第81話『無茶言ってくれるよ』

 ──えー、今日の試合観に来てくれるって言ったじゃん。

 ──ゴメンね、陸。母さんも行きたかったんだけど、急なオペが入っちゃったのよ。

 ──なんだよ、せっかくスタメンに選ばれたのに……。

 ──次は必ず行くから。試合、頑張ってね。

 小学五年生の時、申し訳なさそうにそう言った母親が、その後試合を観に来てくれたのは何回くらいだろうか。恐らく片手で足りるぐらいだろう。

 武下はそれを寂しいだとか哀しいだとか思わなかった。最初こそ文句を垂れてはいたが、両親が医師である事に誇りを感じていたし仕方がないのは充分理解していた。

 だから色んな女の子に声を掛けまくったのは、自分の勇姿を誰かに観てもらいたい深層心理があったのかもしれない。(もしくは単に、女好きが転じてかもしれない)

 実際、歴代の彼女が当時観に来てくれる事は素直に嬉しかった。武下の交際歴など大して重要ではないので詳しい人数は割愛するが、誰かが応援してくれる喜びがどれほどのものか、人一倍、身に染みて知ったのだ。

 ……だからかな。あの言葉は破壊力が凄かったというか。絶対に、成し遂げたいと思ったんだ。

『武っちがレギュラー入りするまで、一緒に遊ばない! だから意地でも、レギュラーなりなさいよ!』

 脳裏に、暴力女子の真剣な表情が浮かび上がり、武下は口端を緩める。

 ……きっと本人は深く考えずに言ったんだろうけど。おかげで、余計に気合い入ったよ。

 心の中でフツフツとした灯火が強さを増す。

 七回裏に入り、監督から「武下」と呼ばれたのは、ちょうどそんな時だった。「はいっ」と体を向けると、

「代打だ。行ってこい」

 武下は二、三度瞬きをして、すぐさま首を縦に力強く振った。

 観てて。必ず、レギュラーまで辿り着いてやる。


「辿り着いた……もう、あと一年は、走らないんだから」

 万理は、ぜいぜいと肩で息をしながら一塁側スタンドへとゴールテープを切る。三キロマラソンのスコアを記録していたならば、自己ベストに違いない。

「──って、ちょっと待って。一塁側ここ、相手チームのスタンドじゃない!」

 どう見渡しても知らない顔触ればかりだ。おまけに北条の制服を着ている人が一人も見当たらない。(基本的に一般観戦は制服でなければならない校則だが、寝坊した万理は膝上丈のパーカー一枚という一秒で着られる装いだった)

 やーん、私ったら! と踵を返そうとした瞬間、金属音が響いたと思ったら打球が自分の真横にガンッ! と飛んできた。

「ひゃん! ビ、ビックリした」

 打球は再び飛び跳ねて、後方へと消えて行く。スタンドで観戦する場合は、ファウルボールの行方にご注意ください。

「もぉー、誰なのよ一体?! ケガしたらどう責任取ってくれるワケ?」

 と、文句を垂れながら電光掲示板に目を留める。

 するとそこに表示された打者の名前を見て、万理は勢いよくバッターボックスに顔を向けた。

「嘘……!」

 気付いたら、スタンドの最前列まで階段を駆け下りていた。


「ファウル!」

 審判のコールを耳にしながら、武下は三塁側のベンチに目を向け監督のサインに頷く。

 あと一点だ、あと一点取ればコールド勝ち……。

 翌日が決勝戦だという事を考えると、ここで宮辺ピッチャーを楽にさせておきたい。無意識に、バットを握る手が強くなる。

 続く投球を再びカットし今度は三塁側のスタンドに飛ばす。

「いけ!! 武下!!」

 ベンチから送られる熱い声援に、つい歯を覗かせた。

 ……佐久間め、柄にもなく激アツじゃねーか。

 なんだかんだ言って、刺激し合える関係性の二人である。

 すると気のせいだろうか、自分の名前を呼ぶ声が、何故か一塁側の方から聞こえてきた。

 はて、自分のスイングに魅了された女の子がこっちに寝返りでもしたのか? などと頭を過るが、次に物凄い声量でその声はハッキリとこう叫んだ。

「私! そんなに! 待てないんだからね!!」

 それが誰なのか、何を意味しているのか、分かったのと同時に、狙っていたボールが来てバットを振り抜いた。

 打球が上手い具合にセンター前に落ち、武下は一塁ベースを踏む。三塁側から沸きあがる歓声に調子良く応じながらも、バッティンググローブを外してチラリと一塁側のスタンドへ目を向けた。

 ……ったく、人の気も知らないで、敵陣で無茶言ってくれるよ。

 いつものトレードマークのリボンはなく、代わりにキャップを目深に被った姿だったが、その女子が万理だと一目で気付いた。

 嬉しそうな顔で微笑みかける彼女に、武下は目を細めて見つめ返す。ほんの束の間だったが、この光景をずっと忘れたくなくて、心の奥に焼き付けた──。


 その後、送りバントで二塁へ進み、打順は宮辺に回る。今日も絶好調な宮辺ガールズの黄色い声援を耳に、小学生の頃から共に汗水流してきた悪友の進塁を後押しする長打を放つ。

 まわれ、まわれ!! という叫び声なんかなくとも、そのつもりだった。躊躇いなく武下は三塁ベースを蹴り、ライトがバックホームする様子を横目に、両手をホームベースに目一杯伸ばして飛び込んだ。

 すんでの所でキャッチャーに思いっ切りタックルされるものの、

「セーフ!!」

 と、審判がコールすると、武下は握り拳を作り二塁に残塁した宮辺へ親指を突き立て、宮辺もまた、サムズアップで感謝を送った。

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