第18話 陰火

 一般拝謁は恙無く進んだ。危惧していた反国王派の襲撃もなく、大広場で国王が数十分ほどの演説を行った際は割れんばかりの喝采が起こり、民心が国家と国王に強烈に結びついている事を深く印象づけた。

 演説の内容は、王家の歴史への敬意と、現在の王国とそれを作る国民の偉大さを殊更に強調した、聞き様によっては扇動的な内容であったが、反国王派の戦意を殺ぐには効果的とも言えた。

 現国王は、かつてはタカ派ともされた人物。国民も理解していた。


 ユリウスにとって意外だったのは、セヴェーロの反応。

 警護の観点から騎士隊は、演説中は国王と同じ壇上にいるが、その中でもセヴェーロは国王の姿を誰よりも真剣な眼差しで見ていた。言葉一つ一つに聞き入っていた。

(隊長は、王位を継ぎたいと思っているんじゃ……)

 ユリウスはそう感じた。

 しかし。“ハインリヒとの約束がある”、その事が彼を縛っているのではないか、あるいは妾子である事がコンプレックスなのか。そう考えれば彼の普段の飄然とした態度も内面的アンステディの裏返しとも取れ、しかしならば、セヴェーロはそれをユリウスに伝えようとしているのではないか。


 演説が終わり城への帰り道。演説の効果から往路以上に熱狂的になった見物人たち。先導の兵たちは見物人たちを抑えるのに苦労したようだが、それ以外に問題は起こらなかった。

 城へ着くとセヴェーロはすぐに自室に戻った。フェスタの成功を祝う城内晩餐会の席にも姿を見せなかった。

 ユリウスはその晩餐会を抜けだした。居館三階、最奥の部屋へ向かう。そこがセヴェーロの自室となっている。

 ノックには、少し勇気を必要とした。「隊長、いますか」とその言葉を上手く言うだけでいいのだが、種々の思惑が頭の中で交錯し行為の単純さを鈍らせる。

 一度、息を吐いてから扉を叩いた。それから口を開いた、が。

「……あ」

 その前に、扉が開いた。

 セヴェーロはユリウスの来訪を知っていたかのように、あるいはそれを望んでいたかのように、扉の後ろで待っていた。

「入んなよ」

 そう言ってセヴェーロは、部屋の奥へと行ってしまう。立ち話で済ませたかったユリウスだが、そう言われれば部屋へ入らざるを得なくなる。

「失礼します……」

 室内は、不自然なほどに生活感がなかった。

 窓際に机と椅子、その横にベッド。あとは入り口の横に小さい本棚がある程度だが、ユリウスはまず、その本棚の上のガラス器具に目を奪われた。薬学師が使うような、二つのフラスコが金属の部品で繋げられた形状の器具。無趣味さの見て取れる部屋で、一際異彩を放っていた。

「“サイフォン”が気になるかい?」

「え? いや……」

 ユリウスは扉を閉めた。するとますます、部屋の殺風景さは強調され、そのガラス器具が放つ唯一の人間味は増す。

「三年前のフェスタで買ったんだけど、使い方がわからなくってさ」

「なんの器具なんですか?」

「それがわからないのさ」

 セヴェーロはそう言ったが、ユリウスには見当がついていた。フェスタ中、珈琲屋の奥に似た器具を見たし、それに、遠い昔にも見た記憶が薄っすらとあった。ただ、いつ、どこで見たかは思い出せない。

「ところでさユリウス、用事は?」

 椅子に座るセヴェーロ。「座んなよ」と促され、ユリウスもベッドに腰掛けた。

「隊長は……」

 などと言いかけて、次の言葉が出てこない。訊きたい事は複数あるが、軽々しく訊ける事は一つもない。

「……どうして、騎士なのですか」

 下手な思案の末、ようやく出てきた無粋な問い掛け。

 王位継承を拒んで騎士隊長となっている理由は、恐らく“兄”の死因にも繋がっている――とは思うが、知る為の正当な権利には乏しい。

「君こそ」

 セヴェーロは立ち上がり、ユリウスに歩み寄る。

「何故、騎士になったんだい?」

 言いながら、ユリウスの隣に座った。

 ユリウスはとっさに、殆ど反射的に入り口を見た。セヴェーロの言葉に若干の冷酷さを感じた。

(遠い)

 今になって、自分自身が問い質される側になる可能性に気づいた。となれば、最上階最奥のこの部屋には誰も来ないし、逃げるのも難しい。

「私は……王を護るために」

「俺は王を護りたいわけじゃない」

 ユリウスは顔を上げた。気が付くと、セヴェーロは息がかかりそうな程に顔を寄せている。

「ユリウス、君がもしさ、本当に王を護る事を目的とするのなら。俺はそれをどう確かめればいい?」

「……王のためになら、私は命を賭して戦います。王に危機が迫るのなら……」

「違うだろ?」

 不意に、セヴェーロはユリウスの肩に手を当て、そのままベッドに押し倒した。

「ユリウス。君は本当に、誰にも気づかれていないと思っているのかい?」

「……!」

「例えば俺がここで君に、“深い傷”を負わせたとしたら、君はそれでも騎士を続けるのかい? いや、例えばじゃない。もうこの城に居るのが嫌になるくらい、俺の顔を見れば青褪めるくらいの傷を負わせる。今、俺はそのつもりでいるとして、さ」

 セヴェーロの指先がユリウスの顎に触れた。ユリウスは確信した。セヴェーロは、自分が女である事を見抜いている。

「だけど君がもし、“王を護りたい”なんて理由を嘘だと認めて、他に目的があって騎士になったと白状するのなら……」

 二人の顔が近づき、触れそうになったとき。

「兄を」

 ユリウスは、

「ハインリヒを殺した騎士を探しています」

 ついに、そう答えた。

 口の端に笑みを浮かべていたセヴェーロの表情は途端に翳り、触れていた手の力は弱り、顔を離した。

「…………そうか、君が……」

 少し考えるように動きを止めていたセヴェーロだが、やがて立ち上がり、本棚へ向かった。“サイフォン”を手に取った。

「ユリウス。その事は詮索しないでほしい」

「……何故?」

「あいつの死を無駄にしたくない。皆……」

「……」

「騎士は皆、そう思っている……」

「皆とは」

 ユリウスを一瞥し、また目を逸らしたセヴェーロ。

「……皆さ」

 サイフォンを、ユリウスに渡した。

「あげるよ」

 ユリウスは、断る句もなく受け取った。


 その日は結局、それ以上何も語らなかった。何も訊けなかった。


 それから夜が明け、翌日からはまたいつも通りの日々が始まった。

 街はフェスタの賑わいが嘘のように日常に戻り、騎士隊もまた、通常の活動に戻っていった。

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