第73話『マリーゴールドのように(前編)』

 意外な事に、その二人の初対面はお互いに印象が良いものではなかった──。


「ねぇさくタン、良いでしょー? 一緒に放送部立ち上げようよー」

 と、万理は渡り廊下で、桜に強請るように言った。

「うーん、ゴメン。もう野球部でマネージャーしてるから、掛け持ちはちょっと厳しいかな……」

 桜は曖昧な笑みを浮かべる。

「そんなの辞めちゃえば良いじゃん! そもそも、なんで突然野球部のマネージャーなのよー!」

 いじけたように抱き付いて、桜の肩口にぐりぐりと額を擦り付ける。

 おーよしよし、と万理を宥めながら、

「まぁ、色々と事情があって……辞めるなんてできないよう」

「まさか監督オジサマの陰謀?! 娘を扱き使うなんて反対!」

「あはは、『陰謀』って……全然違うよー。頼まれたわけでも、扱き使われてるわけでもありません」

「じゃあなんなのー!?」

 万理には高校に入ってからの野望があった。中学時代に所属していた放送部で黄金コンビと謳われた桜と、放送部のないこの学校に(正確にはあったのだが、部員不足につき数年前に廃部となったようだ)二人で新しく創部する事。それなのに──。

「さくタンのアナウンス魂はどこに行ったのよー!」

「アナウンス魂」なんて言われると桜も弱い。どう返したものかと考えていると、

「あれ、桜ちゃん?」

 と、声を掛けてきたのは翔斗と仲の良い(?)野球部員だ。

「あ、武下くん」

「何してんの? こんな所で桜ちゃんに会えるなんて超ラッキー♪」

 数時間前に朝練で顔を合わせたばかりなのだが、相変わらずのチャラさだ。

「んー、ちょっと歓談中」と答える桜にピットリくっ付く小柄な女子を、武下はふと目に留めた。めちゃくちゃこっちを見ている。(警戒しているようにも見えなくはない)

 え、誰この可愛い子……?! 桜ちゃんに引けを取らないどころか男心を擽ぐる萌え属性……!

 武下の女好きセンサーがフル稼働し、一気にテンションが上がる。

「ねぇ桜ちゃん、隣の子はお友達? 挨拶させてよ!」

「う、うん……中学からの友達だよ」

「そっかー! 俺、武下陸。野球部員なんだ! ちょっとばかし打撃に自信があってさ、今度交流試合やるから観に来てよ──」

 意気揚々と喋り出す武下に、桜は少し嫌な予感がした。

 ふーん、いかにも女たらしって感じ……こんな奴が野球部だなんて、そんな野球部にさくタンを盗られたなんて許せない……。

 万理のイライラはピークに達していた。まだ何か喋り続ける武下に「悪いけど……」とニッコリ微笑み掛けると、

「私、野球に全く興味がないの。でもそれ以上に、アナタには微塵も興味がないわ」

 季節は春だと言うのに、氷点下並みの空気が辺り一面を覆い尽くす。武下は凍り付いてピシッと固まる。

 桜が「まりり!」と窘めるが、万理はツーンとしながらスタスタと歩いて行った。

「ゴメンね、武下くん。悪い子じゃないんだけど……」

 と、両手を合わせて詫びると、

「あぁ良いよ、気にしないで。俺も全っ然気にしてないから」

 武下が泣きそうな顔でムリヤリ笑顔を作ってみせる。

 しかし内心、あそこまで言われたの生まれて初めてなんだけど……あの子には話し掛けない方が身の為かも……と、思うのであった。


 それが四月の事で、次の季節の変わり目まで二人が絡む事は実際になかった。


 梅雨の時期に差し掛かったある朝、万理はギリギリの時間に教室へ駆け込む。

 っあーもうダルっ、低血圧も楽じゃないわ……。

 だのに家から猛ダッシュしたらしく、すっかり机にへばりついて、なかなかエンジンがかからない。

 あ、今日体育あるの忘れてた。さくタンならジャージ余分に持ってるだろうし昼休みにでも借り行こ。

 でもサイズが違うなーまぁ何とかなるか、などとテンション低めに考えていると、そこへ騒がしい集団が教室に入って来た。

「ったくよー、武下の奴、偉そうになんなんだよ!」

「なーにが、『そんなんじゃ一生かかってもレギュラー無理』だ。そりゃテメーの事だろ」

「『気持ちで負けてる』って、気持ちでどうにかなるもんでもねーだろっ」

「佐久間も武下の肩持ちやがって……まぁ、あいつは監督のお気に入りだから余裕なんだろーけど?」

 同じクラスの野球部員達だ。何やらこぞって腹を立てている。(※第14話を参照していただきたい)

