第9話 水端

 結局セヴェーロは、一人で行ってしまった。

 敵が二人というのが本当ならば、王国でも指折りの騎士であるセヴェーロなら問題ないのかもしれない。しかし、ユリウスには腑に落ちない。

(すぐにでも死ぬ事が分かっていて、仲間の人数を正確に教えるだろうか)

 とはいえ大人数がここにいるのならもっと目立っていた筈であるし、情報にも“少人数”とあった。

(じゃあ、なんで……)


 と。

 戸に、人の気配を感じた。セヴェーロが戻ってきたのだと思い、ユリウスは振り返る。

「隊……」

「知らない奴だな」

 しかしそこにいたのは、アックスを持った大柄の男。

 無意識に隊長である事を期待したユリウスは、自分の認識の甘さを思い直した。今は、騎士として戦いの場にいるのだと。

「……」

 大柄の男は転がっている死体を見て、察したらしい。

「……騎士隊、か。しかし予定と違うな」

(予定?)

「まあいい、どちらにしろ、お前は生きては帰せん!」

 男がアックスを振り下ろす。力一杯の攻撃だろう、しかし。

(見える……)

 リーンハルトの剣より遥かに遅い。田舎の剣術大会の参加者のほうが、まだ筋がいい。ユリウスは横に飛びアックスを躱した。

 あとは隙だらけの相手の側部に対し、剣を突き刺せばいいだけ……が、構えが取れない。不思議な事に、体が上手く動いてくれない。

「…………」

 男はそのままアックスを横に薙いだ。辛うじて剣で受け止めるユリウスだが、勢いは止められず吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられる。

(……いけない……)

 初めての実戦に、頭が止まっている。剣術会とも稽古とも違う、本物の命のやり取り。

(もっと強い意志を……お兄ちゃん……)

「ふん」

 立ち上がらないユリウスを捨て置き、男は堰のハンドルを回し始めた。

「!」


 罠だ、とユリウスは思った。初めから“これ”が目的だったのだろう。

(堰を下げられたら……隊長は閉じ込められる! ……いや、最悪なら堰板に潰される!)

 騎士隊は強い。真っ当に正面から戦っては勝てない。ならば、罠に嵌めるしかない――そう考えれば“二人”という情報は正しいのだろう。一人はハンドル操作で堰を閉じ、一人は堰内部で、命を捨ててセヴェーロを足止めする。正確な情報を教えたのは、呼び寄せる為の罠。

「やめろ!」

 ユリウスは叫んだ。男は振り返り、再び斧を振りかざす。

 立ち上がるユリウス、剣を構えた。鍵の構え。

 ジリジリと間合いを詰めながら、男を回りこむようにして並行に移動する。

 ハンドルは男が手を離した後も回り続けていた。一度勢いをつければ、堰板は自重で勝手に下がる。それを止めなければならない。


 男が再び斧を振り下ろす。ユリウスは斧の先を剣の腹で受け、そのまま受け流すように地面に落とした。

 重いアックスを地面に流され、男は体勢を崩している。ユリウスは、そのまま男の右腕を突き刺した。

「ぐぁ!」

 男が飛び退いた時、ユリウスは腕から剣を抜いていた。立ち位置は、狙い通りに入れ替わっている。ユリウスはハンドル側、男は戸側。

(そのまま……逃げ帰ってくれれば……)

 すぐにでもハンドルを止めたい。そう願いながら構え直すが、思いは叶わず、男は左手で斧を取り再び襲い掛かってきた。


 セヴェーロを助けるには。

 まず男を殺害する。それが確実である。

 それが出来ないのならば、男を無視してハンドルを止めるしか無い。しかしその隙は当然、見逃されはしないだろう。


 男の攻撃は精妙さを欠いている。ユリウスは男の懐に入り込み、斬り上げた。

(手応えあり……)

 腹部から胸にかけて血が噴き出た。だがまだ浅い、致命傷ではない。

「……その傷ではもう戦えないでしょう。去ってください。命は助かります」

 ユリウスは言いながら、ハンドルを掴んで止めた。あの傷ならもう戦意は無いだろう、そう判断した。

 しかし男は退かなかった。構わず斧を振り回す。

「! どうして……」

 アックスはハンドルにカチ当たり刃が割れた。ユリウスは躱していたが、ハンドルはまた回り始める。

 男は、今度は死体から剣を剥ぎ取り斬りかかってきた。


 ――どうして、そこまでして戦う?


 ユリウスには理解出来ない。

(息の根を止めるしか……)

 そう思った、次の瞬間だった。

 突然、男の動きが止まった。

「ダメだよ、敵に情けをかけては」

 セヴェーロの声がした。と同時に男の胸部から血が溢れ出す。背後からショートソードが貫いていた。心臓を、正確に。

 男はようやく倒れた。絶命している。

「隊長……」

「戦士には時に、命よりも大事なものがあるのさ。彼にとって、仲間の命を無駄にする事は死よりも辛い事だったんだろう。死ねないほうが残酷な事もあるのさ」

「は、はい……隊長、無事でよかったです」

「まぁね。二人って聞いたのに一人しかいなかったからさ、急いで帰ってきた。君が心配でさ」

「そうですか……心配をかけるなど、情けなく思います」

「いつだって心配さ。“華奢”だからね、君は」

「きゃ……華奢などでは……!」

「ははっ!」

 ちょっとだけ笑い、セヴェーロは背を向けた。

 そのまま小屋を出るセヴェーロを、ユリウスは急いで追いかけた。

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