第78話『そいつフルボッコだな』

「聖南打線に五失点で抑えられただけでも充分──と言いたいところだけど」

 田城の菩薩のような微笑みが、今の宮辺にとっては恐怖でしかなかった。

「最後のイニング、制球乱れるわ、フォアボール出しまくるわ、一気に三点取られるわ……なかなか波乱な展開だったな」

 若干小姑化してきたがここまでは良い。まだ優しさが残っているから。

 宮辺は投球練習場で直立不動気味にダラダラと嫌な汗を掻きながら、

「お、おかげで最後まで飽きない試合でしたねっ」

 苦し紛れに強がってみせる。

「オマエだけな」

 笑っているようで笑っていない。恐怖のあまり宮辺は目を泳がせて、

「そういえば実家のお寺はどうです? 大繁盛だったでしょ?」

「ムリヤリ話をすり替えるんじゃない」

 寺の息子は、お彼岸というここ連日の繁忙期で疲れが溜まりに溜まっていた。家業だけでなく主将の仕事、宮辺エースの調教、対戦校の情報収集、自主練、諸々の宿題といった通常ワークも乗っかり、もうやる事が多すぎてほとんど眠れていなかった。

「分かってるのか? 恵の二度のタイムリーがなかったら今日は危うく負けてたんだぞ」

「僕だって、ホームランで貢献したと思うんですけど」

 ボソッと呟く言葉をスルーし、田城は少し屈んで宮辺の目線の高さに合わせると、

「宮辺、俺は意地悪で言ってるんじゃないよ。オマエがチームを勝たせようとよくやってるのは、投球から伝わってる。けど、負けず嫌いなだけじゃ勝てない時だってあるんだ」

「田城先輩……」

「ウチのエースはオマエしかいないんだから。ピンチの時こそ冷静でいて欲しい。次の準決勝、頼んだからな」

 宮辺だって分からないわけではない。だが田城の真剣な面持ちを前に、よりその意味を噛み締めずにいられなかった。

「心配……しないでくださいよ」

 振り絞ったようにポツリと溢す。

「準決勝でも決勝でも、いくらでも修羅場を潜ってやりますよ。……むしろ今までそうして投げてきたんだ、強い相手だろうが怯んだりしない」

 強気に微笑む宮辺に、

「それ聞けて安心した」

 と、田城は思わず目を細めた。

「だけど、タメ口は三度目は指導だぞ」

 意外とこの辺りは厳しい。

 しまった! と血相を変えてワタワタと焦るのだった。


「あっ」

 別の日の放課後、武下は花壇に水を撒くその人物を見付けて、立ち止まる。(ホースを使用しているのでどうやら村人は知恵を付けたらしい)

 今日万理ちゃんが当番だったんだ! と意気揚々と声を掛けようとしたところで、

「おーい、万理ちゃーん!」

「こないだの試合も来てくれてありがとー!」

「次は今週末だからねー!」

 と、前方を歩く二年生組が、デレデレとした顔付きで手を振り呼び掛けた。

 先を越されてしまい、何となく、武下は死角に身を潜める。

「はーい、またお邪魔させて頂きまーす」

 と、手をヒラヒラと振り返し愛くるしい笑顔を向ける万理に、二年生組は身悶えながら「やったー!」「待ってるよー!」とすっかりはしゃいでいる。スタンドメンバーにとって万理がアイドルのような存在である事は紛う事なき事実なのだ。

「はぁーヤバッ、マジ可愛いわー。付き合いてぇ」

「おまっ、ヤメロ。万理タソは俺らスタンド組の推しだぞ!」

「そーだよ、てかそんな野郎いたら即刻別れさすっ」

 その推しが誰かに夢中だと知ったら、きっととんでもない事になるだろう。

 その時はそいつフルボッコだな! と結束を高めながら歩いて行く二年生組を遠く眺めて、武下はゾッとした。

 こっわ! やっぱ水面下に動いて正解だったかも……!

 想像した通りで戦慄いていると、

「ゴメン、小柳さん!」

 と、今度は真面目そうな男子生徒が息を切らせて駆け付けて来た。

「あれ? 緒方くん、今日漫研じゃなかったの?」

「それが、俺の勘違いで活動日じゃなかったんだ。せっかく替わってくれたのに、ゴメン」

 本来ならこの緒方が水やり当番だったらしい。万理はクスッと笑って、

「せっかく替わったんだから、わざわざ駆け付けなくても良かったのに。優しいのね、緒方くん」

「そ、そうかなぁ? あっ、後はやるよ」

「ううん、もうちょっとで終わるから」

「でも……」

「そうだ! だったら、今期注目のアニメの話してよ。緒方くんセンス良いから聞きたかったの」

「いやぁ、そんな……小柳さんには負けるけど」

 テレテレと赤面する緒方を盗み見て、武下は勘付いた。

 オガタ、テメーぜってぇ万理ちゃんに気があるだろっ!

 心の中で一人叫ぶが、未だ死角から動かず悶々としている自分に焦りを感じ、ガシガシと頭を掻き回す。

 っあー、早く一緒に遊び行きてぇ!

 いつの間にか、万理のペースに完全にハマり翻弄されている気がする。

 万理ちゃん、キミはどんだけ天然小悪魔なんだ……とジェラシーな気分になりつつも、この時、フツフツと武下の中で何かが燃え盛ろうとしていた。


 ……さっきからあんな所で突っ立って、何やってんだあいつ?

 翔斗は怪訝な表情で武下を見やる。探偵よろしく、建物の出っ張りに身を隠すようにして、花壇をチラチラ気にしている様子はどう見ても怪しい。

 花壇に何かあるのか? と視線の先を辿ってみると、水を撒きながら楽しそうにアニメ談議に花を咲かせている女子生徒と男子生徒の姿──翔斗はもしやと思った。

 なるほど、は小柳か。

 あとでとっちめたろ、と少し悪い顔をしてニヤッと笑った。

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