第66話『野球バカとその彼女』

「ありがとう。キミの力がなければ、七年ぶりの甲子園出場なんて成し遂げられなかったよ」

「そんな事は……監督が声を掛けてくださって、こちらとしても感謝しかありません」

「それで、やはり気持ちは変わらないのか?」

「……はい。短い間でしたが、本当にお世話になりました、監督」

 と言うと、輝人は、高校生の頃からの恩人と堅く握手を交わした──。


「決勝戦、物凄い点差だったんだねぇ」

 翔斗と校門を抜け帰途につきながら、桜は口にした。

「十五点差だっけ? しかもエース温存のまま完全試合らしいな。やっぱすげぇよ、箕曽園」

 昨日敗れた悔しさはあるが、翔斗は素直にそう思える。桜も肯いて、

「甲子園で、どこまで勝ち上がるか見ものだね」

「こうなったら国体まで行って欲しいけど──」

「もちろん、そのつもりで準備をさせてきたよ」

 突然の会話の乱入に二人は驚き、声のした方へと顔を向ける。

 そこにいたのは、サングラスを掛けた男だった。──目が隠れていても、誰なのか翔斗はすぐに分かり、慄いた。

「輝にぃ?!」

「久しぶりだなぁ、翔斗」

 サングラスを外すと、輝人は「よっ」と片手を挙げてみせる。

 こ、この人が噂の『輝にぃ』さん……! と、桜はまじまじと見つめる。

「なんで輝にぃが、ここに……?」

 学校の校門を少し出た辺りの所だ。こんな場所で再会しようとは、一体誰が予測できただろうか。

「翔斗の顔を見ておきたくってさ。この機を逃したら、今度いつ会えるか分からないから」

 と、少し哀愁漂う表情で言った。

 翔斗は嬉しいような、泣きたいような、懐かしいような、感情が複雑に絡み合い、言葉を継げない。そんな気持ちを汲み取ってか、輝人は歩み寄り、翔斗の頭をポンポンと撫でた。

「七年ぶりか、すっかり成長したな。オマエが野球続けてくれていて、嬉しいよ」

「でも昨日は良い所、一つも見せれなかった……。輝にぃ、箕曽園のコーチなんだろ?」

 と、バツが悪そうに目を伏せる。

「スマン、翔斗が俺を意識するだろう事は分かってたから。序盤から攻めさせて貰った」

 隠しても仕方がないので、正直に話すと、

「相変わらず、容赦ねぇな」

 翔斗は思わず笑った。

「ハハッ、ガキの頃教えたはずだぞ。勝負事に手を抜くわけないだろ」

「うん。やっぱ、輝にぃだ。元気そうで良かった」

「オマエも。一丁前に女連れとは思わなかったけどな!」

 翔斗の頭をわしゃわしゃと撫でくり回す。

「ちょ、違っ、止めろよ」と言いながらも、楽しそうな翔斗の様子から子供の頃いかに輝人に懐いていたのか窺い知れて、桜は黙って微笑む。

 撫でくり回しの刑からようやく解放すると、

「実はな、翔斗。オマエに話しておきたい事があるんだ」

「何だよ一体?」

 しばし間を置いて、輝人が口を開こうとした、その時だった──。

「岡田輝人っ!!」

 突然の鋭い声が静寂を切り裂く。三人は振り返ると、パンツスーツを着た美女が、校門の前で仁王立ちしていた。

 あれ? あの人、昨日球場でぶつかった美人さんだ……。

 そう桜が気付くや否や、

「警察だ! 動くな!!」

 美女が素早い動作で、まさかの拳銃を構えた。桜は固まった。

「ゲッ」と輝人は顔を引きつらせ、瞬発力を使ってその場から駆け出す。

「あ! 動くなって言ったでしょ!」

 と、叫びながら美女は追い掛ける。

 元野球選手の脚力に、負けず劣らずな走りであまり時間も掛けずに追い付くと、合気道よろしく、輝人の腕を取ってそのまま背中に回し抑え付ける。輝人は「くっ……!」と顔を歪ませた。

