第97話『がんばるにゃん』
少し間を置いて、顔面パック女は短くはない話をし始めた。
「まぁ言っても、攻撃されるとかではなかったけど、トラウマにはなるレベルかな。……発端は、とあるヤンチャ女子グループの好きだった男の子が、さくタンに告白したっていうよくある話。普通に断ったんだけど、友達でも良いから仲良くなりたい、って言われて、あの子も人を無下にできないから、じゃあお友達でって事でたまに話すようになったんだって。んで、それに嫉妬狂ったヤンチャ女子が、ある事ない事を他の女子達に吹き込んで、気付いたら、さくタンは腫れ物を見るような扱いされてた」
ここまで一気に話すと、万理はソファに凭れさせていた首を戻して、続ける。
「ただでさえあの子、私と違って人見知りしないから、男子から話し掛けられても分け隔てなく話すでしょ? たぶんだけど、まだ心も成長していない子が多い中学生にとっては、そういうのも原因になってたのかもしれない」
翔斗は、言わんとする事が分かり、入学してまもない頃、桜がクラスの女子から理不尽な言い掛かりを付けられていた事を思い浮かべる。
「私は私なりに、当時あの子を守ってきたつもりだけど、どこまで救えたかは分からない。結局、どう向き合うかは本人次第だから。高校に入ってからこの話は、した事がないわ」
「そうか……」
万理は首を縦に振ると、
「だからね、さくタンから、野球部のマネージャーになったって聞いた時は正直衝撃的だったの。トラウマの根源たる、男子との関わり合いが多いポジションなのに、血迷ったのかと最初は心配しちゃった」
「そりゃそうだよな……」
「でも、杞憂だったみたい。私は、マネージャーをやってるさくタンがトラウマ引きずってるようには見えないもの。むしろ活き活きとして見える。だから、最近何があったかは知らないけど、きっとあの子なら大丈夫よ」
万理は真剣な眼差しを、翔斗に向ける。
「……あのさ」
「ん?」
「顔パック付けたまんまで言われても、締まんないんだけど」
「もう! 人がせっかく真剣に話してんのに、なんて事言うのよッ」
と、プリプリする万理に、
「あのさっ」
と、翔斗はもう一度同じ呼び掛けをして、顔を綻ばせると、
「小柳が、桜の友達でいてくれて、良かったよ」
万理は目をパチクリさせて、
「なにそれ? 私に惚れたワケ?」
「なんでそうなる、それはないッ」
即答だ。すると──。
「あれ、佐久間じゃん? 誰と喋ってんの?」
と、これからもうひと風呂浴びに行くらしい武下が通りかかった。
あっ、と翔斗が横のソファに目をやった瞬間、そこに座る顔面パック女は、した事もない本気の塁間ダッシュをかますハメになってしまった!
はやっ……と翔斗は呆気に取られる。
「え、今走ってった子、顔にパック付けてなかった?」
と、武下が目敏く指摘する。
「ま、まさか。幻覚だろ」
てかなんで俺はフォローさせられてんだ? と翔斗は思う。
「アレ……万理ちゃんのように見えたけど?」
相変わらず鋭い武下に、翔斗はフォローのつもりで言った。
「いや、アレは……ただの変質者だ」
こちらも遅くまで部屋で打ち合わせ中の北条随一優男バッテリー。
「──サインの確認はこんなモンかな。てか、オマエ今日やけに真面目に聞いてるな」
女房役はエースの成長を垣間見る。
「え? いつも通りですけど?」
キョトンとする宮辺に、
「いや、いつもだったらイチャモンつけたり話脱線させたりするだろ」
と、田城は真剣に言う。
「やだなー、そんな子供みたいな事するわけないじゃないですかー!」
「今までオマエがしてきた事だよ……」
すると田城の携帯電話が短く通知音を鳴らす。誰からだろうかと画面を覗いてみると、先日、連絡のやり取りができた方が便利だからと、連絡先を交換したクラスメイトからだった。
「あ、スマホ全然見てもらって良いですよー。自分も少しチェックしたいんで」
「スマンな」
宮辺が珍しく大人な事を言うので、甘えて画面を開くと、メッセージが目に入ってきた。
『夜分遅くに失礼します。就寝前にどうしてもお伝えしたくご連絡しました。田城くん明日はいよいよ勝負どころですね。勝利をお祈りしております。どうかご武運を』
あいつらしい文面だな……と思っていると、メッセージが続けて入る。
『我が家の愛猫も応援してますよ』
愛猫……? と首を傾げると、今度は写真が届く。猫が何かの上に乗って、両手を上げてお腹を見せて笑っているなんとも可愛らしい写真だった。
ほんのり癒されていると写真に文字が入れられている事に気付く。そこには手書きでこう書かれていた。
『田城くん頑張ってにゃん♡♡ 』
「……がんばるにゃん」
思わずポツリ溢した田城の言葉に、宮辺は聞き違いかと息を呑んだ。
田城はハッとした。
……よく見たら、この愛猫が乗ってるのって、もしかして高坂の膝の上じゃないのか?
そしてその膝は生脚だった。
……寝る前って事は風呂上がりだよな、風呂上がりの高坂の白い生脚。白い……。
「んんっ! 無理……!」
と、口元を手で押さえる田城に、宮辺はビクッとした。
え……『無理』とは? 僕、明日この人に受けてもらって大丈夫だろうか? と宮辺が思うのも無理ない。
「先輩、かなり疲れてます? さっきも監督から圧かけられてましたし」
一応声を掛けてみると、
「……大丈夫、めちゃくちゃ癒された」
「そ、それなら良かったですけど……」
この人、基本的に何考えてるのかよく分かんないんだよな……と宮辺がチラリと携帯電話に目を戻した先には、メッセージが表示されていた。
『ノリくんと渚がついてるから大丈夫!! ユウくんは県No.1ピッチャーだから勝つに決まってる!! 何があってもヨユーヨユー♪ 』
……なーにがヨユーだよ、ばーか。
僅かに口端を上げる宮辺に、田城は気付くどころではなかった。
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