第12話 下弦
夜、秉燭を過ぎた夜陰の刻。ヴィルフリートが部屋を訪ねてきた。
「ユリウス……行きましょう」
一緒に城を出たが、ヴィルフリートは無言のままユリウスの前を歩いていた。
(どうして、ヴィルフリートさんは私を連れていかせるのだろう……)
空には下弦の月。行き場所は、わからないまま。
途中馬車を拾った。予め用意していたものらしく、御者は目的地を訊かなかった。
それから、長い事揺られた。
(随分……遠くまで行くな……)
ユリウスがそう思っていたとき。
「……騎士隊は、何故七人しかいないのかと、前に訊きましたね」
ヴィルフリートが口を開いた。
「……」
ユリウスは、無言で顔を向けた。ヴィルフリートは、窓の外を見ていた。
「近衛騎士隊は、王に最も近い位置で剣を持ちます。暗殺をするには、この上ない位置……人数が増えるほどそんな人間も入り込みやすい。だから、七人以上にはしないんです」
「…………そう、なんですか……」
ユリウスは自分の脈拍が、速くなっているのを感じた。緊張は表情にも出ているのか、それも不安になれば冷や汗が浮かんだ。
「しかしそれでも、賊は入り込みます。だから、騎士隊内には内部調査を担当する騎士がいます。今は……僕がそうです」
ヴィルフリートが、ユリウスに顔を向けた。
「ユリウス」
「……はい」
「君の出自には、不自然な点があります。ハルベルグに、クラルヴァイン式剣術の道場はありません」
「……」
汗が、流れた。脈拍はもう気にならない。鼓動音が、それを遥かに上回っている。
「君は、何の目的で騎士隊に入ったのですか?」
「…………私は……」
馬車が、止まった。
と同時に、ヴィルフリートはすぐに降りた。
「……ユリウス、行きましょう」
少し迷ったが、ユリウスも降りた。そこは月の光が草木の間から僅かに差す程度の、鬱蒼とした森の中だった。
走った時間と方向から、国境線付近である事は予想できた。ケルラウ川の中流から下流付近であり、川幅広く底は深い。
木々の間を進んでいくと、やがてその川が見えた。その畔に人影がある。
「ロルフさん」
ヴィルフリートが名前を呼ぶと、人影は振り返った。
「……よく、ここが分かったな」
「隠しているようでも、噂は広がります。特に国境付近の“渡し”の話なら、旅人の多い宿場や酒場などでよく漏れ聞くものです」
国境線は一般兵が警備をしているが、その目を盗んでの密入国・出国は後を絶たない。バーデ公国が手を引いているとの噂は多いが、決定的な証拠があるわけではない。
「ふん……」
ロルフは、ヴィルフリートの正面に立った。
「それで“仲間殺し”役のお前が、俺にどうしろと言うつもりだ?」
「盗んだ機密文書を置いて、川を渡ってください。そうすれば見逃してあげられます」
「見逃して“あげられる”? ……ガキが……舐められたものだな……」
ロルフは持っていた剣の柄に手を添えた。刀身の広い豪剣。
「その文書は、貴方が持っていても意味を成しません」
「高く買ってくれる奴がいるんだよ。渡せねぇな」
「ならば、斬ります」
ヴィルフリートも、剣に手を添えた。半円型の護拳のついた、赤銅色の柄のサーベル。
「はっはっはっは……世間知らずの坊っちゃんかぁ?」
ロルフがその姿を見て、馬鹿にしたように笑った。
嘲笑っている。ヴィルフリートを完全に下に見ていた。
「先に剣を抜いて下さい。僕は、無抵抗の相手を斬りたくはありません」
「思い上がるな! 糞ガキだな。お前は若すぎて、世の中の厳しさってのを知らねぇ」
ロルフが、剣を抜いた。
「俺が、大人としてお前みたいな無知なガキを」
ユリウスは。
ヴィルフリートが剣を抜いた瞬間を、目視出来なかった。
「…………え……?」
頓狂な声を上げたのは、痛みを感じる間もなく腕の感覚が消えたからであろう。
ロルフが剣を振り下ろそうかと思ったその瞬間には、ヴィルフリートの剣は鞘から抜き放たれ、ロルフの剣の刀身、腕、喉元までを切り裂いていた。
それから間髪入れず、ヴィルフリートは二太刀目の動きに入る。湾曲したサーベルの刃が弦月に重なり煌めくと、迷いなくロルフの頭部を突き、そのまま貫き倒した。
国王直属近衛騎士隊第四席・ヴィルフリート=シュバルベンシュバン。その剣は、時に神速と称される。
「ユリウス」
目の前で起こっている事についていけず、黙って立ち尽くしていたユリウス。
「は、はい……」
震える声で返事をした。
「お願いです。君の目的は知りません、だけど……悪い気は起こさず、平穏に、静かに過ごしてください」
ヴィルフリートが骸と化したロルフに十字を切った。剣に付いた血を振り払い、鞘に収める。それから骸に背を向け、来た道へ引き返した。
少し、俯いた。
「…………僕は、君を斬りたくない」
小さな声だったが、ユリウスにははっきりと聞こえた。
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