第15話 風果
廊下でばったりと、ヴィルフリートと会った。
「あ、ユリウス……」
少し、ぎこちない。ロルフの一件の時、自分もまた疑われている事を告げられている。
(誤解を解かないと……)
と思うが、端的には誤解とすら言い難い。騎士隊の“誰か”を斬るために入隊している。
「……そう言えばユリウスは、明日からのフェスタには行くのですか?」
先に口を開いたヴィルフリートの言葉は、ユリウスにとって聞き慣れない単語を含んでいた。
「え、フェスタ?」
行くも何も、“フェスタ”なるものの存在を知らない。
以前セヴェーロがそんな事を言っていたような気もするが、深くは考えていなかった。
「私は、予定はありませんが……」
「そうですか? でも、行く事になると思いますよ。警備として」
「あ……」
それもそうか、と思った。街の治安維持も騎士の仕事なら、フェスタにも出張るのは当然と言える。
そんな事もあり、翌日の朝の稽古中。リーンハルトに、
「私はフェスタに行ったほうがいいですか?」
そう訊いた。リーンハルトは勘違いしたのか、
「行きたいのなら行ってもいい。全く、子どもだな」
呆れ顔になった。
「いやそうではなく、警備として行ったほうがいいのかと思いまして」
「街の警備は一般兵が総出で行うし、統率はヴィルフリートがやっている。貴方の仕事は夕方からだ、細かい事はまた説明する」
「夕方、ですか」
「……すぐにでも行きたいのか?」
「いや行きたいわけではなくて」
「行きたいのなら連れていく」
「いや……」
「行きたいのだろう?」
「いやいや……」
……などと言い合っているうちに、気づけば外に連れ出されていた。
フェスタに興味がないわけではないが、子どもじみているとは思われたくなかった。
そもそもお祭りなんてもののイメージが、ユリウスにとっては田舎の小ぢんまりとした宗教行事としてのもので、土地の者にとっては大切なイベントでも余所者には特段楽しいものではない。
何百年も受け継がれる、なんだかよくわからない御神体を皆で拝む。それがユリウスの知るお祭り。
……と、そう思って街に出たが、ユリウスは自身の想像を超えた活気に驚かされた。
大通りには人が溢れ、国内外からの行商が出店している。仮装者の集団や大道芸人の興行など、それだけでユリウスには始めての光景。まだ朝のうちから大きな賑いを見せている事に、軽いカルチャーショックすら覚えた。
「凄い賑わいですね。夜までこの調子ですか?」
「夕方はもっと賑わう。メインイベントがあるからね」
「メインイベント?」
「王の一般拝謁がある。キャリッジ馬車に乗って市民に姿を見せるイベントだ……聞いていないのか?」
「いえ、全く」
「そんな筈は……」
とリーンハルトは言いかけて、止めた。
それから、呆れたように頭を抱えた。
(隊長か……)
ユリウスにも分かるようになってきた。きっとまたあの隊長は、「驚かせたいから」などという理由で敢えて黙っていたのだろう。
「まあいい……その時間は特に見物客が増えるから、当然我々騎士隊が王の護衛に当たる事になる」
これ以上盛り上がる、という事が田舎出身のユリウスには信じ難い事であったが、興味が出てきた。
「それまで時間がある。私が案内しよう」
そう言ってリーンハルトは人混みの中に入っていくが、ユリウスは、群衆に慣れていない。しばらくは追いかけていられたが、やがて見失った。
「リーンハルトさん……!」
不安げな声で呼ぶと、
「全く、何をしている」
人混みを掻き分け戻ってきたリーンハルトが、ユリウスの手を掴んだ。
「ちゃんとついて来い」
ため息混じりに言うリーンハルトに、
(これじゃ本当に、子供みたいな扱い……)
そう思った。
リーンハルトは気を使って、通りの中央を歩くようになった。行商の露店が並ぶ道の端よりも若干、人が少ない。
「何か買いたいものはあるか?」
仮装行列とすれ違い、道端で足を止めた。リーンハルトは通りの先の大広場へ向かうつもりらしいが、ユリウスがいろんな店に目を奪われているのを見て、気を利かせてくれたらしい。
「えっと……」
ユリウスは通り斜向かいにある、異国から来たと思しき氷菓の露店が気になっていた。“ジェラート”と呼ぶらしいが、菓子とは焼いて作るものという先入観を持っていたユリウスにとっては心惹かれるものがある。
「この辺りは玩具や軽食の店が多いようだ。もう少し先へ行こう、珍しい鉱石や滅多に手に入らない東方世界の武具の店もある」
「え? いや、でも……」
正直そんなものには興味が無い。
といより、心中はもうあの氷菓の事でいっぱいであり、他は気にも留まらない。
(というかリーンハルトさんは、私が石とか武器とかに興味があると本気で思ってるのかな……)
手を引いて歩き始めている。
(子供扱いしてるくせに……)
「どうした?」
“珈琲屋”なる露店の前で立ち止まった。大陸東部の嗜好品という宣伝文句で、香ばしい香りを漂わせている。リーンハルトは、ユリウスがそれを見ていると思った。
「ユリウス、私は去年あの“珈琲”というものを飲んだが、貴方の口には合わないと思う。あの苦さは子供には早い」
「飲みませんよ……子供ですから! 苦いものより甘いもののほうが好きです」
とは言っても、直接ジェラートをねだるのは気が引けた。それこそ子供っぽい。だから、なんとか察してもらおうと、
「それにしても、今日は暑いですね」
などと言ってみるが、
「そうか」
と、思うようにはいかない。よって結局はちゃんと言わなければならないと思い、
「……あ、あの……!」
と。
ユリウスの開いた口を、リーンハルトが不意に指で押さえた。
(……?)
