第72話『ハートに届いてる?』

「ひっえー! めぐ先輩マジ最強! 全部の打席でツーベースとか!」

 武下が、ベンチから身を乗り出して声を上げた。

 北条は、点差を五点に広げたまま七回表の攻撃に入り、この回先頭打者の四番──めぐみが痛烈な当たりで出塁する。

「おい、次も続けよ!」

 と、ネクストバッターズサークルへ進もうとする翔斗へ武下は檄を飛ばすと、

「あぁ!」

 ニッとした笑みを浮かべて行く。前の打席で、出塁した恵を本塁へ返し得点に貢献したのだ。

 その様子を見ていた桜は、嬉しそうに「ふふっ」と微笑む。

「佐久間の奴、すっかり調子上がってるじゃん」

 武下に話し掛けられると、

「うん。打順も上げてきたし、守備もまた更に良くなったよね」

 頼もしいくらい! と眩しい程の笑顔を向ける。すると武下は何故かハァーっと長い溜息を吐き、

「ほんっと、あいつが羨ましいよ。こーんな可愛い子にいつも応援して貰えるんだからさ」

「しょ、翔斗くんだけじゃないよ、皆の事だって応援してるよ!」

 桜は焦りながら返す。

「えー? 俺の事もー?」

「もっちろん! ていうか、武下くんだってベンチ入りして充分凄いじゃない」

「ハハッ。既の所でベンチ入りできたのは良かったけど、規約を守るにはまずは結果残さなきゃだからなぁ……」

 遠い目をする武下に、桜はキョトンとして、

「〝規約〟?」

 最近どこかで聞いたかも……?

「あ、いや。何でもないよ」

 取り繕ったかのような笑みを慌てて向けた。

 そうこうしている間にも、五番打者の田城が一二塁間を抜けるヒットを放ちそれぞれ進塁すると、バッターボックスに翔斗が立つ。


「スクイズあるよ、スクイズ警戒!」

 と、相手チームが守備陣に投げ掛ける言葉を聞いて、翔斗は眉を潜めた。

 警戒されても、俺……バント苦手なんだけど。

 絶妙にボールの勢いを殺した、職人技とも呼べる繊細な技巧である。積み重ねた練習もなくバント職人になれる者など恐らくいない。(いや、稀にいる?)

 どちらかと言うと、翔斗はバント職人への道が遠かった。だから、バットを寝かせて構えた状態で得点に結び付ける方法はただ一つしかない。

 マウンドからの投球をバスターで以て叩き付けると、それが右中間を破る。本人としても上出来な当たりに満足しながら駆けて行く。

 けどやっぱ……バントはもっとしっかり練習しとこ。

 頭の片隅でそう考える翔斗を他所に、塁上の走者が二人生還し、北条は二点を追加したのだった。


「七点差にしてくれるなんて、さすがキャプテンと副キャプテン! 自分、信じてました!」

 恵に続いてベンチに戻ってきた田城を、小型犬のように無邪気な様子で宮辺が迎える。

「まったく、調子の良い奴。前の打席で俺が凡退した時、悪態ついてきたのはどこのどいつだ?」

 と、田城が思わず苦笑いをする。

 えー? そんな失礼な事しましたっけ? と態とらしく素っ惚ける宮辺に、恵がニヤッと笑いながら、

「オマエに一つ良い事を教えといてやるよ。タッシーが悪態つかれて菩薩の顔でいられるのはな、三度までだぞ」

「なんですかそれ? 仏の顔も三度までってやつです?」

「あぁ。何故ならこいつは……寺の息子だからだ!」

 渾身のギャグと言わんばかりに、恵はドヤった。尚、田城が寺の息子と言うのは事実である。

 だが、二人はあまりにも面白くなさすぎて、晩夏の残る九月だというのに寒ささえ感じた。

「──宮辺、もうすぐ打順だろ。あんまし無茶な事すんなよ」

「え、タッシー、無視?」

「次の向こうの攻撃、クリーンナップからですもんね」

「ウソ、オマエも無視かよ」

「まだヒットを打たれてないとは言え、油断は禁物だ。この裏で終わらす覚悟でやろう」

 田城の力強い言葉に宮辺は真剣に頷く。一人置いてけぼりにされた恵は、

「なぁ……俺の声ってオマエらのハートに届いてる?」

 少しロンリー気分になって、背中に哀愁が漂った。


「やーん、もう試合終わっちゃったぁ。相手チーム、もうちょっと粘りなさいよ!」

 口を尖らせて不満気に漏らす万理を横目に、

「オマエ、どっちの味方なの?」

 と、長谷部が呆れてツッコミを入れる。

 その後、裏の守備で宮辺が無失点に抑え、宣言通り七回コールド勝ちとなったのだ。

「だってー……」

「さては、武下ヤツが打席に立てなかった事が残念なんだろ?」

 相変わらず仏頂面は崩さない。

「うるさいなぁ。武っち応援しに来てるんだから、当然でしょ!」

「こいつ、ついに開き直りやがった……」

 万理はジロリと睨んで、

「言っとくけどベッキー、本人に余計な事喋ったら頭突きだからね」

「いや、それはマジで勘弁……」

 と、長谷部の顔が引き攣った。

『あんな女好き、好きでいても良い事ねぇぞ』

 万理の脳裏にふと、さっき長谷部に言われた事が過ぎる。それと同時に、数ヶ月前の出来事を思い出した。

 ──いやぁ俺で良かった。あの人に水掛けてたら今頃キミ、生き地獄だよ?

 自分でも無意識に自然と口角が上がる。

 ……だって、仕方ないじゃん。あの時から私は、そんな奴に惚れちゃったんだもの。

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