第102話『遠慮してない?』

 今朝も露天風呂を楽しみに、鼻唄混じりでスルリと服を脱いでいき、大浴場の扉を開けた桜は「あっ」と声を出した。

 湯船に浸かる先客がいたからだ。

「おはよう、早いのね」

 と、三葉は朝から美しい顔立ちで挨拶する。

「み、三葉ちゃん! おは、おはようっ」

 何故かどもる桜。

 ……そっか! 一昨日の夜から、白付の一年生達もこの宿に泊まってたんだっけ!

「誰? 葵ちゃんの知り合い?」

 と、三葉に尋ねるのは、眼鏡の曇り止め加工がバッチリな加菜だ。

「うん、ていうか、北条のマネージャーさんよ。私達と同じ一年生の桜ちゃん」

「おぉ! 言われてみれば見覚えのある顔」

 それは自分とどことなく似てるからでは、と三葉はひっそり思いながら、

「そんな所で突っ立ってないで、アナタも入れば?」

「あっ、は、はいっ!」

 謎に畏まった桜は、秒で体を洗い、「失礼しまぁす」とチャポンと足からお湯に浸かる。

 その様子をジッと眺めていた三葉は「桜ちゃんって……」と口を開く。

 何? 何を言われるんだろう?! と桜はビクリする。

「良い胸の形してるわね」

「えっ……?!」

 まさかの発言に面食らう。

「うんうん、私も思ったー。変な意味じゃなく、健康的でついつい見入っちゃう感じ」

 と、軽い口調で加菜は同意する。

「健康的……?!」

「あ、もちろん葵ちゃんも見入っちゃうよん♡ モデル級スレンダーボディで」

「それはどうも。そういう加菜こそ」

 あれ、女子同士って裸の付き合いだとこんな会話だっけ??

 桜はほとんど経験がないせいかひどく困惑した!

「私、露天の方も入ってこよかなー♪」

 ザバリと立ち上がった加菜は、トテテと外へ出た。桜は目を丸くしながら、確かにこの眼鏡の子意外とスゴイ!! と心の中で叫ぶ。

 気が付くと三葉と二人きりになっていた。桜はふと思い出して、

「あ……そういえば、ベスト4入りおめでとう」

「そっちもでしょ、おめでとう。でも大変ね、エース負傷って聞いたけど」

「うん、まぁ、なんとか……」

 身内ではない相手に、桜から内部事情は話せない。

「あぁ、ごめんなさい。別に探るつもりじゃないから安心して」

「ううん……。それにしても凄いね、そっちは部員全員泊まりなんでしょ? こっちはメンバーだけだから、さすが私立だよ」

「日程が詰め込まれてるから……けど良し悪しね。宿題は山のように出されちゃって」

「わぁー、大変……」

 と、苦笑いしているが、北条は公欠というこのツケが部活を引退した後にやって来る事を、桜は気付いていない。

「ねぇ、桜ちゃん……アナタ、翔斗の事で何か遠慮してない?」

「ど、どうしたの? 急に」

 ドキリとする。

「一昨日そんな様子だったから。なんか物凄く青褪めてたし」

「そうかな……」

 と言いつつも、桜は目を伏せる。

「私、翔斗の事でアナタに遠慮されると、気が悪いんだけど」

 キッパリと三葉は言ってのけた。

「え!? ご、ごめんっ」

 思わずバシャリと波を立たせてしまう。これにも「あ、ごめん……」と桜は詫びを入れて、

「私ね、実は……中学の頃、自分でも気付かない所で色んな女子を傷付けてた事があるの」

 三葉は黙って桜の話に耳を傾ける。

「自分では普通に男子と話してるつもりでも、ある女子からすれば嫌だったみたいで……それで、中学時代は女子達とちょっと上手く、仲良くできなかったの」

 高校ではそんな事ないけど、と念の為に付け加える。

「ショックだったんだよね。まさか傷付けてるなんて自覚がなかったから、私ってそんなに人の気持ちが分からないのかって……」

「そんなの、ただの女の妬みよ。アナタが可愛いから、好きな男子が取られるって勝手にやっかんでたんでしょ」

 ホントこっちは良い迷惑だわっ、と三葉は憤然とする。

「三葉ちゃん……物凄く実感こもってるね?」

「だから私の事も傷付けちゃうって思ったワケ? 心外だわ、私そこまで女々しくないの。ただ単に、諦めの悪い女なだけ」

「三葉ちゃんって、堂々としてて本当にカッコ良い」

 桜は微笑むと、続ける。

「私もそこまで深刻に引きずってるつもりはなかったんだけど、最近、その中学時代の人とバッタリ会って……また同じ事を繰り返してたらどうしようって急に怖くなっちゃったの」

 あぁ……この間の決勝で一緒に話してた金髪ギャルね、と三葉は思い当たる。

「それで最近の私は、確かに敏感になってた。でもね、気持ちの落とし所は分かってるんだ。中学からの唯一の親友が、色々叩き込んでくれたおかげ」

「そう……。良いお友達を持ったわね」

「うん、私の大事な一番の親友……」

 桜は慈しんで、目を細める。三葉も緩やかな笑みを返す。

「翔斗くんにも、謝らなきゃ。かなり挙動不審に思われただろうから」

「うん、凄く心配してる様子だったわよ。表立って顔には出さないけど、分かる」

「さすが、幼馴染だね」

 ニコッと言う桜に、

「あら、強力な恋敵って言ってくれる?」

 三葉は挑戦的な笑みを向けた。

 女のバトルが今度こそ勃発する──わけでもなく、天使と女神は笑い合う。

 だがそんな平和的光景を、一人の予期せぬ来客がぶち壊した。

「いるかー、野郎共ー!」

 嬉々として声をあげ、ガラリ扉を開けるのは、千宏であった。

「え?」

「は?」

「ん? なんで桜と葵がここに?」

 三人の時間が完全停止していると、そこへ露天風呂から加菜が戻ってくる。

「はー♡ 極楽じゃったー! ほぇ? なんで森ちゃんが女湯にいんの? 女子になったの?」

寺本テラカナ、オマ、着痩せするタイプだな……」

 心の声がダダ漏れだ。

「そういう森ちゃんは……そうでもないね」

 加菜が平然とした顔で精神的ダメージを与えていると、三葉は手近な風呂桶をガシリ掴んだ。

「この変態! 早く、出なさいっ!!」

 と、左腕で胸を隠しながら右腕を振り、千宏目掛けて風呂桶を投げた。ガッコーンと鋭い音が響く。

「おー! ナイボー、じゃないや、ナイ桶ー!」

 と、加菜が拍手を送る。直撃した千宏は伸びている。

 三葉ちゃんスゴッ、コントロール良い上にこんな細腕で豪速球が投げれるなんて……と桜は明後日の方向に感動すると、冷静に思った。

 っていうか、時間帯で男湯女湯が入れ替わる事を知らないにしても、翔斗くん達といい、なんで入る前に気付かなかったんだろ……??

 謎であった。

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