第8話 狂花

 王国北部、バーデ公国との国境に流れるケルラウ川。川幅はおよそ四百メートル。

 城下から離れた山の麓に流れるこの川には、都市部への利水のために堰が設けられており、その管理の為の小屋もある。

 木造の小屋には管理用具と堰の操作ハンドルが置かれているだけの一部屋しかないが、そこから堰の整備のために構造物の内部に入れるようになっている。

 年に数度(ファルイシアが雨季の間)にしか操作されないため、それ以外の時期は管理人もいない。


「誰もいない筈なのに、人の出入りを見たって話があるんだよ」

 小屋の扉の前で、セヴェーロはユリウスに言った。

「それが反国王派って事ですか?」

「だろうね。もうすぐ雨季だしフェスタで人も増えるからから、堰が機能停止すれば城下は困る……とか考えているんだろうね。人材不足の反国王派の考えそうな事さ」

 セヴェーロは小屋の引き戸を開こうとしたが、鍵がかかっていた。

「本当に人がいるのですか?」

「さぁね」

 言いながら、剣を抜いた。セヴェーロは二刀流。左手にダガー、右手にショートソード。

 ノック代わりに、引き戸を切り刻んだ。

「い、いいんですか!?」

「いいんだよ別に」

 木片となった戸を蹴り退かし、小屋内に入れば果たして人がいた。

 壮年の男である。男にとっては予想外の展開だったのか、驚いた顔で硬直している。

「あんた、管理人じゃないね」

 セヴェーロがそう言うと、事態が飲み込めたのか男は剣を抜き斬りかかってきた。セヴェーロはそれをダガーで軽くいなし、ショートソードで男の腕を斬り落とした。

 剣で知られた騎士であるセヴェーロ、一振りで、両腕とも斬り落としていた。

「ぎゃあ!」

 悲鳴を上げ、男は倒れ込んだ。酷い出血だった。止血をしようにも両手とも失った男、パニックに陥りながら転げていた。

 セヴェーロは、一切動じない。

(慣れてるんだ……)

 一連の出来事を見ていたユリウスはそう感じた。修羅場など日常的なものなのだろう。有事の際にのみ戦闘がある兵団とは違い、常に王の敵に目を光らせていなければならない近衛騎士隊には特に。


 セヴェーロは倒れている男の髪を掴み、持ち上げた。

「何故両腕を落としたかわかるかい? 放っとけば出血で死ぬ、かといって剣が持てなくなるから自害も出来ない。さあ答えるといい、この堰には何人いる?」

 ユリウスは、その光景を見慣れていない。

 大量の血、その臭い。少し吐き気を感じた。

(ダメだ……慣れないと……)

 自分がやろうとしている事は“これ”なのだから。


 もし、兄を殺したのがセヴェーロなのだとしたら。自分は今この場でも彼を斬り、血の海に沈めなければならない。その決意は持ってきている。


「……ふた……り……」

「二人? たったの?」

 セヴェーロが男を離した。

「……死んだか」

 恐らくこの場所に、何日間も閉じこもっていたのだろう。もとから衰弱していた。

「……」

「ユリウス?」

「……あ、はい……」

「どうしたんだい? 死体を見るのは初めて、とでも?」

「いや……」

 死体なら、脳裏に焼き付いている。貫き殺された兄の死体。

(でも……)

 セヴェーロが“左手”で持つダガーでは、体を貫通するほどの傷は与えられないように見える。刃渡りが短い。

(私の……思い違いだったのかな……)

 男の死体を見て、心は少し萎えそうになった。

「堰のほう見てくるよ」

「え」

「君はここで待ってて欲しい。すぐに戻ってくる」

「いえ、私も行きます。一人では危険です」

「君がいるほうが危険だ」

 セヴェーロがユリウスの眼を見た。

「今の君じゃあね」

 内面を、見透かされている気がした。

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