第82話『射手座は今年一番の最強運』

「いやー、予想通りというか何というか。案の定明日の決勝は北条とだねぇ」

 加菜が特大おむすびをガッシガッシ握りながら言うと、

「まぁ、そうじゃなきゃ張り合いがないけど──って加菜、それ大きすぎでしょ」

 自身の握るおむすびと比較して三葉は言った。

「これはお兄ちゃん用♡」

「あー、はいはい」

 やっぱりか、と内心思う。

「そんでもって、こっちの中身がシークレットなやつは森ちゃん用。明日のスタメンに選ばれたお祝いだよん」

 何を入れた、何を。

「……アンタ、こないだから思ってたけど完全にあいつで遊んでるわね?」

「ふふ、良いリアクションしてくれそうで楽しみだぁ♡」

 クスクス笑う眼鏡っ娘を見て、鬼だわこの子……と三葉は引き気味に半目になった。

 ──ちょうどその頃、千宏はとてつもない悪寒に襲われ、ティーバッティング中の手を止める。

「どうした、森?」

 トスを出そうとした同じ一年生が眉根を寄せる。

「な、なんか知らんが、今日の炊き出しは嫌な予感がする……」

「はぁ?」

「特に握り飯……そう、握り飯には気を付けろ!」

 大当たりだ。

「オマエ失礼な事言うなよ。さっきマネ室覗いた時、二人だけで頑張って握ってたぞ。珠莉果じゅりか先輩、今日風邪で休みだしさ」

 と、呆れて溜息を吐いてみせる。

「……何覗き見してんだ、変態か」

「テメーにだけは言われたかねぇ! オラ、さっさと続き行くぞ! 明日負けたりしたら承知しねーかんな」

 すかさず投げ寄越したボールを、千宏は力強くバットに当てると、

「ヘンッ、負けるわけねぇじゃん。特にショートはフルボッコ確定」

 ニカッとおちゃらけながらも、自信満々な様子で返すのだった。



「今日結局万理ちゃん来なかったなー」

「風邪でも引いたかなー、最近流行ってるから」

「あぁー……俺達の推し」

 遠い目をしながらボヤくスタンド組が出て来た出入口の近くを、目当ての推しが歩いている事に気づかなかったのは、恐らく普段と異なる風貌のせいに違いない。

 万理は、フンフンと上機嫌に鼻唄なんて一人口ずさみ、なんならスキップしそうな足取りで外周をウロウロしていた。

 なんてハッピーな日なの♡ さすが今月の星占い、『射手座は今年一番の最強運』!

 完全に脳内お花畑の万理に、後ろから声が掛かる。

「あれ? まりり?」

 万理はピタッと立ち止まり振り返ると、

「さくタン」

「やっぱりまりりだー。キャップ被ってるから一瞬分からなかった。私服なんて珍しいねぇ」

 と、ニッコニコで桜が歩み寄る。

「あー、今朝寝坊しちゃって。髪の毛梳かす暇もなかったから校則違反で来ちゃった」

 ほんの少し茶目っ気を覗かせる万理に桜は苦笑いを浮かべながら、

「そんなに急いで観に来てくれたんだ」

 ありがとう、とお礼を添える。

「ね、そんな事よりも武っちはまだいる?」

「それが……」

 桜は少し目を伏せると躊躇いがちに、

「武下くん、今近くの診療所に連れて行かれてて──」

「……えっ?」

 瞬きするのを忘れる程、一瞬にして頭が真っ白になった。


 ありがとうございました、と診察室から出る武下に、

「良かったなー。何ともなくてー」

 そう声を掛けるのは野球部顧問の数学教師だ。

「ははっ、昔っから体頑丈なんで」

「親御さんお医者さんだもんなー」

 いや、それはあんま関係ないけどっ。

 心の中で冷静にツッコミを入れる。

「じゃー、車回してくるから外で待ってろー」

 と言うと、顧問教師はのんびりとその場を後にした。

 武下は、右の脇腹にそっと触れる。

 ホームへの帰還時に相手キャッチャーから受けたタックルを懸念して、念の為に医師に診てもらうよう監督から指示があったのだ。本人としては、痛みはあるものの大事だいじない事は何となく分かっていたが。

