第10話 夜光
数日が過ぎ、騎士としての生活にも馴染んできた。
午前は訓練場で稽古、正午の円卓会議室で午後の活動に関しての指針が示される。
ケルラウ川の一件以来、反国王派には大きな動きはなく、新人のユリウスらには城内警備が命ぜられている。
夜になれば自由な時間も取れるようになったが、それにしても困った事がある。
(お風呂……入りたいな)
城内には浴場がない。洗濯場もない。着替えがなくなり、ここ数日は水道で水を汲み、人目を忍んでの水浴びを二度ほどしただけである。臭いが気になる。
(我慢しなきゃ……)
そう思っていた宵の口時。
「ユリウス、いますか?」
部屋をノックする音とともに、声が聞こえた。
「はい」
返事をして扉を開けると、ヴィルフリートが立っていた。
「今大丈夫ですか?」
「は、はい。何でしょうか?」
「そろそろ、市中巡回を教えてやって欲しいとリーンハルトさんに言われまして」
「今から、ですか?」
ユリウスがそう言うと、ヴィルフリートはキョロキョロと周りを見回し、誰もいない事を確認した。それからゆっくりとユリウスに顔を近づけ、
「……夜巡回のほうが、いろいろ楽しみも多いんですよ」
小さな声で、耳打ちした。
守衛に跳ね橋を降ろしてもらい、城下街に出た。
日は落ちていたが街はまだ明るい。家々や商店にも光が灯っている。
市内中心を貫く大通りから狭い路地に入り、建物の隙間を縫って裏通りに抜けると酒場や宿が多くなる。
騎士とはいえ人好きのするヴィルフリートは、市民からの人気もあるようであった。“騎士様、騎士様”と、多くの市民が寄ってくる。
「こんばんは。何か変わった事はありませんか?」
などと律儀に一人一人と挨拶を交わすヴィルフリートだが、ユリウスには少し、気になる事がある。
「あらヴィルフリート」
「ヴィルフリート、今日も可愛い顔ね」
「ヴィルフリート、そちらの騎士様は新人さん?」
などと、“大人の女性”に声をかけられる頻度が高い。
「ヴィルフリートさん、あの女の人達は……」
ユリウスが訊くと、
「この辺りの宿屋で働いている人たちです。皆さん、優しいですよ」
屈託のない笑顔でそう返す。
「や、優しくって……え、どういう意味で?」
「この前なんか野菜をもらいました。エシャロットですよ、エシャロット!」
てっきりそういうアレかと思ったユリウスだが、健全なようで少し安心した。
「楽しみがあるとか言うので……」
「あ、それですか。じゃあ今から行きませんか?」
そう言ってユリウスを連れて路地をさらに奥へ進み、ヴィルフリートが案内した場所。
「ここって……」
「はい、公衆浴場です」
石造りの広い建物、青銅製の扉に装飾が施された柱。天井下の通気口から湯気が排出されている。
(お風呂……)
ユリウスにとってはちょうどいい。汗を流せ髪も洗えるかと思うと、まさしく希望の光にも見えた。
確かに、この国では浴場は夜に利用するものというのが常識、ヴィルフリートが“夜の楽しみ”と言うのも納得できた。
「それじゃあ、入りましょうか」
「はい…………え?」
しかし。
ヴィルフリートと一緒に入るわけにはいかない。当然の事ながら、ユリウスは躊躇った。男装がバレてしまう。
しかしヴィルフリートは構わず扉を開き、
「大丈夫ですよ、みんなには内緒にしますから。セヴィだって時々来てるみたいですし」
そう言って中に入るよう促す。
「いや、そういう事じゃなくて……」
「桶と石鹸なら置いてありますよ」
「そ、そうでもなくて……!」
「行きましょう」
ヴィルフリートは建物に入っていく。ユリウスも追いかけないわけには行かず、待合スペースを超え、番台を過ぎ、気づけば脱衣場にまで連れて来られていた。
「あの、私!」
「なんですか?」
「!」
ヴィルフリートはもう服を脱ぎ始めている。上半身は裸で、下も脱ごうとして手をかけている。
「ここには剣を盗むような人もいません。とは言っても、見張り係はいるんですけどね。帰ってからちゃんと手入れすれば錆びませんよ」
「ち、違いますって! 私……」
「?」
どうにかして何とかしようと考えあぐねて、結果としてユリウスの口から出た言葉は、
「お……お腹が痛くて……」
そんな、古典的な言い訳だった。
ユリウスはお腹を押さえ、大げさに屈んでみせる。そんな姿を見て、人の良いヴィルフリートはすぐに心配そうな顔を見せた。
「大丈夫ですか!? すいません気づかなくて……」
「いえ、急に痛くなったのですから……」
「きっと冷えたんですね…………すぐにお風呂で温めましょう!」
「え? いやいやいやいや!」
ヴィルフリートはユリウスの制服を掴み、脱がせようとする。
「浴場は温かいですから。蒸し風呂もあります!」
上着の裾をたくし上げ、無理にでも脱がそうとする。慌てているのか、同時に下にも手をかけて下ろそうとしている。
「大丈夫です大丈夫です大丈夫ですから!」
「よくないですって! この湯は冷え性にも効きますから、すぐにでも入りましょう!」
必死になっているヴィルフリート。なんとか手を振り払い、
「トイレに行けば治りますから!」
そう言い抑えてなんとか逃れ、出口まで走る。
(あ、危なかった……脱がされたら女なのがバレちゃう……)
そうしてなんとか外に出ようとした、その寸前で。
「あっれ、奇遇だね」
出口を塞ぐように、見覚えのある人影。
「た、た、隊長!」
「ユリウスもお風呂なんだ? せっかくだから一緒に入ろうか」
「いや! 今出る所ですから!」
「もう一回入ればいいよ」
勝手にそう決めて、セヴェーロはユリウスの背中を押す。
「もう帰りますから……!」
「いいじゃん。恥ずかしがってるってわけでもないだろうにさぁ?」
セヴェーロは手を背から肩に回し、後ろから顔を近づけた。
「“女の子”でもあるまいし」
「!」
セヴェーロの言葉に、全身が凍りついた。
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