第99話『何があってもヨユーヨユー』

「すまん、俺が腕回してたから……止めるべきだった」

 さっきの回で三塁ベースコーチャーを務めていた二年生の宇水うすいはベンチ内で眉を下げた。

「いや……俺も賭けだったから。椎名の足だったらセーフになっただろうけど」

 臨時代走で惜しくもアウトとなった宮辺の一つ前の打者、水樹みずきは自らを悔やむ。

 まるでお通夜状態の二人の会話が聞こえていた田城は、側に近寄った。

「あれは相手チームのライトとキャッチャーが良かった話だから、気にする事ないよ。オマエらは良い判断だったと思う。俺がコーチャーでも、きっと回した」

 柔らかく声を掛け、二人の肩を叩く。

「タッシー……!」

「うぅっ、本当すこっ」

 と、宇水と水樹はオウオウと涙を流し田城に抱き付いた。

「どうどうどう」と宥めながらも、心配そうに宮辺の方をチラリ目を向けた。


「いけます、いかせてください」

 確固たる宮辺エースの意志を、監督として無碍にする事ができなかった。

「……少しでも様子がおかしかったら、すぐに変える。いいな」

「はい! ありがとうございます」

 田城を呼んで来い、と言われると軽く頭を下げて、宮辺は右足を庇う様子でその場を離れる。

 監督はゆっくりと息を吐き、目を閉じた。

 その仕草が何かを決断する時、腹を括る時だと、ジッと見守る娘の桜は知っていた。


「でも、宮辺くんが投げられなくなっても、他にピッチャーがいるんでしょ? だったら、無理させなくても良いじゃない」

 インターバルの間に長谷部を捕まえ、試合内容を整理していた万理は、宮辺が気に掛かって言った。長谷部は頷いて、

「メンバーに入ってるのは確かに一人いる。二年の山田先輩がそう」

 山田……そんな人いたっけ、と万理は記憶に薄い様子だ。

「ただ、気弱な性格で、ピッチングはそこそこイケるのに大事な場面では任せるに危うい」

「何それ、全然ピッチャー向きじゃないじゃない。なんでそんな人がベンチ入りなのよ」

 辛辣だ。

「メンタル的に調子が良い時は頼りになんだけど……。だから宮辺が投げられなくなったら、ぶっちゃけウチはヤバイ」

 あっ、コレ記事に書くなよ、と長谷部は念を押した。


「じじじ自分がっ?! 堀西学園相手にけけけ継投?!」

 こちらがその山田である。ベンチ前でガクブルしている。

「いや、その可能性も全くないわけじゃないから、心の準備をしておいて欲しいって監督が」

 田城は言い方に気を付けて言葉を紡ぐ。

「ででででも、そうだよね……宮辺くんがあの様子だし、う、うん、自分、だだ大丈夫だよ」

 田城は思った。あ、大丈夫じゃないかも、と。すると山田は気持ちを落ち着かせる為か、徐にポケットから何かを取り出す。

「何、それ?」

「あ、あぁこれ。ほら、席替えがあって今自分の隣の席、高坂こうさかさんでしょ? 彼女がこないだ消しゴム忘れて、貸したんだ」

 山田は田城と同じクラスらしい。いや、そんな事よりも。田城は「まさか」と息を呑んだ。

「そ、そう。その消しゴム……♡」

 大事そうにビニール袋に入れられたを、「ふふ、亜実ニャン♡」と山田は頬擦りする。

 何故かは分からないが、田城はその消しゴムを掴んでぶん投げたい衝動に駆られた。だが人の大事な物にそんな事はできないとすんでの所で踏み止まる。

「良かったな。けど、揶揄われるから他の奴に言わん方が良いぞ」

 ニコッと微笑むその目が笑っていない事に、山田は気付かなかった。


 宮辺とて、エースとしてのプライドを簡単に捨てるわけにはいかない。

 グラウンド整備が終わり、準備投球で何球か投げた宮辺は、負傷を感じさせない程、気合い充分だった。

「ピンチな時こそ萌える、ってね♪」

 ひっそりと呟いた宮辺は、審判の「プレイ!」というコールの後、投球動作に入り、左腕を振りながら右足で踏み込む。

「うっ……!」

 顔を歪ませながらも、痛みなど構っていられなかった。

 初球を狙って打たせた打球は、宮辺の脇を擦り抜け──瞬時に反応して駆け寄った翔斗が掴み、ファーストの水樹へと送る。

「アウトッ!」

 難なくワンナウトに仕留めた翔斗へ、宮辺は感謝のサムズアップを向ける。それに応えて翔斗もサムズアップを返すと、

「後ろ、もっと頼ってこい!」

 と、声を掛けた。

「……カッケーじゃん」

 ほろ苦く微笑を浮かべる宮辺は、田城の出した強気なサインを見て、首を縦に振る。

 その後、立て続けに二人の打者を最小の球数で抑え、負傷している事など微塵も見せない北条エースの見事なピッチングに、地元民の多い球場内からは「あいつスゴイ……!」と感嘆な声が絶えなかった。



「では、私は裏手の落ち葉を掃いてきます」

 と、高坂は剣道部員達に声を掛ける。毎回、稽古前に道場の掃除をするのだが、何故かかたくなに外掃除をやりたがる高坂だ。

 それにしても先程の身の毛もよだつ悪寒は何だったのでしょう? と首を傾げながら裏手へ出ると、金網フェンスの下から野球部の投球練習場が覗く。塀の上に建てられた道場の裏手からは、見下ろす形で投球練習場の一部が見えるのだ。

 今頃頑張ってらっしゃるんでしょうね、と目を細めて、誰もいないその場所を想う。

 ……田城くんったら、『ありがとう、風邪引くなよ』なんてご丁寧にお返事くださって、本当にお優しいですっ。

 照れ照れとしながら外箒でシャカシャカ掃いていると、ポツッと、上から雫が落ちてきた。

 高坂は掌を差し出すと、またポツポツッと落ちてくる。

 雨です……。

 瞬く間に強まる雨脚に、高坂は天を見上げた。

 あちらも、雨なのでしょうか。


 雨か……。

 少しマズイな、とキャッチャーマスク越しに田城は天を仰ぐ。

 六回裏の反撃は三者凡退で終わり、七回表──この回も二人をテンポ良く仕留めていき、最後まで投げ切れそうかと、チーム内に安堵感が生まれた矢先だった。

 ポツポツと降り出す雨に、宮辺はロジンバッグをポケットに仕舞う。

 ……球数、増えるかもしれないな。

 雨天時の投球は、ただでさえ神経を使う。それに加えて、投げる際に体重移動で負荷を掛ける方の足が負傷中の為、雨で滑らないように尚更気を配らなくてはならない。ピッチングにどこまで集中できるだろうか。

 これまで球数を抑えて田城もリードをしてくれているが、この状況下ではボール球が増えるのも明白だ。

 ははっ、と宮辺は舌舐めずりをし、ポツリ呟く。

「何があってもヨユーヨユー……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る