 監督ってば大袈裟だな、などと考えながら診療所の扉を左手で押し開けた瞬間だった。

「キャッ……!」

 という声と共に、目の前で、キャップを被った小柄な女子がトテッと尻餅をついた。武下は慌てて、

「ゴメン! 大丈──」

 唐突に言葉が切れたのは、それが思わぬ知り合いだったからだ。

「え、万理ちゃん?」

 すると万理はパッと顔を上げて、

「武っち!」

 と、尻餅をついたまま大きく目を見開く。

「イエロー……」

 ふと武下の口からポロリと溢れたカラーに、万理はハッとして、天に向けていた両膝小僧を瞬時に地へ降臨させる。

「見ないでよ、えっち!」

 パーカーの裾を握り締め、耳を色付かせて上目遣いに睨んでくるものだから、

「突然何のラッキーイベントだ、これ……」

 と、武下はジーンと天を仰いで呟いた。

「はぁ?」

「ゴメンゴメン、ケガはない?」

 と、気遣いながら左手を差し出す。それに掴まって万理は立ち上がると、

「そうだった! ケガがあるのはそっちでしょ?! ダメじゃない、安静にしてなきゃ! 体に障ったらどうすんのよ!?」

 矢継ぎ早に詰め寄る。

「ちょ、ちょっと待った、誰から聞いたの? 話が大きくなってる気がっ」

「え? だってさくタンが、最後のクロスプレーで肋骨が折れたかもって……」

 めちゃくちゃ重傷者にされてるし、と武下は目を瞑る。

「……いや、診てもらったけど一本も折れてないよ。見ての通りピンピンしてる」

「ほんとに……?」

「うん。もしかして、俺の事心配してわざわざ来てくれたの?」

 てっきり「そんなわけないでしょ!」と返されるかと思ったが、

「当たり前でしょ。友達の心配をして、何がいけないの」

 と、少し拗ねた口調で万理は武下の右脇に手を当てた。思わずピクリと半足を引く。

「まだ、痛む?」

「……全然」

「分かってるんだからね、庇ってる事ぐらい。痩せ我慢なんてしなくて良いのに」

「うっ」

 何故分かったのだろうか。

「ねぇ知ってる? 一説によると、人の手って痛みを癒すんだって。ほら、子供の頃よく母親なんかが、どこか悪い所に手を当ててくれたでしょ? 不思議とあれで良くなったりしたじゃない」

 あー、触手療法……と武下はボンヤリと思い浮かべる。

「きっと、その人を想う気持ちが強ければ強い程、癒す力が大きいんだと私は思うの」

 話している間も優しく撫で続ける万理の手に温かさを感じて、武下は黙ってそれを見つめる。

「〝手当て〟って本来そういう事なのかもしれないね。だから大丈夫、痛いのなんかすぐに消えるわ。それに私、今月最強運なんだもの♡」

 無邪気に微笑み掛ける万理を瞳に映し、自然と武下の手が伸びた。

 抱き締めたい──。

 だが伸ばしかけた手にグッと力を入れ、留める。

 ……そんな権利、ないか。

 一巡して宙を彷徨わせたのち、武下は万理の被っていたキャップをヒョイと取った。

「わ、ちょ?!」

 何事かと驚く万理の頭に、やんわりと手を置くと、

「じゃあ俺からも。今度の中間テストで万理ちゃんが赤点取らないように、『手当て』しとく♪」

 いつものように調子良く、ニッカリと笑った。

「……誰のおつむが弱いのよっ」

「あのさ」

 急に真面目腐った顔をする武下を、万理は珍しそうに眺めた。

「有言実行してみせるから。万理ちゃんが待ちくたびれる前に、必ず。だからその……誕生日、俺に少し時間くれないかな?」

 いつになく歯切れの悪さを感じつつも、万理は目をパチクリさせて、

「えっと、一月?」

「ゴメン違う、俺のじゃない。万理ちゃんの誕生日」

「……別に良いけど、それまでに間に合わなかったら、一秒たりとも時間あげないんだから」

「うん、分かってる」

「その時は、他の男の子と過ごすかもよ?」

「うんっ……!? 分か、った」

 あれ、これ墓穴掘った? と武下はひっそり思う。

「ふふ、じゃあ空けとく」と万理は笑みを溢すと、

「武っちの『手当て』気持ち良いね」

 尚も置かれている手に、目を閉じて擦り寄る仕草をする。

『その人を想う気持ちが強ければ強い程、癒す力が大きい』か……。

 気付けば脇腹の痛みなんか、もう感じなかった。

 武下は愛おしそうに、大切な物を扱うかのような手付きで、万理の頭を何度も撫でた。


 ……おーい、先生の存在忘れてないかー。

 車の中から二人の様子を目撃していた顧問教師は、声を掛けるタイミングを完全に失った──。

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