第94話『ノリ悪くなりやがって』

「まさか宿泊するホテルの大浴場が温泉湯とか、さっすが温泉大国! レベチすぎ!」

 とは武下。翔斗は頷き、

「地区大、今度からもうずっとここで開催して欲しいぐらいだな」

「しかも露天まであるなんて。混浴だったら、もっと最高だったんだけどねー」

 と、宮辺が茶目っ気たっぷりに言う。

 脱衣所で服を脱ぎ終えた三人は、タオル片手に大浴場へと向かう。

「はは、それ分かるー。桜ちゃんが入浴中だったりしないかなー」

 と、武下がガラリッと大浴場へ続く引き戸を開ける。

「アホか、そんな事あるワケ──」

 翔斗は思わず言葉を切った。

 カポーン、とした雰囲気の大浴場に、背を向けて湯船に浸かる先客が、驚いたように振り返っていた。

「え……早乙女?」

 と、宮辺が目を見開く。

 桜は両腕で胸を隠しながらワナワナと、

「キ……キ……」

 キャアーッ!! という甲高い悲鳴が、早朝の大浴場に響き渡った。



 選抜高校野球大会への出場を掛けた戦いは、他県で開催される。

 同地区各県の猛者達を相手に、二勝を挙げなくてはベスト4入りできない。北条のベンチ入りメンバーは前乗りして英気を養い、選抜出場権利を争奪する準備は万端であった。

「オラァ! 来いよ、めぐっ!!」

 切り込み隊長の二年生・椎名が、二塁ベース上からバッターボックスに向かって吠える。現在ツーアウトなだけあって、四番打者・恵への追い込みが激しい。──初戦の相手は隣接県二位通過だが名門校だ。北条ナインは序盤から攻めに攻め、六回裏の現時点で五点の点差を付けていた。

「ひえー、椎名パイセン今日もキレてんなー!」

 と、ベンチ内で武下は声をあげる。

「あの人よく吠えてるよねー。元ヤンって噂があるけど本当かもね」

 宮辺は片手で頬杖を付いて、面白おかしそうに言った。

 すると恵が、要望に応えて痛烈な一打を放ち、タイムリーで椎名を本塁へと返す。

 ぃよっしゃー!! とベンチが沸くなか、ネクストバッターズサークルへ走って向かうのは翔斗だ。武下はその後ろ姿を眺め、ニヤッとしながら、

「あんにゃろう、打順がまた一つ上がって、微妙にノリ悪くなりやがって」

 とは言いつつも、なんでなのかは分かっていた。

 打順が変わると考え方、意識、打ち方が変わる。今日の翔斗からは、それがよく伝わってきた。

 宮辺はうんうんと頷き、

「なんか箔が付いたって感じ? さっきの回でも五番打者相棒をホームに返してくれてさー」

「ライバルとしちゃ、燃える展開だなっ」

 と、少しだけ武下は強がってみせる。

「新聞班もファインダー越しに見てるしね♪」

 したり顔で宮辺は揶揄うが、

「いやまぁ、見てるは見てくれてるけど、どっちかってーと対象物って感じ……」

 武下は少し複雑なのだった。

 そんな二人の会話を耳にしながら、桜はひっそりと思った。

 ……ていうかこの二人、時間帯で男女が入れ替わる大浴場に今朝間違えて入ってきた事、まるで気にしてないんだけど。


「ん? ねぇベッキー、今どうしてキャプテンさんは打ってないのに出塁したの?」

 カメラから顔を離して、万理は尋ねる。

「オマっ、振り逃げも知らんのか……?! 相手キャッチャーが後ろに逸らしてただろッ」

 こんな野球ルールポンコツで本当に記事なんか書けっのか? と長谷部は慄く。

「や、やーね、確認よ、確認! そんな気はしてたのよねー、さすがナイスラッキー!」

 オホホ、と笑顔が引き攣っている。長谷部は嫌な予感がして、

「小柳、オマエ今までどうやって試合内容把握してきた?」

「え……雰囲気? 的な?」

 顎に指を当ててドヤる万理に、「だろーな」と凍り付く長谷部。

「だ、大丈夫よ! 何が起こってるか大枠は分かるし、専門的な用語とかは、あとでさくタンに聞きまくるからっ!」

「じゃあさっき、なんでめぐ先輩が出塁したか分かるか?」

「……と、とりあえずヒット打ったからよ! なんか、良い感じにっ!」

 ていうか話し掛けないでよ、スポーツ撮影ってシャッターチャンスが難しいのっ! と万理はプリプリし出す。

「自分から話し掛けてきたクセに……!」

 もう知らんッ、と長谷部はプイプイするのだった。


 走者を『なんか、良い感じ』に二塁、『ナイスラッキー』で一塁に置き、翔斗は監督からのサインを確認して頷く。

 ……やっぱいつもより顔こえー気がするけど、朝の風呂の件、バレたって事はないよな?

 なんて頭の片隅で思いつつも、スタメンから外されていないのできっと大丈夫だろう。それよりも今は攻撃に集中したいので、瞬時に頭の片隅から消し去る。恐ろしい切り替えの早さだ。

 翔斗はバットを構えて、息を一つ吐く。

 初球、監督の指示通りに狙っていた球種が来て、躊躇いなくバットを振った。

 よしっ……!

 打球がやすやすと内野を抜け、ライト方向へ颯爽と跳ねていき、翔斗は握り拳を作った。

 二塁走者の恵は三塁ベースを蹴り、ライトからダイレクト返球される様子を横目に、果敢にホームベースへと手を伸ばした。

 逸れた返球を捕球したキャッチャーは、走者にタッチする事もできない。

「セーフッ!」

 恵は「しゃあっ!」と吠え、一塁走者を見やると、ニカッと笑いかけて拳を向ける。

 それに気付いた翔斗は、はにかみながらも、嬉しそうに拳をグッと上げた。

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