第65話『三年生の想い』

 北条の夏が終わった翌日、ホームグラウンドの投球練習場に朝早くから現れた宮辺は、ピッチング練習に一人励んでいた。

 その脳裏には、昨日の事が過ぎる。


 ──試合後、岩鞍と宮辺はクールダウンでキャッチボールをしていると、おもむろに岩鞍が口を開いた。

「すまんかったな。甲子園で二人で投げる約束、果たせなくて」

 もっとも、オマエはこんな会話した事もう忘れてるだろうけど……。

「それ、自分が連れていくって言ったじゃないですか」

「覚えていたのか? あんな小さい頃の話」

「当たり前でしょ、だから北条に来たんだし」

 ぶっきらぼうに答える宮辺に岩鞍は目を瞬かせ、つい笑いが溢れる。何笑ってるんですか! と噛み付かれて、

「いや、すまん。長い付き合いなのに、まさかそこまで素直な奴だと思ってなかった」

「失礼ですねッ」

 ムッとしながら宮辺は少し強めにボールを投げ付ける。おっと、とキャッチすると、しばし白球を眺めた。

「なぁ宮辺。俺達三年生の想い、今度はオマエに渡すよ」

 と言って、岩鞍はワインドアップで送球した。それを受け取った宮辺は、すぐに投げ返す事ができない。

「きっとなら、一人でも甲子園で投げられる」

 優しく微笑み掛ける岩鞍に、唇をギュッと噛み締め、段々と近付いて行きながら返球する。お互い何も言わずにそのまま投げ合いを繰り返し、岩鞍との距離が詰まったところで宮辺はガバリと抱き付いた。

「ごめん……ごめんノリくん。僕のせいで、最後の夏、ここで終わらせて……本当は、もっと一緒に、投げたかった……ごめん」

 泣きじゃくる旧友に目を細めて、宥めるように頭をポンポンと叩きながら、

「誰のせいでもないさ。いいか。オマエは、間違いなくチームを引っ張る投手になる。だから立ち止まるな。その腕で、俺達の、皆の想いを繋いでくれ」

 一語一語を噛み締めるように言う。

 うん、うん、と声に出せずに宮辺はただ頷く。

「優太と一緒に野球できて、楽しかったよ。今まで……ありがとう」

 岩鞍の目尻から一筋の涙が溢れた──。


 立ち止まらないよ。必ず、チームを甲子園へ導く投手になる!

 宮辺の目は、すでに前を向いていた。するとそこへ、

「あれ? おはよー、宮辺くん。もう来てたんだ」

 投球練習場へ顔を覗かせるのは桜だ。

「おはよう! 今日から新体制での練習だからね、早く体動かしたくて!」

「ふふ、気合い入ってるねぇ」

 ニッコニコしながら言うと、邪魔しちゃいけないと思ったのか、「頑張ってね」と声を掛けその場から離れる。

「ありがとう」

 宮辺は桜の後ろ姿を見届けると、憂いを帯びて微笑んだ。

 早乙女……キミにお願いしたい事を、今はまだ言える権利がない。でも来年きっと、甲子園に行けるぐらい成長してみせるから──。

「だから、それまでどうか誰のものにもならないで」


 そういえば、と桜はふと思った。

 結局宮辺くんが、私にお願いしたい事って何だったんだろう?

 しかし聞いたところで現時点では教えてくれないだろう。

 それなら仕方がない、と頭を切り替えて、部員達が来るまでにやるべき事に取り掛かった。


「おいーっす、翔斗」

「えっ、惣丞さん?」

 練習に向かうところで出くわし、翔斗は少し驚いた反応をする。新体制での練習に三年生が現れるとは、思ってもみなかったのである。

「なんだよ、その意外そうな顔は」

「いや、そんな。でも一体どうしたんです?」

「オマエらをシゴキにきたの」

「えぇっ?」

「嘘だよ、新体制初日にそんな無粋な真似するかよ。部室の自分のロッカー、片付けに来たの」

 あっけらかんと言う惣丞に、翔斗は言葉を呑み込む。

「おい、辛気臭くなんな。そういうムードは昨日で終わったんだ……とは言っても大貫やシマ辺りはまだ沈んでやがったけど」

「そりゃ、そうですよね……」

「けど良いんだよ、三年生は哀しみたきゃとことん哀しめば良いの。でもオマエ達は違う、まだ先がある。いつまでも引きずるぐらいなら、それをバネに少しでも多く練習しろ。落ち込む暇があるんならバットを振れ。時間なんて限られてるんだ。もう振り返るな。そしていつか、吉報を持って来い」

「惣丞さん……」

「俺だけじゃねぇぞ、これは三年生全員の想いだからな。オマエにはそれを、直接伝えたくてさ」

 だから朝早く来てやったんだ感謝しろ、と惣丞はニカッと笑った。

 翔斗は、この偉大な先輩三年生達に何としてでも報いたい、心からそう思った。

「はい! 来年、良い報告するんで待っていてください!」

 良い目だな、ホッとした面持ちで惣丞は顔を綻ばせる。

「ところで昨日、桜っちの胸で泣いたんだって?」

「……何の話です?」

「とぼけてちゃってー。ブラバンの子が見たらしいぜ!」

 どこに人の目があるのか分からないのが世の常だ。

「……人違いじゃないっすか?」

「なぁな、桜っちのおっぱい、どんな感触だった?」

「全っ然会話噛み合ってませんけど」

 とは言いつつも、普段と変わらない惣丞とのやり取りを、翔斗は尊いもののように感じた。


「やっぱ俺の予想通り、新キャプテンに選ばれたの田城先輩だったなー」

 武下がおむすびを頬張りながら言った。練習時間合間のわずかなお昼休憩だ。翔斗は弁当箱片手に、

「よく的中させたな。てかオマエのおむすびデカくね?」

 規格外のそれにツッコミを入れる。武下はニヤッとして、

「愛情のデカさ」

 塩辛いけどなー、とパクつく。

「なんだそりゃ」

 ついに妄想と現実の区別がつかなくなったのか……と翔斗は気の毒に思う。すると武下はポツリと、

「秋大まであと一ヶ月だからな。今度こそ、負けらんねぇ」

「あぁ。もうチームが負けるのはゴメンだな」

「……それもあるけど」

 翔斗は首を傾げて武下を見る。

「俺が一番負けたくないのは、佐久間ライバルにだよ」

「武下……」

「今度は絶対レギュラー取ってみせるから、覚悟しとけ!」

 歯を覗かせながら、溌剌と言った。翔斗は一瞬ポカンとするが、すぐさまニッと笑って、

「俺だって、負けねぇし!」


 太陽が、まだ夏の顔をして照り付ける。それに引けを取らないぐらい、新生北条野球部は、熱気を増して秋の空へと走り出していた。

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