「……静かに」
数メートル先の二人組を見ている。浅黒い顔をした薄毛の壮年の男と、釣り目の小男。二人とも国内では見慣れない牛革のベストを着ているが、仮装者もいるフェスタでは特別目立っているわけではない。
リーンハルトはむしろ二人の会話に気になる点があるらしく、耳をそばだて、目では唇を読もうとしている。
二人が路地に入った。
「彼等を追ってくる」
リーンハルトも路地へ向かう。ユリウスも待っているわけには行かず、後をついていく。
路地から建物の裏を窺うリーンハルトに追いつき、自身も息を殺す。
リーンハルトの視線の先で、二人の男は別の市民二人と金貨のやり取りをしていた。小袋を取り出し、受け渡しを始めるつもりなのだろう。
「芥子」
芥子は、遠い東国原産で、バーデでも栽培される植物。未熟果の汁には、神経系作用物質が含まれる所謂麻薬である。当然、栽培も所持も禁止されている。
ユリウスはリーンハルトのその言葉に驚き、半歩身を引いた。足元の落ち葉を蹴ってしまい、路地に葉の擦れる軽い音が響く。
「!」
リーンハルトは慌ててユリウスを抑え、男たちの様子を再び覗く。
音は届いていなかったらしく、男たちは変わらぬ様子でいる。リーンハルトは胸を撫で下ろした。
「気をつけてほしい。迂闊だ」
「ご、ごめんなさい……」
リーンハルトは剣に手を添え、身を乗り出した。
と、その時。
リーンハルトの足元で、乾いた音が響いた。見れば、足の下で枝が折れている。
「あ」
思わずユリウスも声を漏らした。
男たちはこちらに気づいてしまったようで、視線を向けていた。
リーンハルトは、
「……すまない」
気恥ずかしそうに、俯いていた。
「逃げろ! 騎士だ!」
小男が叫んだ。男たちは市民を置いて走り始めている。リーンハルトも二人を追う。
「えっ……と」
ユリウスは立ち尽くす市民を見てどうするか迷ったが、男たちを追う方を選んだ。まだ小袋の受け渡しは完了していない。
路地を抜け大通り、男たちが装飾品の露店の簡易テントを倒して、商品が路上に散らばる。リーンハルトは構わず追いかけ、人混みを掻き分けながら逃げる男たちを見失わない。
男たちは人混みを嫌って再び路地に入り、やがて裏通りに抜けた。ユリウスは息を切らしながらもようやくリーンハルトに追いついたが、男たちの足は速く捉えられていない。
「あれ、リーンハルトさん」
不意に、聞き慣れた声。裏通りを見回っていたヴィルフリートだった。フェスタも楽しんでいるらしく、食べ物を持っている。リーンハルトはそのまま走り過ぎたが、ユリウスは止まった。
「ヴィ、ヴィルフリート……さん、リーンハルトさんの先にいる男たち……を……ってあれ」
息も絶え絶えだがなんとか状況を説明しようとする中、ヴィルフリートの食べているものに目を奪われた。
「そ、そ、それ! ジェラー……」
「わかりました! これ、持っててください」
ヴィルフリートは食べかけのジェラートをユリウスに渡し、走り始めた。
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