球児、ツンデレ美少女にキレられる。

第83話『ここからが俺達の本番』

 その日、翔斗は自分でも驚くほど朝早く、北条の野球グラウンドへとやって来た。とは言っても、既に先客は何人かいるようだ。

 投球練習場からは、北条屈指の優男バッテリーの、あーだこーだとコントのようなやり取りが聞こえる。室内練習場からは、四番と切り込み隊長によるバッティングバトルが白熱しているらしく野太い雄叫びがする。

 グラウンドでは、昨日診療所から戻って来るなり「俺、秋が終わる前にレギュラー入りするわ」とのたまった戦友が、心の灯火を燃やせー!!!! と叫びながらランニングしていて熱苦しい。

 そして──

「あ、おはよう翔斗くん」

 前方からえくぼを覗かせるのは、翔斗より二十分早く家を出たマネージャーだ。

「おす……って、家でも挨拶したじゃん」

 尤も、その時は寝起きで完全に寝ぼけていたのだが。

「ふふ、本当だね。つい癖で。もう目は覚めた?」

「とっくに覚めてるよ」

「翔斗くん、今朝は早起きだからビックリしちゃった。気合い充分だねぇ」

「そりゃまぁ、決勝だし。ここ最近バッティングがあんまだったから、少しでも体慣らしとかねぇと」

 おかげで今日は打順を一つ落とす羽目になってしまった。

「翔斗くんなら、いざという時打てるよ。私、確信してるもん!」

 自信満々に、目をキラッキラさせて言ってのける桜をポカンと眺めると、

「俺より、俺の事信じてくれるんだな」

 サンキュ、と少しはにかみながらポリポリと頬を掻いた。

 するとそこへ、

「なーにイチャコラしてんだよっ!」

 と、どこか懐かしいような揶揄い口調が聞こえて、振り返った翔斗と桜は目を見張る。

「惣丞さん!」

「うぃーっす」と愉快そうに声を掛ける惣丞に続いて、「俺もいるぞ」と嶋谷も後ろから歩いて来る。

「シマ先輩も! どうしたんです、こんな朝早くに二人して?」

 翔斗は驚きを隠せない様子で尋ねる。

「フッ……部活を引退した三年はな、休日でも朝課外がある事を覚えとけ」

 と、死んだ魚のような目をして惣丞は言った。表向きは強制ではないのだが、実質強制らしい。哀しきかな北条の実態。

「で、そのついでに冷やかしに来たんだよ。今日オマエら決勝だろ」

 とは嶋谷。

「しかも白付が相手だってな。しょーがねぇから課外の後、観に行ってやろうと思っててさー」

 言葉とは裏腹に、惣丞はニシッと歯を覗かせる。翔斗は嬉しそうに、

「え、来てくれるんですか?!」

「たぶん他の三年生ヤツらも行くんじゃないかな」

「かっわいい後輩達が頂点に立つとこ、この目で見たいじゃん。しっかりやれよ、翔斗」

「オマエらならいける。頑張れ」

 惣丞と嶋谷の励ましが、翔斗にはどれほど心強かっただろうか。

「はい……! 必ず勝ちます!」

 清々しい顔付きで応える翔斗を見て、やっぱり先輩達は凄いな……と桜は緩やかに笑みを浮かべた。



「ウゲッ、なんでオマエが今日なんだよ!」

 千宏は、ベンチに鎮座した記録員の姿に、心底嫌そうな声を出す。

「今朝のミーティング、話聞いてなかったの? 記録員で入ってた珠莉果じゅりか先輩が今日も風邪で休みだから、代わりに私が入る事になったのよ」

 と、ジロリと目をやるのは三葉だ。

「だからって、なんでオマエなんだっ」

「あら? 加菜の方が良かった?」

 意地悪く三葉は微笑む。千宏は考え直して、

「いや……あのクソアマよりまだ葵の方がマシ。あいつ昨日、他人ひとの握り飯になんか入れやがって。何がお祝いだ、今度ぜってーやり返してやる」

 と、ブツクサ言っている。余程根に持っているらしい。

「美味しいじゃない、おきゅうと。私は好きよ」

「握り飯の具には合わねー!」

「おい、うるせーぞ! 森! ベンチでやかましくすんなら降ろすからな!」

 と、監督から怒鳴られてしまい、「さーせん!」と若干不貞腐れながらも素直に謝るのだった。


 対戦校のベンチにとんでもない美人が座っている事に気付くワケもなく、試合を目前にした一塁側のベンチ前は、気迫に満ち満ちていた。

「今日勝っても負けても、地区大会が待ってる……けど、俺達が目指してる場所はそこで終わりじゃない」

 円陣を組むチームの中心で、田城は両膝に手を付いて説く。

「夏から何の為にやってきたのか、一人一人胸に刻んでプレーしていこう! ここで止まるな、ここからが俺達の本番だ! 今日はその第一歩だと思ってまずは県王者の座を掴むぞ!!」

 仏のようなキャプテンからの、気合いの注入が凄すぎて、余計にメンバーの闘志に熱気が帯びる。

「さぁ勝ちに行こう!! 北条!」

「うおっしゃあー!!」

 と、すっかり勢いが付いた後輩達を目を細めて眺めるのは、前主将だった。

「こーんな隅の方にいたのかよっ」

 後ろから近付く惣丞を一瞥すると、

「あいつら、少し見ない間に頼もしくなったな」

 大貫は、視線をベンチ前に戻して言った。

「だなー。タッシーも皆を乗せるの上手いじゃん」

「田城はブルペンじゃ投手陣をよくまとめてたからな。細かい所にすぐ気が付くし、俺も助かってた」

「そういや、タッシーをキャプテンに推したのオマエだっけ」

「まぁな」と肩を軽く竦めてみせると、

「あいつだったら、俺が出来なかった事を果たしてくれる。きっと」

 この言葉に惣丞の脳裏には、昨秋の地区大会で初戦敗退した記憶が蘇る。あの時期はちょうど、とある委員会とのゴタゴタが重なったのもあり、惨敗した県大会の決勝戦が尾を引いていた事は否めない。思えば実力の割に苦労の絶えない世代であった。

「あとは任せたぞ、田城」

 大貫の呟きが聞こえるハズもないのに、現主将はふとスタンドの方を向いて、誰かの姿を探した。

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