第89話『私のあげた』

「宮辺きゅーん!」

「打って、打ってー!」

「やーん、後ろ姿もかわいー!」

 スクイズの構えをする宮辺に向けて、宮辺ガールズが今日一番の声援で盛り上がるものだから、岩鞍は真剣に感心する。

「凄いもんだな、あいつの人気っぷり」

「……そういうオマエだって凄かっただろ?」

 呆れてツッコミを入れるのは、元女房役だ。バラバラに来ていたのだが、なんとなく一緒に観ているのは元バッテリーの習性だろうか。

「ハハ、その割に女房はオマエだけだったけど」

「その冗談は本気でやめろッ」

 と、苦虫を噛み潰したような顔で言い放った。

 すると宮辺が見事にスクイズを決め、三塁走者の田城がホームへ生還する。

 一点を勝ち越し、スタンドがワーキャーと沸くものの、どちらかと言えば、宮辺へ向けた黄色い声の方が大きかった。

 何か田城が不憫でならない気のする大貫だが、「田城くん、素晴らしい走りでした!」という労いがどこからともなく聞こえ、良かったな……! とひっそり涙した。


「ナイススクイズ」

 ベンチへ戻る途中で、現役世代の女房役はエースに駆け寄り柔らかく笑む。

「そりゃ、三塁からあんなに無言の圧かけられちゃ、失敗した時が怖いですもん」

「そんなに圧、かけてたか?」

「はい、それはもう、不動明王のように」

 グワッと誇張して再現してみせる。だがそれをスルーして、

「そいつは光栄だな。お不動様は人の煩悩や心の迷いを断ち切ってくれるから、オマエご利益あるんじゃねぇの?」

「誰が煩悩の塊ですかッ。それはコーンフレークです」

「いや、別に面白くないけど」

 仲良く軽口を掛け合っている間に、打席に入った次打者の姿が視界に映り、宮辺は思わず口端を上げた。

「いけよ、武下タケ……」


「あーあ、ここで代えられると思ったのに、結局また武下か」

 とは、スタンドで仏頂面をする長谷部である。

「つか、オマエやけに大人しくね?」

 てっきりキャーキャー騒ぐかと思ってた、と横で観戦している万理に嫌味を溢す。

「うるっさいわね、ベッキー。どっかのガールズみたくミーハーじゃないの。こっちはド真剣なのよ」

 神経質そうにバッターボックスを見つめながら返され、長谷部は「サイデスカ」と感情を込めずに言った。

 ……ふん、どーせ今ツーアウトだ。犠打もできねぇし、打てなきゃスグに代えられるだろ。

 口に出したら万理から頭突きをお見舞いされるので、心の内に留めておいた。


 フルカウントまで持ち込んだ武下は、少々焦りつつあった。

 昨日に引き続き打席に立てたのは良いものの、なかなか攻めきれないでいる。もう何度、ファウルゾーンへ飛ばした事か。

「来い、武下!!」

 と、二塁ベース上から声を出す翔斗に、ニヤリと笑みを浮かべる。

 へぇへぇ、分かってますよ。オマエにばっか良い格好させらんねぇからな……!

 そう思いながらも、再びカットして、今度は内野スタンドへ運ぶ──。

 千宏セカンドは、余裕綽々な表情で、フフンッと鼻で笑った。

「なんだなんだ、さっきから捉えられてねーじゃん。さては武下のヤロー、俺にビビってやがんな?」

 すると二塁ベースに戻って来るなり翔斗が、

「あいつはそんなタイプじゃねぇよ。黙って見とけ」

「おーおー、熱くなっちゃって。オトモダチ想いだねー。仲良く併殺といきたいとこだけど、一人しかコロせねぇのが残念」

「大口叩いてろ」

 二人のやり取りを反対側で聞いていた周防ショートは、試合中にケンカしないで……とビクビクするのだった。


 ──だから万理は痺れを切らした。

 その衝動は、スタンドの前方まで足を運ばせる。

「どしたの万理タン?」とスタンドメンバーがキョトンとするのもお構いなしに、叫んだ。

「武下陸!! 一人で気負ってんじゃないわよ! 私のあげたんだから……打って!!」

 この励ましは、武下を奮い立たせた。

 ……ここでやんなきゃ男じゃねーよなッ!!

 微塵も迷いなど見せずに、投球をバットの芯でしっかりと捉え、甲高い音を鳴らした。

 万理は空を見上げる。

 その打球は、外野手が捕れる範囲を超え、スタンドに落ちていく。

「うっそ……」と思わず口にする万理だが、嘘でも何でもない。

 翔斗がホームへ回ると、武下もその後に続いた。

「あは、やったぁ……!」

 ホームベースを踏み、一塁側ベンチへ駆けて来る武下に、万理はピョンピョンと跳ねながら拍手を鳴らす。

 それを見付けた武下は歯を覗かせて、サムズアップを向けた。

 やっぱキミのは、抜群の効き目だよ……!

「グッジョブ、武っち!!」

 ピシッと腕を伸ばして、万理もサムズアップを送った。

 ……待て、『私のあげた』ってどういう意味だ?!

 まさか万理タン、武下に食われっ……!?

 おのれ奴め、ついにやりやがったな!!

 絶対に許すまじッ!!!

 などと、周りのメンバーが行き過ぎた妄想で憎悪の火を燃やすなか、

「結局オマエも騒がしいじゃねーか」

 と、長谷部は一人面白くなさそうに呟いた。

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