損害です。特に国境警備の兵は危ない。ルートは確実に潰しておく必要があります」
馬を駆り、ケルラウ川の川辺を下る。
船着場が見えてきたところで、雨が降り始めた。岸には日除け天幕が一つと、水面に川舟が数隻浮かぶだけの簡易な船着場であった。無許可なのだろう。上流に行けば交易商人の利用する上等な係留場がある。
天幕の下には子供が座っていた。年齢8,9歳頃の少年だった。
馬から降りたヴィルフリートが、
「君は、ここで何をしているのですか?」
そう、少年に声をかけた。少年は椅子に座って、じっと何かを待っている様子だった。天幕の中は必要最小限で、少年の他には麻袋が置かれているのみであった。
「……仕事してる」
少年はぶっきらぼうに答えた。雨でぬかるみ始めている足元も気にしていない、どころか、何日も洗っていないのか服装は薄汚れている。
「その麻袋の中身を見せて欲しいのですが」
「それはできない。誰にも見せるなって言われてる」
「誰にですか?」
「それも言えない」
強さを増した雨を避けて、ユリウスも天幕の下に入った。水位の上昇を考えて、馬は繋がない。
「僕は騎士です。君は、悪い大人に騙されているかもしれない」
そうやってヴィルフリートはなんとか少年を説得しようとするが、結局は首を縦に振る事はなかった。
「十中八九、中身は芥子です」
ユリウスに耳打ちした。バーデからの密輸品である事も、ほぼ疑いようがない。麻袋には見覚えがある。もうしばらくすれば金を持った受取人が少年の元へやってくるのだろう。
「仕方ありません、受取人を捕縛します。どこか隠れて見ていましょう」
ヴィルフリートはそう言うが、ユリウスには不安がある。
「雨が強いです。上流の堰が開放されれば、子供が危険です」
ファルイシアは短い雨季に入っている。治水用の堰は、増水すれば崩壊を免れる為に開放される。
天幕の張られた川岸には草が生えていない。それは過去に水没した地点である事を示していた。
「そうですね……無理矢理にでも連れて行きましょう。ユリウス、君は子供を」
と、そこへ。
「それはさせられねぇな」
不意に野太い声がした。
振り向けば、男が三人いる。身長の低い男、スキンヘッドの男、鼻の潰れた男。武器は持っているものの身なりは綺麗とは言えない。三人とも体格が良いが、ヴィルフリートは気後れしない。
「君たちは密売人ですか?」
「それがなんだ? その服は騎士隊なんだろうが、邪魔するなら容赦しないぜ」
「その麻袋の中身を訊きたいのです。返答によっては没収します」
身長の低い男が一歩進み出た。
筋肉質だか鍛え方のバランスが悪く、どうにも見栄えの悪い体付きをしている。
「先輩、斬っちまいましょう。誰も見てませんよ」
剣を抜いた。残り二人より後輩らしい。
ヴィルフリートは、ふぅ、と軽く息を吐いた。剣を抜く動作だけで相手の力量を見抜き、呆れている様子であった。
「やめたほうがいいですよ。君たちの最善策は、ただおとなしく言う事を聞く事だけです」
「吐かせ!」
男は剣を振りかぶり、ヴィルフリート目掛けて振り下ろす。が。
「――!」
その右腕は、一瞬にして斬り落とされていた。既に鞘に収まっているヴィルフリートの剣、男たちには剣筋が見えない。少し間を置いて、
「ぎゃあああああ!」
男に痛みが襲いかかった。
「次は首を斬り落とします。さぁ、麻袋の中身を」
こうなればもう、ヴィルフリートは非情に徹する。語調こそ温厚であれど、“敵”を見る目に慈悲はない。
「あ、ああ……」
激痛に苦しむ後輩を目の当たりにし、残りの男二人はたじろいだ。
「親方、思い出したぜ……こいつヴィルフリートだ……」
スキンヘッドが鼻の潰れた男に言った。“親方”と呼ばれた事から、立場は鼻の潰れた男が上らしい。
「ヴィルフリート……あの“仲間殺し”って噂の……」
「……」
ヴィルフリートは、表情を変えない。
表向きは戦死や事故死とされていても、裏の世界ではそういう噂は流れるのだろう。しかし裏を返せばそれは、精鋭揃いの騎士隊の中でも更に抜きん出て強いという事でもある。
「わ、わかった……あんたと戦ってもいい事はねぇ……」
親方は麻袋の前で屈んだ。しかし屈んだまま動きを止め、なかなか開けない。
「早く開けて下さい」
「いや、ちょっと待て……すぐに開けるからよ」
そう言うが、口紐がなかなか解けない。手こずっているといより、わざとそうやっているように見えた。
「! ヴィルフリートさん!」
ユリウスはそれが時間稼ぎだと直感した。が、一瞬遅かった。慌てて振り返ると、椅子に座っていた少年がもう一人の男、スキンヘッドに捕らえられていた。
「貴様!」
「動くなよ!」
スキンヘッドは少年の首筋にナイフを当てている。親方の男は、麻袋を持ってゆっくり立ち上がり、ダガーを取り出した。
ユリウスたちは迂闊に動けない。水嵩を増した川の水が足を濡らし始めている、故に、動作は一瞬遅れる。
「これを回収して金置いてくだけの仕事だったってのに……邪魔してくれたなぁ! 人手も減ってきてるってのに!」
「やはり君たちは……」
「武器を捨てろ!」
ユリウスは、ヴィルフリートを見た。頬に冷や汗を流している。
「ユリウス、言う通りに」
言われて、ユリウスは剣を投げ捨てた。
「お前もだよ」
ダガーを突きつけられ、ヴィルフリートも腰から剣を外す。しかし投げ捨てずにしばらく見ていると、
「早く捨てろ!」
男に催促された。それでも、ヴィルフリートは動じないでいる。
「セヴィなら、どうするかな……」
「いいから言う通りに……!」
「捨てますよ。でも勿体無いな。かなりの値打ちものなんです、これ……」
「あ?」
「いりますか? 換金すればいいお金になりますよ」
「あぁ? まぁもらってやってもいいが……」
「そうですか、なら」
ヴィルフリートは、スキンヘッドの前に剣を投げた。会話を聞いていたスキンヘッドは眼の色を変えて、これ幸いと剣を拾おうと身を屈める。
その瞬間。
「ユリウス!」
ハッ、とした。スキンヘッドの男のナイフは少年の首から離れている。
「はい!」
剣を拾っている時間はない。ユリウスは一直線にスキンヘッド――そのナイフを持った右腕に向かった。
「てめぇ!」
親方は叫ぶと同時にヴィルフリートに斬りかかるが、そのダガーはいともたやすく見切られ、ヴィルフリートは右手だけで峰を捉え刃を止めた。
「セヴィのダガーのほうが千倍速い」
ダガーごと腕を捻り上げ、折る。これでこの男は戦闘不能、ヴィルフリートはユリウスに視点を戻した。
ユリウスはスキンヘッドの右腕に食らいついている。やがてスキンヘッドはナイフを落とし、ユリウスはそれを見て腕から離れ、ヴィルフリートの剣を拾った。
「ヴィルフリートさん!」
投げ渡されると同時に剣を抜くヴィルフリート。
次いでユリウスは、未だ捕まる少年を見た。
「おとなしく縄についてください。チェックメイトです」
「くっ……!」
スキンヘッドは二、三歩後ずさりしたが、ヴィルフリートも歩み寄る。
「くそっ!」
「!」
追い詰められたスキンヘッドは捨鉢になり――少年を投げていた。それも、川に向けて。そして背を見せて一目散に逃げた。
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