第77話『来年四番打ったる』
「この借りは、夏に返してやっからな!」
と、大量の涙をダボダボ流して叫ぶエースを相方が宥めて、去り行く聖南バッテリーを眺めながら翔斗は呆気に取られる。
すげー泣いてんじゃん。てか俺、無駄に敵視されてね?
いつも勝手に敵が増えてしまうのは何故だろうか。翔斗は不思議で仕方がない。
「それぐらい、翔斗くんが凄いって事なんだろうね」
後ろから桜が声を掛けてきた。
チームは現在球場の外で待機中だ。
「まさか。買い被りすぎだろ」
と、心の中を覗かれたようで翔斗はぶっきらぼうに答える。
「そんな事ないよ、だって今日も──」
唐突に言葉を切ると、桜は通りすがった少年が、目の前で何かを落とした事に気付く。パスケースらしい。
素早く拾って「落としましたよ」と、呼び止めた。
振り向いた落とし主は中学生ぐらいのようだ。体格は普通の高校生と変わらないが、あどけなさがまだ残る。
「あ、すんません」
と、少年はパスケースを受け取り、桜の顔を見た瞬間、ピタッと固まった。頬を赤くし、瞳孔が開いている。
どうしたんだろう? と桜は心配そうに見つめると、
「嘘やん、めちゃくちゃ可愛い……」
ついポロリと溢れた少年の言葉に、「えっ」と驚く。
「なぁ、アンタ彼氏いてんの? 連絡先教えてや。何年生? 名前は?」
矢継ぎ早に質問され、「あのっ、そのっ」とパニックになりかける。するとその様子を側で見させられていた
「悪いけど、俺らそろそろ出発だからその辺にしといてくれ」
と、横槍を入れた。少年はジロリと翔斗を見やると、
「何やねんオマエ。この子の彼氏なん?」
「別に、一部員と一マネージャーだ」
年下相手に本気で凄みつつ、どこか自分に言い聞かせているようでもある。
一部員と一マネージャー……うん、良いの分かってる。
ほんのちょっぴり切なさを感じて遠い目をする桜を他所に、
「ふーん。そのユニ、北条か。見たところ補欠ではなさそうやな。ジブン、ポジションどこ?」
「ショートだけどそれがどうした」
やや不機嫌そうに翔斗が答えると、
「マジで?! あのジャンピングスローの奴やん?!」
少年がテンション上がり気味に、クワッと刮目した。
なんだ『ジャンピングスローの奴』って……と、翔斗は妙な呼び名に眉を寄せる。
「あれホンマヤバかったわ! まー言うて、俺が打ったらあんな風に止めんのムリやろうけどなッ」
いかにも自信あり気な少年に、翔斗は目を瞬かせた。
「オマエも野球部か?」
「せやで。小学生からずっと四番やねん、凄いやろ? あっちで俺の事知らん奴いいひんと思うで」
ドヤッとした表情を見せてくる。何となく武下みを感じながら「そいつは凄いな」と無表情で返すと、
「よっしゃ、決めた」
少年がニヤッとしながら言った。
一体何を決めたのか? 翔斗は訝しむ。
「北条で、来年四番打ったる」
「……はぁ?」
突拍子もない事を言われ、唖然とした。
「俺、今年受験生やねん。ホンマは地元の高校でもええねんけど、なんやこっちの方がオモロそうやし」
「それはどーぞご自由に」
少しの面倒臭さを感じ、適当にあしらう。
「そしたらジブンといつでも対決できるしな。何より、オプションにめっちゃ唆られるわー!」
と、捕食者のような目を向けられ、桜は身の危険を感じビクンッと震える。
翔斗は、桜より前に出て、
「俺と対決したいなら他の学校行ったらどうだ?」
「そんなんいつ当たるか分からへんやん。俺は毎日でも勝負したいねん」
少年の闘争心は百パーセント純粋なものだ。
翔斗は薄々気付きつつあった。
こいつ、相当面倒な奴かもしれん……。
「ホンマ、彼岸参りついでにこっちの試合観に来て良かったなー」
じいちゃんが導いてくれたりして! と一人で勝手に盛り上がっていると、少年の携帯電話が鳴り出した。
「もしもし? なんやねんオカン──えっ、もう新幹線乗る時間?!」
血相を変える少年に、今度は何事かと翔斗も桜も黙って傍観する。少年はあたふたと通話を切って、
「あかん、のんびりしてる場合ちゃう! 帰られへんようなる。なぁ、こっから新幹線の駅までどんくらい?」
「知らん」
だって本当に知らないので翔斗は即答すると、桜が見かねて、
「タクシーで行けば十分ぐらいだと思うよ」
と、教えてあげる。
「それやったらギリ間に合うな!」
ありがとぉ! と駆け出そうとして、「あっ」とふと踵を返すと、
「俺、小野
あどけない無邪気な笑顔を向けてきた。夢や希望を掴んでウキウキとした様子の少年に、翔斗は言った。
「オマエ、ウチに入りたいんなら言葉遣いどうにかしとけよ」
「へー、他所もんの言葉バカにしてるん?」
「アホか、目上には敬語を使えって言ってるんだ」
どの口が言うか。
崇成は肩をすくめると、「善処するわ」と言い残し、颯爽と走り去って行った。
「なんか、嵐のようだったね……」
ポカンとして桜は呟く。
「そーだな」
翔斗はまた余計な面倒事が増えた気がしてならない。
「でも翔斗くん、言葉遣い注意してすっかり〝先輩〟みたいだった」
ふふっ、と笑みを溢すと、
「……まぁ、俺もあんな時期あったから
え、翔斗くんの中学時代ってどんな感じだったんだろう……桜はひっそりと思う。
「にしてもあいつ、本気で
「んー、それは難しいんじゃないかな?」
サラリと言ってのける桜に、翔斗はギクリとして、
「まさか、権力行使するつもりか……?」
「そんな権力一切ありませんっ! じゃなくて、こっちに住んでるわけじゃないみたいだから」
「あー、新幹線で通うのは無理あるか」
「それもだけど、学区外から受験する事自体できないはずだよ」
公立校である北条は学区制が適用されている。翔斗の場合は、北条まで遠かったが幸いにも学区内だった。
「そういえばそんなのあったっけ。それじゃあ、あいつと春に顔合わせる事はないってわけか……」
少しだけ気の毒に感じながらも、『小野崇成』という名を忘れてはいけない気がして、翔斗は心の片隅にうっすらと刻んだ。
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