「やっと……やっと捕まえた!」

 肩で息をしながら声を震わせる美女に、後からやって来た翔斗が声を掛けた。

「何やってんだ? 〝和ねぇ〟」

「あら、どこの学生かと思えば翔ちゃんじゃない」

 拘束する手は放さず、顔だけ向けて言った。遅れて駆け付けた桜が、

「え? 翔斗くん知り合いなの?」

 と、目を丸くする。

 すると翔斗は、

「三葉の姉ちゃんで、輝にぃの元カノ」

「え……えぇぇぇ?!!」

 だって今、拳銃とか出してたよ?!

「ちょっと翔ちゃん、『元カノ』はないでしょ。ていうか待って、隣のキミは昨日球場にいた天使……!」

 クワッと刮目する。

「て、天使ではありませんが、昨日はどうも……」

「昨日?」と尋ねてくる翔斗に、「あ、うん。ちょっとぶつかっちゃって」と桜は苦笑いを返す。

「まさかまた天使に会えるなんて! あ、どうも和葉です♡」

 先程までのイメージと違いすぎて、桜は混乱する。

「盛り上がってるところ悪いけど、そろそろ放してくれないか?」

 と、捕まった状態の輝人がようやく声を出した。しかし和葉は、

「ダメよ。こうでもしないと、また逃げるでしょ。銃口向けても逃げたくらいだし」

「そもそも、なんで和ねぇがここにいるんだ?」

「……この人に、謝りたくて」

「輝にぃに?」

「ねぇ。アンタは、とっくに別れたつもりでいるかもしれないけど、私はそう思った事がないから」

「ハッ、警察官が嘘付くなよ。この三年間、一度も連絡寄越さなかったクセに」

 輝人が嘲笑して言った。

「仕方なかったのよ! 警察学校では携帯没収されてたし、その後配属された先は、あまり人には言えない部署で……つい最近までとある任務に長期間就いてたから。外部との連絡が、できない状況だったの」

