第95話『謎すぎる戒律』

「っあー! ひと仕事終えた後の露天はぶち上がるな、めぐ!」

「ちょ、椎名。ただでさえ狭いんだからそんなに手足伸ばすなって」

 宿舎の露天風呂(極狭)で無遠慮に寛ぐ輩を、恵は鬱陶しそうに窘める。

 試合は七点差を付けて、その後北条は七回コールドで初戦勝利を収めた。とはいえ運命を分ける二回戦が翌日に行われるというだけあって、メンバーにも緊張状態が続いている──はずなのだが、

「温泉大国サイッコー!」

 切り込み隊長の椎名はテンションあげあげだった。

「……緊張感のないオマエが羨ましいよ」

 呆れた声を出す恵の肩には、四番としての責任が乗っかっている。

「んだよ、ノリわりぃな。あっ、じゃー面白い話してやろっか」

「ほー? どうぞ?」

「ウチのクラスに剣道部の高坂こうさかっていんだろ? あの女がこの間の決勝、観に来てたらしくってよー」

「へぇ、高坂が?」

 その名前を聞いて、恵は興味を向ける。

「その横にたまたま俺の彼女が座ってて、そこにファウルボールが飛んできたわけ」

「あっぶな。大丈夫だったのか?」

「咄嗟に高坂が押し倒して庇ってくれたから、事なきを得たんだけどな」

「かっけーじゃん」

「そっからが大変。『麗しいご尊顔と甘い匂いを真近にして一瞬で恋に落ちた』とか言って、毎日『こーしゃか様キレイ♡ こーしゃか様ラヴュ♡』とか本気で言いやがんの。面白くね?」

「その話が面白いかどうかは別として、想像つくなー。高坂は男だけじゃなく女子からも人気高いもんな。長身で美形剣士だし、女子からすると宝塚の男役って感じなのかな、たぶん」

「つーか皆、外見に騙されすぎだろ。清楚な見た目でも、教室でエロ小説読むような中身ド変態だぞ、あの女!」

「……ちょっと待てッ。そっちの方が面白そうな話だけど?!」

 と、恵は食い付く。すると、

「何をデカイ声で言ってんだ、風呂場まで聞こえてんぞ椎名っ」

 半分開いていた露天風呂の出入口をガラリと開けて、田城が半眼でやって来た。

「おぅ、タッシー」と、恵は露天風呂のスペースを空けてあげると、田城は礼を言って、チャポンと恵の横に入る。

「だって本当の事じゃん? 一学期でオマエら席隣だった時、経典開いてるタッシーの横で高坂が真剣にエロ小説読んでたのはすげーシュールな図だったし」

 よほど面白おかしかったらしく、椎名は肩を揺らしてケラケラする。ただでさえ眉毛全剃りなので愉快に笑うヤンキーにしか見えない。

「何それッ、俺もその現場ちょっと見たかったわ」

 と返す恵に、田城は一人スンとなる。

「……もう良いだろ。どんな趣味を持ってようが、高坂の自由だと思う」

「まーまー、良いじゃん。積極的な子の方がタッシーと相性良いんじゃねぇの?」

 と、恵がニヤリとして言うと、

「いやー? むしろ積極的な方が困るよな、タッシー!」

 椎名がニヤニヤしている。恵は首を傾げて、

「へ? なんで?」

「椎名っ」

 と、田城が視線で牽制を入れるが、

「それが寺の謎すぎる戒律があって、タッシー、高校卒業までゴニョゴニョゴニョ……」

 構わず椎名は恵に耳打ちする。みるみると恵は目を見開くと、

「……マジかよっ?! そんな事ってある?!」

「マジ、マジ! ありえねー戒律だよな!」

「椎名……オマエ、人の心とかないのかっ」

 田城の声がいつになく低い。

「何言ってんだよ、タッシー。俺は同情してんだよ。卒業まで強制ドーテーじゃ、彼女作る気にもなんねーもんな!」

「余計な同情ありがとうよっ。あと誰にもバラすなっつっただろ、このセクハラ野郎」

 と言って、田城は椎名を温泉に沈めて物理的に黙らせる。

 ようやく事実だと飲み込んだ恵は我に返り、ポンッと田城の肩に手を置いた。

「タッシー……悪かったな、この間『ポンコツ奥手』なんて言って」

「別に良いよ、間に受けてないから」

「高坂の耳には入らないようにすっから、安心しろよ」

 任せろ、と言わんばかりに恵はサムズアップを向ける。

「……あのさ、あいつの事からもう離れてくんない?」

「だって、癒しなんだろ?」

 おちょくってるワケではない。純粋に言っている。

「高坂は……良いんだよ。こっちが勝手に癒されてるだけだから」

 そう言って田城は静かに目を瞑る。

 あらら、これはこじらせそうだな……と恵はなんとなく、予感した。

 尚、田城の手の下ではブクブクと大量の泡が立ち始めていた。


 この会話をきっと誰も聞いていないと思っていたのだろう。だが露天風呂は、塀を隔てただけで女湯の方に声が筒抜けである。

 新聞記事制作に専念する為、自費でこのホテルに宿泊していた万理は、露天風呂で一人プルプルと悶絶していた。

 ……ねぇちょっと、何やら話し声がすると思ったら、とんでもない情報聞いちゃったんだけど。剣道部の高坂先輩って、確か男顔負けの腕前って噂の超キレイな主将さんよね? 前に学校新聞で見た事あるわ。それよりも、謎な戒律で卒業まで貞操を守らなきゃいけない奥手な野球部主将と、清楚だけどエロみの強い剣道部女主将?! 何それ推せる……! 続きはどこで見られるの!? 続き! 続きをくださいっ!



 一方、男湯大浴場──。

「あーあ、また露天、先輩達に先入られたわー。朝も結局入れず仕舞いだったし」

 と、湯船に浸かりながら嘆くのは武下。

「田城先輩だけなら普通に入りに行けたけど、椎名パイセンもいるからなー。僕、あの人苦手なんだよねー」

 眉毛全剃りだし、と宮辺は毒を吐く。武下はハハッと苦笑いして、

「そーいや、佐久間どこ行った? 部屋にもいなかったけど」

「さぁ? 一人で素振りでもしてんじゃない? 今日のバッティング内容、結構良かったし、明日に向けてイメージ途切れさせたくないのかも」

「……俺、そろそろ上がろっかな」

「えっ、もう?! 今さっき入ったばかりなのに?!」

 と、宮辺は驚く。

「今日あんま貢献できなかったし、明日使ってもらえるか分かんねぇけど……準備はいくらしても、し足りないから」

 ザバリ、と武下は立ち上がると、「お先にー」とスタスタ出て行った。

 その後ろ姿を宮辺はしばしポカンと眺めて、ふいに苦笑いを浮かべた。

「あーあ、僕も明日頑張んなきゃな」

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