 一際ご立腹の様子の長谷部が、自分の席に座ると、

「フンッ、『学年は関係ねぇ』とか大口叩いてんだからよ、武下がレギュラー落ちした時は皆で笑ってやろうぜ」

 だな、だな、と他の部員達も同調し、長谷部の周りを取り囲む。……この時は捻くれ度MAXだったので、多少の性格の悪さは大目に見て欲しい。

 別に身内でいがみ合っているわけではないのだが、同じ学年同士、意識の違いで揉める事が偶にあるようだ。

「うるさい……」

 机に突っ伏したまま、万理はポツリと言うと、ガタリと席を立った。そして長谷部の席へゆっくりと近付き、「おっ、どうしたの小柳ちゃん」と取り巻きに絡まれるも無視して席の主をジッと見やる。

「なんだよ?」

 と、訝し気に尋ねる長谷部の頭の両側を持つと、万理は顔を寄せて行き──え? 何、キスされるの? と長谷部が頬を赤らめた瞬間、ゴツンッ! と鈍い音が教室に響き渡った。

 万理が長谷部の額に頭突きをお見舞いしたのだ。一応言っておくが石頭なので相当痛い。

 案の定、長谷部は額を押さえて悶絶している。「おい、大丈夫か?」と周りの取り巻きが心配そうに声を掛け、クラスメイトも固唾を呑む。

 万理は踵を返して、「やーん、消毒しなくちゃっ」と頭と両手を左右にプルプル振っている。すると痛みを堪えながら長谷部が、

「コラ待て小柳ぃ!!」

 と、怒りと共に立ち上がった。チラリと万理は振り向く。

「テッメーざけんなよ。男にチヤホヤされてっからって、調子乗ってんじゃねーよ!」

 完全に青筋を立てている。「やめろよベッキー」と言う声も聞こえていないらしい。

 万理は吐き捨てるように、

「図体がデカイだけで中身はちっさいのね」

「んだと?! 女だからってもう容赦しねぇ!」

 憤慨して長谷部は立ちはだかる。三十センチ以上もある身長差に、頭突きは使えないだろう。いよいよ本気で止めに入ろうとする部員達を横目に、

「さっきからうるさいのよ」

 と、万理は手近な椅子に足を乗せて、

「こっちはただでさえ低血圧ですこぶる機嫌が悪いってのに……」

 椅子の上に立つと、長谷部を見下げる恰好になる。

「野球部のくだんない陰口なんか、聞きたくないの──」

 よっ! とヘッドバンギングよろしく、万理の鉄槌が長谷部の脳天を打ち抜いた。

 長谷部は物理的にノックアウトされ、そしてこの日、小柳万理の低血圧がクラスで伝説を生み出した。


「はい、まりり。半袖半パンだから、ブカブカでも一応着られるとは思うけど」

 そんなこんなで、昼休みにジャージを借りに桜の元へやって来た万理は、部室の外で受け取ると、

「ありがとう、さくタン♡ ホント助かるー!」

 洗って返すね、と通常運転のテンションで言った。

「あれ? まりり、タンコブできてない?」

 と、桜は万理の頭の異変に気付く。

「ウソッ?! 今朝、二度もぶつけたからかな……」

「えー! ぶつけたって一体どこに……大丈夫?」

 まさか人に、とは言えない。

「大丈夫、大丈夫! ……私は、ね」

 あの後、長谷部の額には冷却シートが貼られていた。

 気を付けてねー、と心配そうにする桜に、万理はハタと思い出して、

「あっ、そうだ。ねぇ、さっき教室で一緒にいた人ってさ……」

「一緒にいた人?」

「うん。ほら、佐久間くんの横でご飯食べてたちょっとチャラそうな」

「あぁ、武下くん?」

「やっぱりあの人が『武下』か……」

 と、万理は独りごちる。

「ていうかまりり、前に武下くんに挨拶された事あるじゃない」

 そしてそれに対して喧嘩を売った女。

「あれは、女たらしにさくタンが盗られたみたいで癇に障って……名前ちゃんと聞いてなかったんだもん」

「別に盗られたわけじゃないんだけど。武下くんがどうかしたの?」

 まさか何かされたっ?! と、勝手に慌てふためく。

「ううん、なんか……思ってたイメージと違うなって」

 と呟く万理の言葉に、桜は首を傾げた。


 校舎から野球部のグラウンドへ行く途中には、長く連なる花壇がある。そこに水をやるのは、日替り当番制で各クラスの美化委員の仕事なのだが、武下はその日の放課後、水やりをしている女子の姿を認めて、立ち止まった。死角になっているのか、向こうからはこっちが見えていない。

 あの子は、桜ちゃんの友達の……。

 ホースを使えば良いものを何故かじょうろで撒く彼女に、声を掛けて教えようかと思ったが、一巡して止めといた。

 また冷たくされたら、俺、今度こそ心折れるかもだし……。

 ハハハ、と引き攣った笑いが一人漏れる。

 それにしても──。

「ほーら、恵みの雨だよー」と言いながらフレンチマリーゴールドに水を撒く彼女を、武下は目を細めて見つめた。

 やっぱり可愛いんだよなぁ。本当は仲良くなりたいんだけどなー。

 はぁ、と小さく溜息を吐くのだった。

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