 予想外に壮絶な内容で、輝人は絶句した。

「ようやく先週、妹と連絡が取れて一連の話を聞いた。アンタが退団した事、しばらく沈んでた事も……」

 輝人は、目を伏せる。

「思えばアンタがケガをした時も、私は警察官になる事で頭が一杯で……遠距離だったのもあるけど、なんで側にいなかったんだろうって悔やんだわ」

 輝人の腕を掴む和葉の手が、強さを増す。

「この三年間、どれほど心細い気持ちだったのか考えると、居ても立ってもいられなくて……でもごめん。後処理業務に追われて、結局遅くなっちゃった」

「うん、もう、遅い……」

 と、静かに輝人は目を閉じる。

「勝手なのは分かってる。けど、これ以上離れたくないの……だから」

 和葉はギュッと力を入れると、

「だから岡田輝人、私と結婚して!!」

 唐突な求婚に翔斗も桜も驚いて、固唾を呑む。

 すると、「スマン」と輝人がか細い声を出し、

「和葉……本気で痛いから放してくれ。逃げたり、しないから」

 力加減が強すぎて腕が悲鳴をあげているらしい。和葉は「ごめん、つい!」と手を放した。

「おー痛」と腕を摩りながら和葉に向き直ると、視線を翔斗へ向けて、

「さっきの続きだけど俺さ、もう一度、選手プレーヤーを目指そうと思ってる」

「えっ、マジで?」

 と、翔斗は目を見開いた。

「春大が終わった頃かな、部員達あいつら見てたらやっぱ俺もプレーしたくて堪らなくて、賭けたんだ。もし、夏の甲子園が決まったらまたチャレンジしようって……」

「輝にぃ……」

「もっとも、今更使って貰えるか分からないけど、それでも諦めないよ。何度でも、トライしてやる」

 ニッと笑う輝人に、翔斗も嬉しそうに笑顔で応える。

「そういうわけで和葉、俺はまた、野球に生きる事に決めたんだ」

 と、今度は和葉に目を移し、

「今すぐには難しいけど、どこかで契約して貰えたら、その時は……結婚するか」

「え……良いの?」

 パチクリと瞬きをする。

「じゃないと、どこまでも追ってくるだろ。ここにいるのが分かったぐらいだし」

「へへ♡ 本当は球場に向かう予定が急な呼び出し食らっちゃって。間に合わなかったから裏ワザで探したの」

 その裏ワザとは、この場で言える事ではない。

「相変わらず恐ろしい女……」

「アンタこそ、相変わらずの野球バカ……!」

 と言うと、和葉は輝人に勢いよく抱き付いてキスをする。輝人も、和葉の腰と後頭部に手を添える。

 すっかり路上で盛り上がってしまい、濃厚なラブシーンを見せつけられ湯気を出してパンクしかけている桜を横目に、翔斗は態とらしく咳払いをした。

「大のオトナが学校前こんなところで盛んなよ」

 輝人は顔を上げると、

「あぁ、スマン翔斗……忘れてた」

「あら? 翔ちゃん、羨ましいの?」

 したり顔で和葉は言った。

「バッカじゃねーの」と、翔斗は睨む。そしてバッグをガサゴソと漁り、徐にを取り出した。

「輝にぃ!」

 翔斗から投げ渡された物をキャッチすると、輝人は首を傾げる。

「野球ボール……?」

 しかしよく見ればそれは、翔斗のホームランボールだった。

「オマエ、これ……」

「高校で初めてのホームランボール、輝にぃにやるよ」

 桜はそっと翔斗を見上げる。

「こんな大事なモン、受け取れねぇよ。その子にでもあげたら──」

「そいつを手にできたのは、輝にぃが野球教えてくれたお陰だから。俺が今ここにいるキッカケを一番最初にくれた、岡田輝人に受け取って欲しい」

「翔斗……」

 輝人はフッと笑みを溢すと、

「分かった。有難く、貰っとく」

「次が決まったら教えてくれよ!」

「もちろん。もしかしたら、オマエに先越されるかもしんないけど」

「じゃあ……勝負だな」

「ハハッ、そうだな」

 精悍な顔付きで、互いに見交わす。和葉はクスリと笑って、

「天使ちゃん! 野球バカを選ぶ時は注意ね! 翔ちゃんみたいな奴は一筋縄じゃいかないから、苦労するわよ」

 と、桜にウインクしてみせる。

 とんでもない爆弾を落とされ「えっと、その……」と、しどろもどろになる桜の横で、「誰が野球バカだ」と翔斗が眉を寄せる。

 適当な相槌を返せば良かったのかもしれない。だがそうはしたくなかった。

「あの……私は別に、翔斗くんをどうこうしたいとは思ってません。ただ……」

 桜は自然と、慈しみ深い微笑みを向けていた。

「ただ、ひたむきで真っ直ぐに野球をしている姿が、私は好きなんです」

 心からの純粋な言葉だった。

 大人二人が「聖母の愛……!」と涙ぐみ浄化される傍ら、翔斗は真っ赤になった顔を片手で覆う。

「翔斗、なんか知らんが良かったな」

「だから、違うって……」

 今後自分は桜に敵う気がしない、そう思うと、否定する声すら弱々しくなった。


「そう、元鞘に収まったなら良かったじゃない。──ていうか、この間から『対象』とか何なの? 妹との会話で警察用語いる? ──はいはい、秘密組織だものね。頑張って父さんを目指してちょうだい。──あぁそう、天使に会えたの。──は? 聖母? うん、よく分かんないけど。まぁ、また連絡して。輝にぃに宜しく……あ、そうだ。婚約、おめでとう」

 三葉は電話を切ると、「世話の焼ける姉だこと」と呟いて練習場へと戻る。

「『ひたむきに野球をしている姿が好き』か……」

 三葉には耳が痛い気がして、軽く首を振るのだった──。

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