第100話『どうもありがとう』

 数時間前、別の球場にて──。

「あと一個、あと一個!」

 千宏はセカンドのポジションからリリーフピッチャーに声を掛けた。

「打たして良いよ!」

 と、ショートの周防が便乗して鼓舞する。

 三点の点差を付けた白付は、あと一つアウトを取れば勝利を掴める。走者はいない。スタンドでは祈るように見守る部員達の姿があった。

 ピッチャーは六球目を投げた。バッターは上手くバットに当て、打ち返した。それをセカンドが飛び付いて、打球が落下する前に、グローブで掴む。

 この瞬間、歓声が白付側スタンドを包んだ。

「よく捕ったわね、森くん!」

「やった、やったぁ! あとでご褒美だにょ!」

 一年生マネージャーはキャッキャと手と手を取り合う。

 整列が終わり、「っしゃあ!」とスタンド側へ駆けて来るメンバー達を、総立ちして拍手を送って讃える。

「これでベスト4入りね」

 ホッと息を吐くと、三葉は別の球場で行われる試合に想いを馳せた。

 こっちは一足先に、センバツ選出ほぼ確したわよ……。



「ナイスショート!」

 と、雨の中エースに声を掛けられ、翔斗は差し出されたグローブを「ん」と自らのグローブでタッチする。

 七回表の三つ目のアウトは、痛烈な打球を翔斗が泥だらけになって飛び付き、まさに体当たりで取った。

「足、どうだ?」

 翔斗は共にベンチに戻りながら、右足を庇っている宮辺に尋ねた。

「うん、ヘーキ」

 ニコリと強がってみせる。

「……そうか」

 宮辺の心情を汲んだ翔斗にはそれしか言えない。すると後ろから、

「大丈夫だっつーの! 俺らが点取ってやっから!」

 武下がニッカリと歯を覗かせる。

 いつもと変わらない調子の良さに、宮辺は堪らず吹き出して、

「何言ってんのさ! 僕だって点取る気満々なんだから」

 と、口端を上げた。

 にこやかに戻ってきた三人の様子に気付くと、桜は、ほんのりとえくぼを覗かせる。

 その裏の攻撃は四番・恵から始まり、一人出塁するも、結局その後が続かなかった……。


 予報では降水確率は低かったのだが、雨は降り止む様子もない。いっそ雨天中止になるぐらい降って、再試合となる方が良かったのだろうか。しかし、宮辺の力投を一つも無駄にしたくはないので、これ以上の降雨は望むところではない。

 さて、どうする……と田城はキャッチャーボックスで次のサインを決めかねていた。

 予期していた事ではあるが、無駄なボール球が増えてきて、それでも八回では、フォアボールを二つ出しながらも後ろの守備に助けられ、得点を与えず潜り抜けた。

 そして九回──マウンドは引き続き宮辺に託され、しかしノーアウト現在、塁上は嬉しくもない満員御礼だった。

 決め球がストライクゾーンに入らんな……四番相手にどうする、今の宮辺の状態でストレートで押し切れるか、それとも一回外す、いやこのタイミングで外すのは危険か……と、鬼気迫る表情の田城はコンマ三秒で思案する。

 前の回の北条の攻撃は四人で終わり、得点に至っていない。ここで一発を浴びるのは避けなくてはならない。

 田城は一つ息を吐くとタイムを取って宮辺の元へ向かう。

「どうしたんです?」

 と、本気でキョトンとしているエースに思わず笑って、

「白付戦の出だし以来のピンチだな」

「なんですか? 態々わざわざ嫌味言う為に来たんです?」

 宮辺は眉根を寄せる。

「いや……何事もピンチのあとにはチャンスがある。だからこれは、もうチャンスしかないって話」

 柔らかく言うと田城は真剣な顔付きになった。

「チャンスしかないなら、俺は断然攻め一択を選ぶ。オマエ、ついて来れるか?」

 この言葉に宮辺はニヤリ笑い、頷いた。

「どこまでもついて行きますよ、兄さん」

「誰がオマエの兄さんだ。よし、この四番を仕留めるぞ」

 と、雨が降り頻る中、田城は戻って行く。

 その背中に「ヘーイ」と返し、帽子のツバを少し浮かせて、被り直した。


 堀西学園の四番打者はカウント2ストライクから五投目に来た際どい球を、踏み込んで当てにいくと、舌打ちをした。

 打ち損じた打球はピッチャーがワンバウンドで腕を伸ばし、すぐさまホームへ投げる。受け取ったキャッチャーはホームベースを踏むや否や、ファーストへ鋭く送り、容赦なく刺す。

 まるで筋書きのようなダブルプレーに、球場内は沸いた。堀西学園側スタンドでは「あのバッテリー鬼畜……!」と戦慄している様子も窺えるが。

 宣告通りに四番をも仕留めたバッテリーは、笑顔を向け合った。

 とは言え、ツーアウトで走者は未だ二三塁に溜まっている。だがこの状況を、今度はファーストの水樹みずきが、次打者の打ち上げたファウルボールをフェンスギリギリでフライアウトにする好プレーで助け、北条の全メンバーを泣かせた。

 特に二年生からは「みじゅきー! いつか魅せてくれると信じてたー!」と拍手が送られる始末だ。

 かくしてピンチをチャンスに変えた北条は、最終局面の攻撃をクリーンナップからスタートさせる。



「ってオイ、めぐ! 三振で終わってんじゃねーぞコルァ!」

 ブチ切れ状態の椎名だが通常運転だ。ベンチへ戻ってきた恵を野次ると、今度は次打者へ向かって叫ぶ。

「オラァ、キャプテン!! ここでヤラレたら、戒律あの事バラすぞっ!!」

 それ、もうほとんど脅迫じゃねぇか……と田城はバッターボックスで思った。

 だがしかし、ツーアウトとなりここで終われば延長戦に突入する──それは宮辺の右足を思うと芳しくない。

 だから何としてでも、繋いでみせる……!

 六投目、堀西学園エースが放った狙い球を、田城は振り抜いた。

 ネクストバッターズサークルで戦況を見ていた翔斗は、弱まってきた雨空を見上げた。

 ベンチから見守る宮辺は思わず呟く。

「……ホームランっ」

 伸びた打球はレフトの頭を超えて、緩やかにスタンドに入っていった。

「うそっ、マジで……?!」

「さすが、キャプテン! やる時はヤルぅ!」

「タッシーについてきて本気良かった……!」

 北条側スタンドでは瞬く間に雄叫びがあがり、メンバー達はベンチから一斉に出て、キャプテンの生還を待つ。

 ……武運をどうもありがとう、と塁上を走りながら喜びを噛み締める田城は、色々報われた気がして、雨で目尻を濡らす。

 ホームベースを踏むと、翔斗が「キャプテン!」と手を挙げて待っているのを見付け、ハイタッチする。そこへドカドカとメンバー達が駆け集まり、「ぅおっしゃー!!」と歓喜した。

 その後ろを、右足を引き摺りながらやって来た宮辺は、ひっそりと安堵の笑みを浮かべていた。


 九回裏でようやく点が入りサヨナラ勝ちした北条は、念願のベスト4に入った。

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