第101話『ちょっとクセになりそう』

「あ……」

「あらっ」

 明け方、ホテルの大浴場の男湯へ入ろうとした武下は、女湯から出てきた湯上がりの万理と遭遇した。

「武っちも清掃された後の一番風呂? 気持ち良かったわよ」

 と、ニコリ微笑む万理は内心、顔パック付けてなくてヨカッター! と冷や汗を掻いた。

「やっと、やっと喋れた……!」

 武下は感涙している様子だ。「どしたの?」と万理は首を傾げる。

「いや、ちょっと感動を噛み締めてて……万理ちゃん、随分早起きだね」

 万理は低血圧なので早起きが苦手だ。

「まぁね。ってゆうか、むしろ完徹、みたいな?」

「えっ」

「ここ二晩寝てない」

 キラキラとした笑顔を向ける万理はグロッキー状態だった。

「だ、大丈夫? 新聞制作、物凄く頑張るね……何かできる事あったら、言ってね」

 武下は万理の本気に軽く慄く。

「武っち、人生にはね、多少の無茶をしてでも、何かを成し遂げたい時があるのよ」

「言葉の重みが凄いし、わかりみ深いよ」

「ところでエース様は足の具合どうなの? 明日、準決勝でしょ」

 今日は休養日となっている。

「昨日試合後に近くの病院で診てもらって、骨に異常はなかったけど、しばらく絶対安静、ってトコ」

 宮辺の悔しさと言ったら、武下は手に取るように分かる。

「じゃあ、明日の登板は……」

 武下は肩を竦めて、

「十中八九、山田先輩かな」

 あら……と万理は何と言って良いのやら。

 どことなく気まずくなった空気を打ち消すかのように、武下は努めて明るく切り出した。

「そういえば万理ちゃん、今度のクイーン選挙、俺絶対万理ちゃんに投票するから♪」

「……クイーン選挙? 何それ?」

 初めて聞く単語に眉根を寄せる。

「知らない? 十一月頭にある、全校男子の人気投票で北条女子No.1を決めるヤツ!」

「へー、ミスコンみたいな?」

「そう! で、No.1になったクイーンはその月の文化祭で、ステージの大トリを飾んのが毎年の習わし!」

 武下はイキイキと説明している。

「ふーん、そんなベタな学園ものっぽいイベントがあったのね」

 あまり興味がなさそうな万理だ。

「ちょうど昨日その中間発表があって、俺の仕入れた情報によると、万理ちゃん選抜メンバー二十人の中に入ってるよ! 最終的には、この二十人の中からクイーンを選出するってワケ」

「ていうかいつの間に選抜されてたの……?」

 全く身に覚えがない。

「ふっ、女子には極秘で一次投票が先週行われたのさ。主催は生徒会なだけあって、実にスムーズな投票だった……」

「どーゆう事っ」

「実は桜ちゃんも選抜に入ってて……それでも、俺は万理ちゃんに投票したいんだ」

 頭を掻きながら照れ臭そうに話す武下に、万理は目を瞬かせ、恥ずかしがる。

「気持ちは嬉しいんだけど、私、人見知りするから人前で目立つのはちょっと……」

 今まであれだけ目立っといて?! と武下は驚愕する。

「それよりも私は、その翌月の自分の誕生日を、誰と過ごさなきゃいけないのかどうかの方が、気掛かりなんだけど?」

 チラリと上目遣いで見られると、武下はドキリし、

「もちろん、全力奮闘中……!」

「なんてね、分かってるわよ。昨日の試合もちゃんと見てたもの」

「えっ、取材対象物じゃなくて?」

「うん……まぁ、カッコ、良かった」

 耳を真っ赤にソッポを向きながらモゴモゴと言うものだから、武下は入浴前なのに心拍数が上がる。

「万理ちゃ──」

「……って、もう! なに言わせんのよっ!」

 万理は何かに耐えかね、武下の鳩尾みぞおちにやはり頭突きをかますと、ピューンッと逃げて行った。

「えっ、あ、ちょ、待っ……!」

 久しぶりな痛さに鳩尾を抑えながらうずくまる。

「へへ、でも……ちょっとクセになりそう」

 武下が危ない階段を上ろうとするのを、

「……何がっ?」

 と、一番風呂から出た田城に目撃されてしまった。

「キャプテン……! おはようございます!」

 鳩尾を抑える手はそのままで、武下は立ち上がる。

「おはよ」と訝しげに返すと田城は少し言いにくそうに、

「すまん、聞くつもりはなかったんだがクイーンとか文化祭とかいうワードがチラッと耳に入ってきたから……」

 武下はギクリとした。

「オマエが知らないはずないと思うけど、一応言っとくよ。クイーンがステージに立つ文化祭な、例年、一年生大会と日程が被ってんだ」

「……え?」

「だから勝ち進んだ場合、今年オマエら、文化祭お預け。すまんな」

 申し訳なさそうに、田城は残酷な事実を告げる。

「!!」

 武下は絶叫しかけた。

 俺とした事が準決と決勝で日程被ってるの忘れてたーッ!!

「大丈夫か、武下?」

 よっぽどショックなんだろうな、気の毒に……と同情する田城。

「先輩……うぅっ俺の分まで、万理ちゃんのステージを見てあげてください。あ、動画お願いします」

 武下がグスリと涙を呑んでいるにも関わらず、

「いや、一般撮影禁止なんだけど……それに他の奴がクイーンになるかもしれんし」

 と、容赦のないトドメを刺した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る