第69話『青春を返して』

「あれ? どうしたのお母さん、浴衣なんか引っ張り出してきて」

 お風呂上がりの桜は居間に入るなり、意気揚々と浴衣を広げる茜を見て言った。

「何言ってるのよ、明日花火大会でしょ? 花火大会と言えば浴衣じゃない♪」

「えっ、行くの?」

「ご近所の今井さんに有料席余ったからって誘われてねー♡」

 あ、だから明日の夕ご飯はヨロシク! とおまけの一言がサラリと付け加えられる。

「もー。今日から秋大始まって、私も帰り遅くなるんだからね」

 と、台所の冷蔵庫から麦茶を取り出し、ほんの少し文句を垂れる。

「だったら帰りに、桜も佐久間くんと屋台寄れば良いじゃない。監督じゃまものは明日、本業で帰って来ないんだし」

 夫の扱いがひどい。ちなみにその本業とはまたの機会に触れよう。

「屋台のご飯じゃ栄養偏っちゃうでしょ」

 コポコポと麦茶を注ぎながらジトっと目を向ける桜に、

「あら? 佐久間くんの息抜きになるかもよ、屋台デート♡」

 絶対に揶揄って楽しんでいる。

 桜は麦茶を戻し入れるとバタンッと冷蔵庫の扉を閉めて、

「い、き、ま、せ、ん」

 と、強調して言った。


「ねー、行こうよー」

 電話口の万理が甘えたような口調で食い下がる。誰もいない居間でスピーカーにして電話を受ける桜は、

「だって本当に無理なんだもん。それに練習が終わる頃には、花火打ち上がっちゃってるし」

 と、棒アイスを片手に説得を試みる。暑い時期に食べるアイスは何故こうも格別に美味しいのか。(太る? アイスはゼロカロリーだ!)

「花火はちょっとでも観られたら良いの! 私はお祭り気分を楽しみたいのよ、だって明日で夏休み終わるんだよ?!」

「うーん、じゃあ武下くん誘ってみたら? 仲良いじゃない」

「それはちょっと誘えない規約があるというか……」

 言葉を濁す万理に桜は「?」と首を傾げる。

「違うの! 私は、さくタンと行きたいのよー! 去年は行けなかったわけだし」

「あぁ、丁度去年の今頃かー。懐かしいねぇ、無我夢中でコンクールの準備してたよね」

 ふふっと思い出して笑みを浮かべる。

「うん。さくタンがアナウンス担当で、原稿作りやその他の制作を私がやって……楽しかったなぁ」

「まさか全国優勝するなんて、夢みたいだったよね」

「いやー、財杏ざいあん中学の早乙女桜と言ったら、放送部界隈では知らない人はいない無双っぷりだったから」

「そんな大袈裟な、まりりが色々と頑張ってくれたお陰だよ」

「……今でも放送続けてたら、いつかは甲子園で司会進行できてたかもしれないね、さくタン」

 万理がポツリと溢した。桜はすぐに返せずしばらく黙り込むと、

「もしも甲子園に行けるなら、司会進行するよりも……私は、皆が活躍する姿を間近で応援して声を張り上げてる方が良いかな」

 手に持ったアイスが溶けはじめて指に垂れ流れる様子を、桜は静かに見つめた。

 ──盗み聞きをするつもりはなかったのだが、部屋を出たら居間から話し声が聞こえてきたので、なんとなく、そのまま立ち止まってしまった。

 翔斗はその内容に耳を傾けると、壁にもたれ掛かり、そっと息を吐いた。


「白付、今日の初戦で箕曽園にボロ勝ちしたらしいぜ!」

「マジかよ、夏の借りを返したのか」

「まー、箕曽園も甲子園で準々決勝まで行ったからなー。その分準備も遅れただろうし」

「それにしても、因縁対決が早速実現するなんて、クジ運良いのか悪いのか……」

「クジ運で言ったら、やっぱ田城タッシー神掛かってるわ。俺ら初戦が二回戦スタートだもん」

「あぁ。来週だからな、準備する時間が取れて助かるぜ」

「しかも順当に勝ち進めば、決勝は白付と当たるっぽいし」

「上手い具合にできたトーナメントだよなー」

 っあー、燃えてきたー! と、部室で着替えながら騒ぎ出す二年生達を尻目に、翔斗はふと思い出していた。

 白付か……。

『宣戦布告だ。テメーは絶対許さねぇ、秋は覚えとけよ!』

 確かいつぞや、あらぬ誤解で怒らせた(いや、勝手に怒ってきた)千宏にこんな事を言われたのだ。

 思い出すんじゃなかった……。

 また絡まれるのかと思うと面倒臭さしか感じない。それと同時に、余計な一言まで脳内を駆け回った。

『俺は桜と一緒に風呂入った事も、一緒に寝た事もあんだからなっ』

 ……イラッ。

 と、実際に言葉にしたわけではないが、突然不機嫌なオーラを醸し出す翔斗一年生に、先程の二年生達がビクッとして「騒ぎすぎたかな……?」と大人しくなる。

 クソッ、なんでガキの頃の話に嫉妬してんだ。そもそも仕舞い込んだんだろッ。

 このイライラとモヤモヤを、どこかにぶつけたくなった翔斗は、ロッカーに思いっ切り頭を打ち付けた。その奇行に二年生達は「こいつ大丈夫か……?」と本気で心配するのだった。


 ちなみに花火大会はと言うと──。

「やーん、予報じゃ晴れだったのになんで雨なんか降るのよー!」

 青春を返してバカー! と、万理が部屋の窓から土砂降りの雨空に向かって叫んだ。大人の諸事情で、雨天時には順延とならず開催は中止されたようだ。天候ありきならどうしようもない話だが、その日の楽しみを奪われた気分になるのはどうにも面白くないものがある。

「山もあれば谷もある」とは言うものの、楽しみの度合いが大きければ大きい程、人は簡単に割り切る事など大抵できない。そういう時は思う存分感情を吐き出して、出し切ってから次の楽しみを見付ければ良い、と万理は思っている。出来事をどう受け止めどう進むのかなんて、本人次第なのだから。

 一方、早乙女家では──何故か浴衣を着た茜が数々の屋台メニューをこさえて待ち構えており、娘を唖然とさせていた。(居候の野球部員は楽しそうだったとか何だとか)

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